10.同居のルール♡

 真琴の同居を決め、すぐに準備を始めた龍之介。元々私物が少なかった彼の引っ越しはすぐに終わり、役場での手続きなども終えキヨが病院へ向かう朝を迎えた。



「それじゃあね、真琴」


「うん、おばあちゃんも頑張ってね。すぐお見舞い行くから」


「ああ、それはありがとうね。龍之介さん、真琴をお願いします」


 真琴の手を握り締めながら、キヨはその後ろにいる龍之介に軽く頭を下げる。龍之介が答える。



「はい、大丈夫です!! キヨさんも頑張りましょう!!」


「ええ、何かあればで連絡しますよ」


 そう言ってキヨは龍之介に習ったスマホを見せて笑う。



「おばあちゃん……」


 泣きそうな顔になってキヨを見つめる真琴の手をしっかり握り、キヨが言う。


「大丈夫よ、真琴。じゃあちょっと行ってくるわね」


「はい、じゃあまた!!」


「バイバイ、おばあちゃん!!」


 キヨは小さく手を振ると待っていたタクシーに乗り込んだ。




「行っちゃった……」


 そうつぶやく真琴の声は小さく寂しい。龍之介が言う。


「またすぐにお見舞い行こうぜ」


「そうだね」


 真琴は自然と溢れ出る涙を堪えながら答える。龍之介が言う。



「さあ、俺もうちょっと片付けしなきゃ」


「あ、私も行くよ!」


 そう言って真琴はマンションに戻る龍之介の後に続いた。





「じゃあ、まずは同居のルールを説明するね」


 片付けもひと段落し、リビングで休む龍之介のところへやって来た真琴が言う。


「同居のルール? ん、まあ、仕方ないか……」


 自分は居候。朝比奈家のルールがあるならそれに従うのは当然。龍之介は真琴が運んできてくれたジュースを口にしながらそれを聞く。真琴は手にした紙を見て説明を始める。



「まず料理は私がします。料理は得意なので任せてください」


「じゃあ、洗い物は俺がやるよ」


 すかさずそう答える龍之介に真琴が驚いて言う。



「いいんですか? 洗い物って結構大変ですよ」


「いいよ。洗うぐらいやらせてくれ」


「分かりました。食洗機もあるのでそれを使ってくださいね。それから」


 龍之介は黙って話を聞く。



「掃除は交代制にしましょう。一週間ごとに。洗濯はそれぞれ自分のものを洗ってください。干す場所なんかは後で教えます。それと……」


「それと、なんだ?」


 少し恥ずかしがりながら真琴が言う。



「絶対私の洗濯物は見ないように。干してあるのも見ちゃダメです。私の部屋に入るのもダメ!!」


「いや、見ないよ。お前のパンツなんて興味ねえし」



「パっ……、い、いいから絶対に見ないこと!!」


 顔が赤くなるのを知られないように被っていた帽子をさらに深くする真琴。龍之介がやれやれと言った顔で真琴に言う。



「それから? まだある?」


「ええ、あります」


 真琴は真剣な顔になって言う。



「私がお風呂に入っている時に絶対覗かないこと。鍵は掛けますが近付くのもダメ!!」


「……なあ、マコ」


「な、なに?」


 一瞬構える真琴。龍之介が言う。



「何で俺がお前の風呂を覗かなきゃならんのだ? そんなことしないから安心しろ」


「そ、そうですよね。分かりました。じゃあ次トイレですが……」


 龍之介はまだあるのかとため息をつく。



「幸いトイレはふたつあるから別々のものを使用してください。絶対に相手のトイレを使わないこと」


「別にトイレぐらいどっちでもいいじゃん。掃除も面倒だし、近い方でいいじゃねえのか?」


「ダメ!! ダメダメ!!! 絶対にダメなの!!!」


 女子高生である真琴。そのトイレを男子大学生である龍之介に色々見られるのはこの上ない恥辱。風呂はひとつしかないから仕方ないけど、トイレは絶対に譲れない。龍之介がにやりと笑って言う。



「さてはマコ、お前……」


 その顔を見て焦る真琴。


「な、なんですか……?」


 まさか女だってバレてしまったのではと、真琴が動揺する。



「お前、相当んだろ? だから恥ずかしいんだ」



「はあ!?」


 全く想像していなかった言葉に真琴の顔が一瞬で真っ赤になる。



「ち、ち、違うって!! そんなんじゃない……」


 慌てて否定する真琴に龍之介が言う。


「じゃあ、くっそんだ。まあそれは俺も困るんで仕方ないか。いいよ、別々で」


「違うって!! 長くないし臭くないから。違うよ!!!」


「くくくっ、別にいいって、隠さなくても。誰にだって秘密はあるから」


「も、もお……」


 結果的にトイレは別々になって安堵する一方、何かとても恥ずかしい認定を受けてしまった真琴。むっとする彼女に龍之介が言う。



「なあ、マコ」


「何ですか!」


 龍之介が大きく頭を下げて言う。



「ありがとう。本当に感謝している」



(え?)


 思ってもみなかった龍之介の行動。冗談も多い彼だが時々急に真面目になってこんなことをする。


「い、いいですって。私も助かってるんで……」


 顔を上げた龍之介が笑って言う。



「でもお前と一緒には寝ないぞ。それは勘弁してくれ」


「え? い、いや、それはいいですっ!! オバケなんて怖くないですから!!」


 顔を赤くして必死に否定する真琴に龍之介が言う。



「ああ、そうだ。あと俺、夕方はバイトに行くことが多いんで、帰る時間はマコよりちょっと遅くなるかも」


「バイト?」


 ジュースを口にしながら真琴が聞き返す。



「ああ、喫茶店でバイトしてて。コーヒー淹れたりしてるんだけど、あ、そうだ。マコの学校の帰り道だから一度寄って見てよ」


「学校の帰り道?」


 学校が終わるとほぼ真っすぐにマンションに帰って来る真琴に、下校途中にある喫茶店など知るはずもない。龍之介が笑顔で言う。



「来てくれたらコーヒーご馳走するぜ。マコなら特別サービスで」


「い、いいんですか……?」


 家の外のこととなると急に自信がなくなる真琴。龍之介が笑顔で言う。



「ああ、大歓迎だぜ」


「あ、はい……」


 誰かにどこかに来て欲しいなどと言われたことなど記憶にない。嬉しい反面、戸惑う真琴のスマホを龍之介が手にし、そして見せて言った。



「ここな。ここの『カノン』ってお店。明日の夕方はいるから」


(え? 地図??)


 真琴はスマホの画面に映し出された地図を見て驚く。



「スマホって地図も見れるの?」


 きょとんとした龍之介が答える。


「ああ、そうか。まだ教えていなかったな。ここをだな、こうして……」


 龍之介のスマホ教室が急遽開かれた。






 翌日の放課後。

 授業を終えた真琴が少し大きめの鞄を持って学校近くのトイレに入る。そして中から男装セットを取り出し着替え始める。



(意外とトイレで着替えるのって大変……)


 下着を外し、さらしを胸に巻いて行く。



(まさか貧乳に感謝する日がやって来るとはね。これだけは母親に感謝しなきゃ)


 真琴は深く帽子を被り丸い伊達メガネをかける。朝比奈マコになると何故か気持ちが穏やかになる。



(こうしてになると不思議と恥ずかしさが消えて行く。初めて行く喫茶店にひとりで入るなんて、じゃ無理……)


 真琴はトイレにある鏡の自分を見て思う。



 ――私、龍之介さんに会って変わったなあ。


 学校と家を往復するだけだった日々。

 教室で居場所がなく灰色だった毎日。

 こんな風に知らない場所へ行くのをどきどきしながら向かえている。



(龍之介さんが待っていてくれると思うと、大丈夫な気がする……)


 真琴は鏡に向かってにっこり笑った笑顔を見てからトイレを出た。






「いらっしゃい!! ……あ、マコ!!」


 龍之介がバイトする喫茶店は高齢のマスターが個人で開いている小さな店だった。

 西洋風の外観にたくさんの鉢植えの花。内装も木をふんだんに使った暖かみのあるもの。入った瞬間にコーヒーの香ばしい匂いが鼻をくすぐる。



「龍之介さん、こんにちは……」


 とは言えやはり恥ずかしがり屋の真琴。

 知らない喫茶店にひとりで来ること自体大きな試練のようなもの。だがすぐに龍之介が迎えてくれたことで落ち着きを取り戻していく。



(え? うそ、カッコいい……)


 龍之介の姿は白いワイシャツに黒のズボン。同じく黒色の蝶ネクタイに紺色のエプロンを付けている。私服姿を見慣れていた真琴にとって、この正装のような龍太郎の姿はすごぶる新鮮であった。



「ありがとう、来てくれて。さ、こっちに座って」


「あ、はい……」


 龍之介に言われて恥ずかしさを隠しながら後をついて行く真琴。

 店内には同じ高校の学生や近所の主婦達で賑わっている。そして歩きながら目に付いたここの女性店員を見て真琴が立ち止まる。



(すごい、綺麗な人……)


 ふわっとした薄ピンクの髪が特徴の色気たっぷりの女性。はち切れんばかりの巨乳は間違いなく男達の目を引く品である。



(あ、あんな人と一緒に働いているんだ……)


 真琴に再び敗北感が襲う。



(龍之介さんの周りってなんでこんなに魅力的な人ばっかりなの……)


 先日のミスコングランプリの九条ユリに続き、決して敵うことのない色っぽい女性。真琴が少なからずショックを受けながら椅子に座る。龍之介がカウンターから一枚のチケットを持って真琴に手渡す。



「これで好きなの頼めるから。何にする?」


「あ、ええっと、じゃあ……」


 メニューを見つめる真琴。その時、彼女の耳に意外な声が聞こえた。



「うわー、カエデ。今日人いっぱいだよ~!!」



(え?)


 真琴が耳を澄ます。



「あ、あそこ空いてるよ。座ろ!!」


 そして真琴の近くまでやって来たその女子高生が龍之介の姿を見て挨拶する。



「あっ、み、三上さん。こんにちは」


「いらっしゃい。さ、お好きな席にどうぞ」



(うそ……、うそうそ……)


 真琴はをの声を聞いて身を縮ませる。


(どうして、どうして龍之介さんが、橘さんと知り合いなの……??)


 それは真琴のクラスメートでカースト上位の女子。いじめっ子の橘カエデであった。

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