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潮風凛

Sector1 神殿

S.1「オレを覚えているか、シン」

 姉が殺された。


 場所は自宅。犯人は不明。俺は現在、姉の死体の前に立っている。外出しようとしたところで見つけたのだ。日の入り直後、月が出る直前の薄闇。机に置かれたモニタの僅かな明滅にだけ照らされたその死体の肌は透き通るほど白く、床の血溜まりも合わさってとても現実のものとは思えない。彼女が見慣れた美しい黒髪を持っていても、前方に伸ばされたまま硬直している手が優しく頭を撫でてくれた感触を覚えていても、目の前の死体が姉のものであるとは中々理解できなかった。

 そもそも、何故このような状況になったのか。姉の死体を見つけるその瞬間まで、俺は今日がいつも通りの日常だったと思っている。明け方、夜の街ディア・ノクトから家に帰った。仮眠をとり、殆ど無い探索の成果を纏めて、日が沈むと同時に再び家を出ようとした。ずっと同じ——否、二年前からいつの間にか日常になってしまった日々。

 二年前は、今よりずっと刺激的だった。ディア・ノクトは成果のない人探しに明け暮れる場所ではなく、頼りになる相棒と探索し遊ぶ宝島みたいな場所だった。

 そう、俺には相棒がいた。自称「ルブフォルニア一の情報屋」。未知と不思議に溢れたディア・ノクトの案内人。共に様々なものを見て多くの危機を乗り越えた親友。陽気で少年らしい彼の名前をエルドという。

 橙に近い黄金色の髪を竜の尾のように靡かせて、彼が言ってくれた言葉を覚えている。

 

『次は何が見たい? 何でも見つけてみせるぜ! オレはシンの「黄金の竜」だからな』

 

 「黄金の竜」——導きの竜エルドラは、教訓を含んだ古い伝承に出てくるドラゴンだ。黄金に輝く竜を見つけることは、探検家にとってひとつの大きな目標だった。彼らは外見も美しいが、何よりもその帰り路に財宝溢れる理想郷があるという。だからこそ「導き」の竜。

 エルドも、いつも俺を導いてくれた。超高度な魔法に電子伝達網を中心とした化学技術が寄り添うかたちで発展したルブフォルニアという国の中でも、ディア・ノクトは更に混沌を極める。昼間は一歩先も見えないような霧に覆われ、夜しかまともに探索することができない街。廃墟と遺跡が遥か昔の願いと共に闇に沈むこの場所が、俺は何よりも好きだった。だが、それもエルドがいたからこそである。

 エルドがいた二年前は、それこそ毎日のように彼とディア・ノクトを冒険した。夜になると同時に家を出て、明け方家に帰る日々。そんな俺を毎日笑顔で見送り、帰ったら玄関で出迎えてくれたのが、一緒に暮らしているたった一人の家族。姉の睡蓮スイレンである。

 物静かだが優しい姉はとても心配性だった。小さな傷ひとつでも作ってこようものなら大慌てですっ飛んでくる。もうほとんど治っている怪我を確認した後、俺の瞼にそっと触れて頭を撫でるのがお決まりの流れだった。俺は小さな子供のように心配されることを不満に思い、いつもすぐに手を振り払って部屋に駆け込んだ。それでも、「おかえりなさい」と言って微笑む姉を見る度に家に帰ってきたと思うのだった。

 いつだったか、姉にエルドを紹介したこともある。毎日のようにエルドと見つけたものの話をしていたら、彼女の方から「私もエルドに会ってみたい」と言ってきたのだ。

 俺は喜んで家にエルドを招き、姉と引き合わせた。確か俺は少しの間席を外していたが、どうやら二人で長く話し込んでいたことを覚えている。大好きな二人の気が合ったようで嬉しいと思ったことも。


 だが、その翌日。エルドの行方は杳と知れなくなった。


 あれからずっと、俺はエルドを探していた。二年間、かつての興奮に思いを馳せながらディア・ノクトを探し歩き、他の場所のデータも集めて彼の痕跡がないか探る毎日。多数の防壁に守られたデータベースに侵入するなど結構危ないこともしたが、全ては再び親友を再び見つけるためにしたことだ。

 一方姉は何故か家に引きこもりがちになったが、俺はそれで良いと思っていた。その方が安全だ。

 俺はエルドが、誰か正体不明の敵によって姿を消したと思っていた。そうでなければ、彼が俺に黙ってどこかへ行くなど有り得ない。エルドは俺の友達だ。俺と共にディア・ノクトを探索するのが好きな少年で、手に入れた情報を俺に残らず教えてくれる存在だ。勝手にいなくなるのは許さない。

 もしそれを邪魔する人物がいるのなら、それは俺の敵だ。そう思ってエルドの行方と彼が消えた原因であろう犯人を探していたのだが。


「どうして、姉さんが」


 二年もの間成果がないばかりか、まさか家で姉が殺されるとは思ってもみなかった。

 血溜まりに横たわる姉はそれでもなお美しく、口元に薄らと浮かぶ微笑は彼女がただ眠っているだけなのではないかと錯覚させる。だが、恐る恐る触れた頬は生きている人間では有り得ないほど冷えていた。胸元には虚ろで巨大な穴がぽっかりと口を開け、姉が心臓を抉られて死んだことを示している。横に無造作に転がっているのが、きっと抉られた心臓だろう。

 俺は這うように姉の心臓に指を伸ばし、彼女の頬にそうしたように触れようとした。だが不意に強烈な殺気を感じ、勢いよく立ち上がる。


「誰だっ⁈」


 鋭く声を張るが応えはない。だが、確かに人の気配を感じる。恐らく二人。彼らが姉を殺した犯人で間違いないだろう。目撃者である俺を殺しにきたのだ。

 殺されるわけにはいかない。俺にとっても、やっと見つけた犯人だ。やつらの正体を知り、姉を殺した理由と、もし関連があるならエルドの居場所も吐いてもらう。

 張り詰めた空気の中、最初に動いたのは襲撃者の方だった。が、やつらは俺を攻撃せず、あろうことか床に転がっている姉の心臓を狙ってきた。

「なにっ」


 心臓が転がる。勢いよく床を滑り、部屋中を血だらけにしながら何故か開いている窓の向こうへ——。

 落ちそうになる心臓を見て、俺は思わずその落下を阻止しようと動いた。その瞬間、後頭部に火花を散らすような衝撃が走った。

 殴られたと思った時には、もう視界が暗くなってきていた。俺はせめて襲撃者の正体を知ろうと足掻く。

 背後に立つひとりは分からない。ただもうひとりは、ほんの一瞬だけ青く揺れる髪が見えた気がした。


 *


 目を開けた瞬間、後頭部が酷く痛んだ。俺はまだ生きているらしい。

 同時に一連の記憶も夢ではないと確信し、ズキズキと響く痛みを堪えながら飛び起きる。さっきまで俺を襲った襲撃者がいたはずだ。彼らは、姉を殺した犯人である可能性が高い。奴らはどこにいったのか。俺は部屋全体を隈なく見渡す。だが、ここに俺以外の人間の気配はなかった。


「逃げられた、か」


 俺はため息を吐く。その時、とんでもないことに気づいた。


「え、姉さんの死体がない⁈」


 身体だけではない。あれほど溢れ床を汚していた赤黒い血液も、無造作に転がっていた心臓もどこにもない。まるで全部嘘だというように、姉が死んだ痕跡の一切が消えていた。

 まるでいつもの家。変わったことといえば、窓際に転がっている謎のオブジェくらいだろうか。


「これは・・・・・・」


 それは、手のひらに乗る大きさの石像に見えた。姉のものだろうか。池に横たわる女性の像というのは少し珍しいように思う。長い髪を水面に広げ、両手を胸元で組んで目を閉じた女性の姿は姉によく似ていた。冷たい石の感触で死んだ姉の頬に触れた時のことを思い出し、俺は小さく息を呑む。思わず落としそうになった石像を両手でしっかりと掴み、視線を床に落とした。

 姉は死んだ。俺は確信している。未だ己の手が、指先が覚えている。

 死体が消えたのは、誰かが持ち去ったからだ。恐らく、殺した奴らが。


「探さないと」


 ぽつりと言葉が零れる。姉を殺し、死体を持ち去った犯人を探さなければならない。それは俺の敵だ。排除すべき存在だ。そうでなければ安心できない。


(まずは、奴らの居場所を突き止めて・・・・・・)


 俯いたまま己の思考に没頭する。時を止めたように静まり返った部屋で、俺は自分の深いところに潜っていく。俺にできることは少ない。しかし、信じなければ願いを叶えるスタートラインに立つこともできないことを知っている。だから今は、するべきことが絶対にできるという確信を。

 思考がクリアになっていく。が、いかんせん情報が少ない。謎の石像の他に、何か奴らの手がかりになるものはないものか。俺は改めて部屋を見渡した。

 その時、静寂を切り裂いてポーンと軽い電子音が響いた。


「何の音だ。・・・・・・メッセージ?」


 俺は音の出所を探り、それが机に置いてあるモニタに届いたメッセージであることに気づく。この「コンピュータみたいなもの」にメッセージを送受信する機能があることは知っていたが、長いこと使っていないので音なんか忘れていた。

 懐かしい音だった。エルドとディア・ノクトを探索していた頃、彼と連絡を取るのに使っていたから。しかし、この状況において最も不釣り合いな音でもある。姉が死にエルドの行方も分からないままである今、俺にメッセージを寄越す人物なんていない。

 一体、誰が何のつもりでこんなことを。警戒しながらメッセージを開いた俺は、モニタに映し出された内容に息が止まりそうなほど驚いた。

 それは、酷く簡潔なものだった。タイトルはなし。本文はたった一行。


『オレを覚えているか、シン』


 差し出し人は、「エルド」と書かれていた。

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