冷たく、硬く、無慈悲なスフィア。

虚仮橋陣屋(こけばしじんや)

第1話 Duck Hunting

「おい……カモが来たぞ?」


 都内へと続く国道4号線。


 かつてここも、昼夜を問わず多くの自動車やバイクが行き交っていたいわば日本の経済を動かす動脈のひとつだった。しかし、今はもうその面影はない。


「ん? ……へえ、こんなところに女ひとりで来るなんて。『ヤツら』じゃないのか?」

「いいや、俺はそうは思わない。『ヤツら』ならとっくにこっちに気づいてるはずだ。だろ?」


 街灯の灯りが照らす片側二車線の道路のあちこちに点在するのは、道半ばにして放置され、タイヤとパーツ、それと燃料を奪われ、原形をとどめぬほどに破壊されてしまった鉄の残骸にしか過ぎない。それらを避けるようにして、ひとりの少女がおぼつかない足取りで歩いてくる。


「荷物は……」


 男のひとりが手にした双眼鏡を再びのぞき込んだ。

 片方のレンズは割れ、残ったひとつで見る。


「……大して期待できなさそうだ。ありゃあ、小さすぎる」

「ったく……。どうして女ってのは、何も入らねえちっぽけなカバンが好きなのかねぇ」

「知るもんか。おっと。右手に何か持ってるぞ……? あれは――」


 狭い視界の中でそれがぷらりぷらりと揺れていた。

 ようやくピントが合って、それが何か分かった痩身の男は、くく、と笑い声を漏らした。


「やあ、僕の名前はテディさ! ……ありゃあ、クマのぬいぐるみだな。ハーイ、テディ!」

「マジかよ……イカレてんじゃねえのか? ガキか? 俺はガキには興味がねえよ」

「なら、俺が先だな。相手が女で犯れるんなら、いくつだろうと構いやしねえ。それに――」


 もう何日もまともにシャワーすら浴びていないだろう痩身の男は、ねとついた前髪を撫でつけると、振り返ってはるか後方の空に視線を向けて憎しみの混じった眼で睨みつける。薄雲に包まれて輝く巨大なそれは、まるで月のように丸く、冷たい銀光を放っていた。




 が、この世界を変えてしまった。




「もう、こんな世界でまともなヤツなんて残っちゃいねえだろうよ。いたところで、『ヤツら』ご自慢のクローゼットに並ぶだけさ。新鮮でフレッシュ洒落たドレッシー最新のファストワードローブのひとつとしてな」

「はン、言ってろよ。うまくもなんともねえ」

「なら、てめぇが死人も爆笑もののジョークでも言ってみろ」

「やなこった。それより、メスガキの面ぁどんなカンジだ? 売り物にはなるのかよ?」

「へーへー。少々お待ちを」


 ヒゲ面で小太りの男の苛立いらだち混じりの問いかけに、痩身の男はわざとらしく道化じみた会釈で応じると、双眼鏡を構え直して少女の姿形を舐めまわすように見分する。



 ――艶やかな黒髪。胸元まで達するその毛先までなめらかでまっすぐだ。すらりと伸びた肢体を包むのは、あまり目にしたことのない学生服だ。堅苦しそうな印象のあるえりのないブレザーは――ボレロ、というのだろうか――首から胸元までが三つの銀のボタンでめられていて、そのやや右下にある胸ポケットに、まるで小さな勲章のように三つの校章が飾られていた。そして首元から少し大きめで先端が丸くカットされた白いブラウスの襟が覗いていた。



「ここいらでは見かけねぇ制服だ……にしても――」



 だが、男が妙に気になっていたのはその色だった。



 学生服といえば、ネイビーブルーか黒だという先入観も持っていた男にとって、少女が身にまとう制服の色は、あまりに不釣り合いというか、不似合いというか、むしろ、絶望的で未来の見えない今の状況をうまい具合に象徴しているかのように思えたのだ。



「――グレーの制服……なんだか墓石みてぇな色してやがるな」

「なんだそりゃ。言葉にセンスってものが感じられねえ。だから女に嫌われるんだ」

「阿呆。無理やりられりゃ、嫌われて当然だろうが。つーか、肝心な顔がよく見えねえ――」


 一つ目の双眼鏡のダイヤルをいじくる。

 刹那、街頭の灯りが少女の面立ちを闇に浮かび上がらせていた。



 ――白い。日本人離れした肌の白さだ。目鼻口のパーツそれぞれに西欧人のエッセンスを感じるが、化粧っ気はなくナチュラルだ。右目は前髪に隠れて見えないが、少女の左目は――、



「……カラコンでも入れてやがんのか? そうでもなけりゃあんな色にはならねえだろうし」



 ――青みがかったように見えるグレーの瞳。冷たく、感情の読み取れない少女の瞳は、男のはるか後方に浮かぶ忌々いまいましい球体を思い起こさせた。男は頭を振って、不安を払いのけた。



「……おい、どうしたよ?」

「なんでもねえ。……上玉だ。絵に描いたような美少女ってヤツだ。着ている制服もここいらでは見かけねえデザインだ。もしかすると、いいトコのお嬢様なのかもしれねえ。大当たりだ」

「いいねえ! では、直接拝見するとしますか!」


 ヒゲ面で小太りの男は、ぽん、と手を叩き、舌なめずりをして立ち上がる。痩身の男はというと、まだかすかに残る奇妙な感覚に渋い表情を浮かべていたが、相棒の視線を感じて軽く肩をすくめつつ立ち上がると、あとに続いて歩き出した。


 やがて、アスファルトの上で出会う。


「よお、お嬢ちゃん。こんな夜中に、ひとりでお散歩かい? それとも――」


 びくり――と、少女が身を震わせたのが分かった。

 手にしたクマのぬいぐるみを引き寄せて、ぎゅっ、と抱きしめる。


 途端とたんその整った顔に見慣れたおびえが走るのを目にすると、痩身の男は不思議と安堵していた。あまりに日本人――いいや、人間離れしているようにさっきまでは思えたからだ。男は言った。


「クマの人形抱えて、カラコン入れてオシャレして、これからどこまでお出かけする気なのかねぇ? この先の夜道は危ないぜ? ここだって東京二十三区内だが、環七を越えれば――」

「で――でも、あたし、行かないといけないんです」


 遠くから見ていた時には気づかなったが、女にしては背が高い。胸は物足りなさを感じるものの、モデル体型と言ってもいいだろう。だが、声はずいぶんと子供じみていて震えていた。


 ふたりの男はつまらなさそうな表情を突き合わせると、どちらともなくにんまりとんだ。


「じゃあ、お兄さんたちが案内してやるよ。夜道に嬢ちゃんみたいな子が歩いてたら危険だぜ」

「だな。俺たちはここいらにはくわしいんだ。危なくなっても逃げ道をいくつも知ってるんだよ」


 しかし、たとえ少女じゃなくても、彼らの言葉に嘘があることは明白だった。


「い、いえ……あ、あの……」

「遠慮すんなって、なあ?」

「そうそう。困った時はお互い様っていうだろ?」


 拒絶する言葉ひとつ言えないまま、少女は手を引かれ、背中を押されて細い路地の中へと連れて行かれそうになる。足を突っ張り、靴底をすり減らしても勢いは止まりそうにない。


「や、やめてください……! いや! いやです! このままだと……あたし……っ!」

「怒っちゃいます、ってか? いいねえ! そんな顔も見せてくれよぉ」

「ち――違うんです! このままだと……危ないんです! 大変なことになりますよ!?」

「お? 何する気? 興味あるねぇ」


 すると、少女は控えめな胸元でしっかりと抱きしめていたクマのぬいぐるみを男たちに差し出すように突きつける。しかし、長い薄茶色の毛足がくるりくるりとカールしているでっぷりとしたクマのぬいぐるみは、くたり、とうなずくようにうつむいただけで動きはしない。


が怒るんです! そうなったら、あたしでも止められないんです! もう二度とあんなことしたくないんです! ……嘘だと思ってますよね? でも、これ、本当のことなんです!」




 ――沈黙。




 と、ふたりの男は弾かれたように大きな笑い声をあげ、腹を抱えて苦しそうに身を折った。


「うははは――ひぃ。信じる、信じますとも! お兄さんたち、悪いことしないから!」

「そうそう! クマちゃんも安心してちょうだいねー! くくく……っ!」


 その時だ。




「……それはよかった。その言葉に嘘がなければいいのだが」


 クマのぬいぐるみはそう言った。




 そして――数分後、死に耐えたように静かな街じゅうに、ふたりの男の絶叫が響き渡った。



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