詩集 生的デッサンとガーネット

Déformation

　これは、生（せい）の円環を逸（はぐ）れた詩（うた）。砂の嵐に乗ってやって来た天界からの十二人の使者が、地球上の麻酔銃（アネスシージャ）に胸を撃たれ、水星人（レ・メルキュール）の祖先となってから二千年ほど経った頃、刻（とき）の石板に書き遺された詩である。

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　その日の午前二時辺り、叢（くさむら）に踊っていた二匹のピラニアが、まるで真珠のような顔をした少年に飛びついて全身を喰らい、まんまと殺してしまった。仰向けに倒れた死骸の眼窩（がんか）には早くも蛆（うじ）が湧き、前日の長雨のせいですっかり泥濘（ぬかるみ）を帯びていた大地の肌は、殆（ほとん）ど骨だけに変わり果てた少年の背中にぬめりぬめり（・・・・・・）と染み込んでゆく。

　「やれやれ、コイツはあんまり旨くなかったなあ」

　「ああ、まるで『創造性』とかいうやつを喰ったときみたいだったな」

　殺人犯たちが話していると、空が着ている重苦しい灰色のシャツから、ポタリポタリと落ちるものがある。

　「おや、また雨か？」

　「めんどくせえ。急いで『道徳』の海に戻らねえと、また親方にこっぴどく（・・・・・）言われちまうぞ」

　「『道徳』？　一体どこだそりゃ」

　「俺たちの生活している海のことさ」

　「……ああ、あの分厚いカーテンでいつも閉めきられていて、よくわかんねえけど何だかキナ臭いことこの上ない（・・・・・）もんで喰えやしないアレか」

　……おお、哀れな紅梅雨（べにつゆ）よ、あなたは未（ま）だ、もうしばらく、その華奢な身に安寧の衣を纏えそうにない。

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　ちょうどその頃、白銀のスプーンの皿の上に座禅の仕草で慎ましく座りながら、自分で編み出した独特な瞑想に耽（ふけ）る一人の少女がいた。傍らには「意識」と名付けられた狼が、お気に入りのシューマンを聴きながら、或る道（シュマン）のイデアの氷漬けを、夢（トロイメライ）の中でバリリバリバリと噛んでいる。

　　　　　　月は枯れ

　　　　　　割れた風の音（ね）

　　　　　　我は哭（な）く

　　　　　　夢の重味（おもみ）に

　　　　　　堪えかねてと云い

　少女の額（ひたい）の奥に住む惑星の住人 ─── どうやら嘗（かつ）て誰かの頭に香油を捧げたことのあるご婦人らしい ─── がそんな歌を詠むと、少女は驚いて狼に向かって尋ねる、枯れた月は何処（いずこ）へ行くのか、と。

　「月は」

　道（シュマン）に噛み飽きて目が覚めた白毛の狼は応えた。

　「月は、枯れてもなお、神の奏でる聖なるギターとなって、人間の生命の伴奏を担うのだ」

　「神様は何故人間をお造りになったのでしょう？」

　「それに答えを出してしまうほど、人間は愚かではない」

　「いいえ、全てに答えを出そうとするくらいには充分に愚かですわ ───」

　少女が最後まで言い終わらないうちに、白銀のスプーンはたちどころに鉛色に変わり果て、皿という首（あたま）が柄（え）からゴロゴロと落ちて、しかし少女と狼の体（ソウル）は載せたまま、地の底、遥か深くへと墜ちていく、墜ちていく、墜ちていく……。

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　「やや、こいつぁ驚いた！……雨だけに止（とど）まらず、赤毛の少女に白毛の狼まで降ってきやがった！」

　彼（か）のピラニアの片割れがそう言うのを、確かに聞いた気がする。しかし、それよりも先に自分のサファイアの瞳が捕らえた白骨の塊に注意を　すうっ　と吸い込まれていた少女にとっては、別にどうでもよかった。狼は叢の泥濘に凛として降り立ち、夢の中からポコリと飛び出した例の氷漬けが刻（とき）の心臓に冷え冷えと絡みつくのを、眼前にまじまじと眺めている。

　──── Qu'est-ce qui（いったい何が） se passe ici（起きているの） ?

　──── Je ne sais pas（分からない）.

　そんな会話を聞きつけたピラニアたちは、徐（おもむろ）に口をへ（・）の字にして訝（いぶか）しむ。

　「おい、そこのご両人、お前たちは一体何者だ？　何処（どこ）から来た？」

　「私たちは『地球』という国（・）に生まれ、『理性』という主人に仕え、『時代』という透明な鋏（ハサミ）に切り取られながら生活していたのですわ」

　すると、何処からともなく悲劇的に嗄（しゃが）れた歌声（ソプラノ）が聞こえてくる……

　　　　　　雨　止むことを知らず

　　　　　　穏やかならぬ川となりて

　　　　　　低きに流る　世界に変る

　　　　　　人間（ヒト）は溜め息に溺れ

　　　　　　その紫煙は天の星屑を殺め

　　　　　　────

　「ああ、また歌ってやがる！」と、二匹のピラニアは声を揃えて呆れる素振り。

　「あれはいったい何ですの？」

　「親方が云うには、この宇宙に潜む、太古の『魂』なんだとか」

　「魂……！」

　大きく声を上げたのは、白毛のすっかり泥に汚れた狼、「意識」。……すると、それはお前たちが思うような戯れ事ではない、とのみ言い残し、土砂降りの雨の中、水銀（メルキュール）の悪臭（ピュアントゥール）の揺れる西の方角へと、ただ独り去っていった。

　二匹のピラニアと少女の姿は、いつの間にやら雨にすっかり融けてしまって、死色（しにいろ）の泥濘（ぬかるみ）を更に潤している。

　親方の行方は、もう誰にも分からない。