有名配信者ミル

 ――綾月あやつきミル。


 ダンジョンを訪れたその女性の名を、俺はすでに知っていた。


 実際に会ったことは一度もないが、動画投稿サイトで何度も目にしてきた有名配信者。


 登録者はすでに1000万名を超えており、俺でなくとも、日本中の人々が知っていてもおかしくない著名人だ。


 掲示板ではA級のランク付けがなされており、彼女の放つ《剣聖》スキルは文字通り強力。


 いままで数多くの難敵を倒してきたことを踏まえても、指折りの実力者であることは間違いないだろう。


 だが彼女を有名人たらしめている理由はそこだけではなく、女性ならではの可愛らしさはもちろん、「日常」と「戦闘時」のギャップに起因する。


 凄腕の剣士として活躍しているときのミル――たぶんこれは芸名だろうけど――は非常に冷静で、歴戦の剣士のような立ち回りで魔物を追い詰めている。

 しかし日常ではそうではなく、何もないところでつまづいてしまうような……意外にもドジな一面を秘めているんだよな。


 しかも彼女自身が極めて美人なので、これで人気が出ないほうがおかしいというもの。


 男性ファンはもちろんのこと、多くの女性ファンも抱えている有名配信者の一人だった。


「まさか生のミルを拝める日がくるなんて……! もしかして近くに住んでるのかな?」


 岩陰に隠れながら、俺は知らず知らずのうちにそう呟いてしまう。


 正直を言えば、彼女のファンって言えるほどハマってるわけじゃないけどな。それでもやっぱり、有名人を見たときの興奮は抑えきれない。


「さあ、今日は運よく緊急モンスターと戦えそうなんで、生配信をしま~~す! ……あ、すごい、もう一万人も来てくれてる‼ ありがとうみんな~~!」


 自身のスマホへ手を振りながら、ミルが明るい声を発する。


 普通に考えてすごいよな。緊急モンスターってめちゃめちゃ強いのに、そいつと配信しながら戦えるなんて……。強者じゃなければできないことだ。


 ……ん? 待てよ。

 ここの緊急モンスターって、たしか河崎パーティですら勝てなかった魔物じゃなかったか? それをミルはたった一人で挑もうとしてるってのか?


 ……無理だ。


 河崎パーティーはS級の探索者が四人いたのに対し、ミルはA級探索者、しかも一人。


 どう考えても勝てるわけないのは自明の理だった。


 彼女とて実力者なのだから、安易な選択が危険なことはわかりきっているはず。緊急モンスターが自分より強い可能性があることも、下手したら自分が死んでしまうことも……わかっているはずだ。


 なのに、どうして……?


 そこまで考え続けたところで、俺はふと、いつか読んだネット記事を思い出した。


 彼女は有名配信者ではあるが、再生回数が最近やや伸び悩んでいると。


 時たまに珍しいスキルを授かる新人探索者がいて、その配信者たちにやや押され気味であることを。


 だから……多少無茶なことをしてでも挽回しようとしている。


 こういう魂胆だってことか。


「ま、待ってください!」


 気づいたとき、俺は立ち上がっていた。


 少なくとも一万人には俺の顔を晒してしまうことになるが、もはやそんなことは構っていられない。ここで彼女を見殺しにするほうが目覚めが悪かった。


「ここの緊急モンスターに挑むのは危険です! せめてパーティーを組んでから来てください‼」


「へ……?」


 こちらを振り返ったミルが、やや不審そうな表情で俺を見つめる。


「ご、ごめんなさい。あなたは?」


「い、いえ、通りすがりの高校生です。ミルさんに言うのはおこがましいと思うんですが、さっき、河崎さんのパーティーが逃げ出してるのを見て。このまま突撃するのは危険だと思って……」


「へ……? 河崎さんが……?」


 そこで一瞬だけ不安そうな表情を浮かべるミル。


 しかし次の瞬間には、いつもスマホの画面で見るような、配信者の表情に戻ってしまっていた。


「やだなぁ君。河崎さんが負けちゃったなんて、そんな嘘ついちゃダメだぞ☆」


「ち、違うんですって。嘘じゃなくてっ、本当に……!」


 そこまで言いかけて、俺は思わず咽せてしまう。


 ――ああ。


 いまこのときほど、自分自身のコミュ障を呪ったことはない。


 もっと説得力のある論調で彼女を止めたいのに、しかしどのように話せば受け入れてもらえるのか……俺では到底わからなかった。


「ふふ、ありがと少年。私もだいぶ覚悟が決まったぞ☆」


 そう言いながら可愛らしくウィンクするミル。


 年齢的にはたぶん、俺と同じくらいのはずなんだけどな。それでもこうやって少年呼ばわりされるあたり、対等な相手として見られていないのがよくわかる。


「あ~あ~、駄目だよみんな。きっと少年は善意で私を止めてくれてるんだ。そんなに怒らないであげてよ。……あ、ディストリア氏、チケットありがと~♪」


 ……きっと生配信には、俺の「的外れな意見」に対して誹謗中傷が集まってるんだろうな。


 彼女を止めることもできなかったし、日本中に俺のコミュ障を晒しただけで終わってしまった。明日はきっと、郷山にめっちゃいじられるんだろうな……。


「それじゃ少年、ありがとうね♪」


 ミルはそう言ってウィンクすると、俺の制止も虚しくダンジョンの奥に消えてしまった。


 その身体が実は小刻みに震えていることに気づいたが、コミュ障の俺には、これ以上なにを言うこともできなかった。


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