第9話 Checkpoints and Trespassing

「……そろそろ見えてくるはずよ、マッティ」

「マッティは探している」


 どこまでもまっすぐに伸びる国道4号線を日本橋方面へとひたすら歩いていく。そうして、ガソリンスタンドとカーディーラーのショールームが左と右にあるあたりから風景がわずかに変化してきた。


(この先の道路は比較的キレイだわ……誰かが移動させたのかしら……?)


 今までは無雑作に乗り捨てられた自動車やバイクが二車線の道路に点在していたのだけれど、その数が徐々に減っている。代わりに、左側にあるガソリンスタンドの敷地内に、やたらと自動車が敷き詰められていた。急いでガソリンを補給しにきたあとのようにも見えるけれど――。


(だったら、持ち主は一体どこにいっちゃったのかな。誰も……いないみたい)


 やがて大きな交差点――信号には『平野ひらの』と書かれている――にまで来ると、その先にはほとんどと言っていいほど道路に物がなかった。代わりに、五〇〇メートルくらい先に蛇腹の形をした白いバリケードが広い道路を封鎖している光景が見えた。一定の周期であたりを赤々と染めているのはパトロールカーの回転灯だろうか。そのまわりには人の姿も見えた。


 あたしたちは見通しのよい開けた交差点を渡るのを避けようと一旦左へ曲がり、少し離れた位置から道を小走りに横断して、再び交差点にある建物の影へと急いだ。影からそおっとのぞいてみる。


「やっぱりだ……まだ向こうからは見えてない……よね? どう思う、マッティ?」

「ノー。暗視スコープを使えば、闇夜でも索敵さくてきは可能だ。油断はできないとマッティは考える」


 それって、暗闇でも昼間みたいに見えちゃう奴だよね。


「じゃあ、もうとっくに見つかっているかもしれないってこと?」

「可能性はあるだろう」

「だったら、あたしたちを捕まえに来る?」

「その必要はない。彼らの目的は、この先のエリアに侵入させないことだ」

「他の道ならどうかしら?」

「同じだ。ただ、展開している部隊の規模は異なるかもしれない」

「……人数が少なければ方法はあると思う?」

「アオイは、どうやら自分がまだ子どもだということを忘れているらしい」

「子どもじゃないってば!」

「……マッティは黙秘する」


 ぷい、とそっぽを向きながらもあたしは、マッティの言葉のひとつひとつに感心していた。やっぱり軍隊とか警察とか、そういう危険な職務についている人なんだな、って。もしマッティがいなかったら、何も知らないあたしは彼らに警戒もしなかっただろうし、話せば分かってくれるだろうと直談判をしにのこのこ進んでいき、なすすべなく追い帰されていたと思う。


 でも……この状況、どうにもならないんじゃないかな。


「マッティ? これからどうしたらいいと思う?」

「観察する。彼らを。ここも、ここじゃない場所も。知ることは大事だ」

「って言うけど……」


 いつまでもこのあたりでぶらぶらしている訳にはいかない。身を隠して食事や睡眠をとる場所だって必要だ。こんな状況なのだから、この周辺一帯の住民はすでに避難済みなんだと思う。


 と――あ!


「ねえ、マッティ? ここ、電気屋さん!」


 背後に広がる広い屋内駐車場を見て、そして赤い積み木のおうちに似た見慣れたロゴを見つけたあたしは、今いるここがどこかを思い出したのだ。くらしをシアワセにする、すべて――ってアレ。


「この中に隠れて彼らを観察? するっていうのはどうかな? もう店員さんもいないだろうし、観察するにもあたしひとりじゃ無理だよ……。でも、ここならさ? きっとあるはず!」

「……なるほど、名案だ、アオイ。入口を探そう」


 来訪客用の正規の入口は、残念ながら道路を封鎖している彼らから丸見えの道沿いにあるらしい。なので、あたしたちは別の入口を探すことにした。きっと従業員用のバックヤードに直結する秘密の入口があると思ったからだ。


 案の定、銀色の板張りの柱のひとつに、うまく溶け込むように偽装されたスチール製のドアを見つけた。かちゃ、かちゃ――やっぱり、というか、当然というか、開く様子はなかった。


「たぶん……ここだよね? でも、鍵がかかってる……」

「マッティが見てみよう」


 傍目はために見れば、あたしが見ようとマッティが見ようと、ひとりの『あたし』がやっていることのようにしか見えないだろう。だが、あたしの右手の先にいるマッティは、鍵穴から中を覗き込み、その構造を正確に解析しているようだ。


「アオイ。ヘアピンを持っているか? 三本欲しい」

「……どうする気なの、マッティ?」

「知らない方がいい。目をつむっていろ」


 マッティの最後のひと言で、ぎゅっ、と心が締め付けられる思いがした。あたしはひとつ息を吸い、それから吐くと、やたらに詰め込まれたボストンバッグの奥底の方からヘアピンを取り出し、三本、マッティに渡す。それからあたしは、ぎゅっと固く目を閉じた。



 かちゃ――かちゃ――かちゃ――かちゃり!!



「もう目を開けていい、アオイ」

「……っ」


 そっと目を開けると、スチールドアは少し開いていた。

 と同時に、罪悪感があたしの心をよぎる。


「……どうした? アオイ?」

「ううん……なんでもない。入ろう、マッティ」


 飾り気のない階段を慎重に昇ると、二階には従業員用のスペースがあった。よほど慌てていたのか、見たことのある襟付きベスト風の制服とともに、さまざまな種類の鍵の束が簡素な長机の上に放り出されたままになっていた。制服の胸ポケットに飾られたネームプレートには『店長』と書かれている。あたしは一瞬ためらい、それから今度は素早くその鍵束をつかんだ。


「それにしても……なんだか薄気味悪いね……」


 バックヤードの灯りは消えている。


『非常口』と書かれた誘導灯の緑と白の光がぼんやりとがらんどうな部屋を照らしているものの、部屋の隅にはまだ闇がうごめいていて怖ろし気だ。



 ええと、スイッチは――。



「ノー。このまま捜索する。灯りを点ければ彼らを誘き寄せてしまう」

「捕まえには来ない、って言ってたじゃない」

「イエス。だが、不審な行動は警戒心をあおる。検問を突破できなくなったらアオイは困るぞ?」

「わかったわよぅ……」


 あたしはしょぼくれた声で辛うじてそうこたえると、なるべく部屋の隅に近付かないようにしながら、何か役に立つ物がないかを探しはじめた。そういえば昔、同級生から『神様の存在を信じているのに、幽霊は信じないの?』と不思議がられたことがあったっけ。でもこれって、あたしに言わせればまったく別の話だ。


 聖書の一節には『人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっている』と書かれているの。


 そう、『裁きを受けること』が人間の死後の運命。この裁きによって天国に行くか地獄に行くか決定されて、それ以外はあり得ない。だから、恨みを抱いて死んだ人間の肉体から離脱した霊魂が『幽霊』となって永遠にこの世をさまよい続けるなんてこと、絶対にあり得ないんだ。




 でも……じゃあ怖くないかと言われたら、それはまた別の話な訳で……。




「………………アオイ?」

「う、うわぁ! き、急に声かけないでよぅ……」

「?」

「こ。こほん……何、マッティ?」

「マッティは、あちらに移動することを提案する」


 マッティが指し示したのは、『店内入口』と赤い文字で書かれたプレートの貼られたドアだ。


「い、いいけど……?」


 もっと広くて、真っ暗なはず……だよね。


「で、でも、ほら! 警報装置とかがあったら困るんじゃない? ジリジリジリー! って」

「では、マッティが確認する」

「?」


 マッティはジェスチャーで、彼を握り締めている右手を指し示し、ドアの隙間から店内が見えるようにしてくれ、と訴えている。仕方ないので、あたしは言うとおりにした。一緒に覗く。


「……トラップは死んでいるようだ。入っても問題ない」

「そ、そう」


 マッティがどこを見てそう判断したのかちっとも分からないけれど、マッティが言うのなら大丈夫なんだろう。あたしたちは、失礼しまーす……と呟きながら店内へと歩を進めるのだった。



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