32.真夜中のお見舞い

「う~ん、ビールが美味いな~」


 夕食後、リビングでひとり酒を飲んでいた龍之介。つまみは真琴が作ってくれた夕食の残り。翌日が休みとあって龍之介もリラックスしてお酒を愉しんでいた。



「龍之介さん、大変です!!!」


 そんな彼の元に、自室にいた真琴が血相を変えてやって来た。



「どうしたの、マコ?」


 龍之介が尋ねる。


「おばあちゃんがね、意識不明になっちゃったの!!」


「ええっ!!」


 酔いも覚めるような話。びっくりした龍之介が立ち上がって真琴に言う。



「命は大丈夫なのか?? 命は!!」


 真琴が頷いて言う。



「う、うん。それは今日のお昼頃の話で、今はもう回復したんだって。さっき連絡があったの」


「そ、そうだったのか……」


 龍之介は真琴が見せてくれたキヨからのSNSの元気なスタンプを見て安心する。



(早く手術して無事治るといいな……)


 夏に予定されているキヨの手術。真琴でなくとも心配である。



「龍之介さん、私今から病院へ行こうと思うの」


「今から?」


「うん」


 既に外は真っ暗。これから出掛けるとなると辿り着くのは真夜中であり、今日中にマンションへは戻って来れないだろう。龍之介が言う。



「分かった。一緒に行こう」


 そう言って歩き出し始めた龍之介がふらつく。完全に飲みすぎ。真琴が苦笑して言う。



「私ひとりで行きます。龍之介さんは留守番してて下さい」


「いや、だって……」


「そんなに酔ってて行けると思いますか? おばあちゃんにお願いして今日は病院に泊めて貰うから、龍之介さんは心配しなくてもいいですよ」


 そう言い張る真琴に龍之介も頷いて答える。



「そうだな、今は大丈夫そうだし、こんな酔った状態で病院行くのも良くないしな。キヨさんによろしく伝えておいてくれな」


「うん、分かった。龍之介さんも私が居なくて寂しがらないでくださいよ」


「あはははっ、大丈夫だよ。でも気を付けてな」


「はい!」


 真琴はそう言って頭を下げると、部屋に戻り支度をしすぐにマンションを出て行った。





(マコ、無事に着いたかな……)


 真琴が出て行ってからしばらくリビングでひとり座っていた龍之介が、ぼうっと窓の外を見ながら思う。

 真琴とキヨが住んでいたこの高級マンション。大家族でも住めるような広い間取りだが、ひとりでいるとやはりなんだか寂しく感じる。



(あ、メッセージ!)


 テーブルの上に置いていたスマホにメッセージが来たことを告げる音が鳴る。真琴かなと思った龍之介が確認すると、送信主は九条ユリであった。



(……ユリちゃん)


 少しだけがっかりした龍之介がメッセージを確認する。



『龍之介君、今どこにいるの~??』


 龍之介がすぐに打ち返す。


『部屋だよ』


『電話していい? 声が聴きたいよ~』


 龍之介がそのメッセージを確認すると同時に、スマホの着信音が鳴った。龍之介としては剛のこともあり、ユリとはこれ以上あまり関わりたくないと思っていたが渋々電話に出る。



『もしもし』


『龍之介く~ん!! 元気だったぁ~??』


 想像以上の大きな声。すぐに分かる声の変化。彼女も飲んでいるなと龍之介は思った。



『どうしたの、ユリちゃん?』


『ユリねぇ~、今ぁ、飲んでるの……』


 受話器から聞こえてくる周りの音は静か。店で飲んでいる訳ではなさそうだ。龍之介が尋ねる。



『そうなんだ。それで何か用だった?』


 少しの間を置いてユリが言う。


『龍之介君も一緒に飲もうよ~』


 会話が噛み合わない。結構飲んでいるなと龍之介が思う。



『ユリちゃん、用事は? ないなら切るよ』


『ああ、ちょっと待って! 切らないでよ~、龍之介君はユリのこと好き?』


 またか、と思った龍之介が答える。



『前は好きだったよ。色々一緒に遊びに行ったりして楽しかったし。でも今は俺、好きな人がいるから』



『えー、ユリのこと、好きなんだ~!! きゃはっ、嬉しい!!』


『ちょ、ちょっとユリちゃん……』


 話せば話すほどドツボにはまりそうな気がして来た龍之介。ユリが甘い声で龍之介に言う。



『ユリねえ、今ひとりで部屋で飲んでんだ……』


『そ、そうなの……』


『どんな格好で飲んでいるか、分かるぅ~??』


 言葉に詰まる龍之介。

 返事がなかったことを面白がったユリが色っぽい声で言う。



『下着姿、だよ……』



(ええっ!!??)


 龍之介の心臓がばくばくと激しく鼓動する。

 金色の美しい長髪。触れたことはないが近くを通るだけで男を惑わす甘酸っぱい香りがするその髪。粉雪のような白い肌にふくよかな胸。それが下着だけでいるとは想像するだけで興奮してしまう。ユリが言う。



『あー、今、エッチなこと考えてたでしょ~??』


『い、いや、違っ、違わくはないけど……』


 正直な龍之介。つい素直に話してしまう。



『ねえ、一緒に飲もぉ~。龍之介君が来てくれるなら、で待ってるよ~』



(うぐっ!!)


 大学ミスコンの美しいユリ。

 その彼女が私室で、下着姿で一緒に酒を飲んでくれる。大学中の男百人に聞いても、ほぼ間違いなく全員が『一緒に飲む』と答えるだろう。

 だが龍之介の頭にはあの『天使様』の顔が浮かぶ。



『ごめん、ユリちゃん。俺好きな人がいるし。そもそもこんな遅い時間だし、ユリちゃんの家も知らな……』


 そこまで言った時、龍之介の耳に窓からパトカーのサイレンが聞こえた。



(え?)


 そして思った。

 そのサイレンの音が、スマホのからも聞こえてくる。



『あれ?』


 ユリも気付く。



『なんかサイレンの音、木霊こだましてない??』


 実際に聞こえる音と、スマホから聞こえる音が重なり合ってまるで木霊しているように聞こえる。龍之介の額に汗が出る。



(ま、まさか、ユリちゃんってこの近くに住んでいるの……??)


 思っても見なかった事態。ただ間違いなく同じサイレンを聞いている。


『あれ~、もしかして龍之介君も近くにいるの~??』



(しまった!! 気付かれた!!!)


 龍之介がすぐに言う。



『ユリちゃん、ごめんね!! 俺、お腹痛くなったから切るわ、じゃあ!!!』


『あ、ちょ、ちょっと!!!』


 ツーツーツー


 電話を切った龍之介が放心状態となる。



(近くに、この近くにユリちゃんが住んでいる。まさか、まさか同じマンションじゃないよな……)


 九条ユリ。

 名家九条家の子女にして才色兼備の彼女。十分この高級マンションに住んでいる可能性はある。龍之介は全身にかいた汗を流そうとひとり風呂場へ向かった。






「おばあちゃん!!」


 大学病院の最上階。まるでホテルのスイートルームのような豪華な部屋で、キヨは訪れた真琴を笑顔で迎えた。


「ごめんよ、心配かけて」


「おばあちゃん、本当に大丈夫なの?」


 そう尋ねる真琴の目は赤く涙で潤んでいる。キヨが真琴の頭を撫でながら答える。



「ええ、大丈夫よ。ちょっと疲れちゃったのかな。夏には手術をするので、それまでの我慢よ」


「うん……」


 少し落ち着いた真琴がベッド横の椅子に腰かける。キヨが言う。



「髪の毛、随分傷んじゃってるわね。帽子の被り過ぎじゃない?」


 真琴は自分の黒い髪の毛に手をやり答える。


「そうだよね。ずっと帽子被ってるから……」


 夏も近付くこの頃。男装の為に被り続けている帽子のせいで頭が蒸れてしまう。キヨがため息交じりに言う。



「それで、いつまで隠しておくんだい?」


「……」


 真琴が下を向いて黙り込む。



「恥ずかしいのは分かるけど、龍之介さんはそんな人じゃないでしょ?」


「……うん」


 一緒に暮らしてみて実感する龍之介の優しさ、懐の深さ。居るだけで安心できる人は真琴にとってキヨ以外初めてである。


(龍之介さんは女の私を好きだと言ってくれる。だけど本当の私を知ったらきっと幻滅するに違いない……)


 龍之介を失いたくない。

 そんな気持ちが逆に女だと告白することを躊躇わせている。大変だけど今のこの生活がずっと続けばいいなと、無意識のうちに真琴は心のどこかで思っていた。キヨが言う。



「それで今日は泊ってくのかい?」


「うん。いいでしょ? また一緒に寝よ」


 広い病室。見舞いに来た家族用のベッドももちろんある。



「私は構わないけど、龍之介さんをひとりにして大丈夫なのかい?」


「大丈夫よ。もうご飯食べたし、お風呂入って寝るだけ。子供じゃないから」


 キヨが首を振って言う。



「そう言う意味じゃないわよ。あんな好青年、放っておくと誰かほかの女に取られちゃうわよ」


「他の女……」


 真琴の頭に美人のユリや、色っぽい桃香の顔が浮かぶ。そんな妄想を打ち消す真琴だが、まさか本当にユリが龍之介に誘惑の電話をかけているとは思っても見ない。キヨが言う。



「さあ、お風呂に入ってもう寝ましょう」


「そうね、何だか安心して疲れちゃった」


 真琴はすぐにシャワールームへと向かう。

 シャワーを浴び終えた真琴は寝る支度をして、キヨの近くにあるベッドに潜り込む。キヨが照明を暗くして言う。



「ねえ、この間送ってくれた龍之介さんとのツーショット写真。あれ、とっても良かったわよ」


「ん、ああ、あれね……」


 初めてふたりで自撮りした写真である。恥ずかしくて真っ赤になった顔が嫌であまり見ていない。



「何だかお似合いのカップルみたいだわ」


「そ、そんなんじゃないよ!!」


 可愛い孫の真琴。キヨにとっては真琴がどんな格好をしようと『女の子』であることに違いない。キヨが言う。



「ねえ、真琴」


「なに?」



「なんだかとっても明るくなったわね」



(え?)


 明るい。

 根暗で陰キャだった真琴にとって意外過ぎる言葉。ただ最近、学校でも友達ができ毎日が以前よりずっと楽しい。



「りゅ、龍之介さんに色々いじられるから……」


「そうね。やっぱり来て貰って良かったのね。さ、もう寝るわ。年寄りは眠いのよ……」


「おやすみ、おばあちゃん」


「はい、おやすみ……」



 真琴は暗くなった天井を見つめながら、今龍之介は何をしているのだろうと考えながら眠りについた。

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