第7話 暗闇に差す、一条の光

 その夜――

 与えられた部屋で少年ライクは目を覚ました。


 窓から差し込む月だけしか明かりはないが、それでも部屋の広さがよくわかる。自分が横たわっていた寝台の肌触りがよく、質の高さを感じる。

 本当に良くしてもらった。

 クローズの命令で食事も水分も抜き、フラフラになっていたライクは演技ではなく本当に気絶した。


 正体不明の子供。


 そんな見ず知らずのライクを彼らは見捨てるような真似はせず、屋敷に連れて行って手厚く介護をしてくれた。


 その合間に、当主のカルが尋ねてきた。


「どうして、こんなところを1人で歩いているんだい?」


「あ、あの……父さんと一緒だったんですけど、モンスターに襲われて、俺を助けるために父さんは――」


 クローズから吹き込まれた嘘だったが、彼らは疑うことなく信じてくれた。


「様子を見に行ったほうがいいのかな? どこだい?」


「その、逃げ回ったので、よくわかりません……」


「そうか。なら今日はもう遅い。明日にでも様子を見にいくよ」


 ライクはほっとした。変に気を使われて急いで調査されると嘘がバレてしまう。

 今日だけ、誤魔化せればいい。

 本当によくしてくれた。心の中は感謝の気持ちでいっぱいだ。こんなに柔らかくて温かい幸せを感じたのはどれぐらいぶりだろうか。


「でも、ごめんなさい――」


 嗚咽で崩れかけた声をライクは吐き出す。

 裏切るのはとても辛い。

 だけど、そうしなければクローズに父と母は殺されてしまう。


(それだけは……それだけは!)


 こぼれそうになる涙を、目をギュッと閉ざしてこらえた。


 やらなければならない。

 ライクに選択肢は存在しないのだ。


 ベッドから起き上がり、かついできたバックパックの中から1本の短剣を取り出した。ずしりとした、7歳の少年であるライクには震えそうになる存在感と重量感があった。


 ――もしもの時はそいつで刺せ。なぁに、子供だから油断してるよ。


 そういってクローズに渡されたものだ。

 手荷物検査をされると面倒になるアイテムだが、父親から護身用に渡されていたと言って逃げるつもりだった。

 ライクは窓辺に立ち、そっと外に視線を送る。


 周囲に人影はいない。


 何度か息を吸って吐き、気分を整えてから、そっと窓を開けて外へ出る。

 夜は静かで、何者も存在しない静謐さがあった。

 だが、ライクは知っている。少し離れた場所にクローズの一味が潜んでいて、結界を解除したとライクが合図を出せば突撃してくることを。

 その後、何が起こるのか。

 そう思うだけで、ライクの背中は震える。


(せめて、彼らの命だけは助けて欲しいとお願いしよう……)


 それを免罪符にして、ライクは屋敷に沿って歩き出した。


 目指しているのは屋敷の裏手。

 そこには、大きな円柱状の建物が建っていた。

 クローズの話だと、これが結界を発生させているアーティファクトだ。


 ――お前の役目はそいつを止めることだ。


 アーティファクトには緑のランプがついていて、その直下に手のひらサイズの押しボタンがある。それを強く押せばランプが赤に切り替わり、結界が止まるらしい。


 あれを押せば、あれを押せば、あれを押せば――

 さっき頭をよぎった凄惨な状況が起こる。


 この家は地獄になるだろう。

 前に、ライクが体験したかのような。


 それを想像して、ライクの体は震えた。きっと一生後悔するようなことが起こってしまう!

 だが、ライクには抗うことができなかった。悩める意思とは逆に、両足が前へと進んでいく。


(父さんと母さんを助けなきゃ、父さんと母さんを助けなきゃ……)


 結局のところ、ライクに選択肢など存在しなかった。

 あともう少しで操作盤に届く――

 そんなときだった。


「ねえ、そこで何をしているんだい?」


 声が頭上から落ちてきた。 

 ドキリとしたライクは、慌てて視線を上げる。

 そこに人影がわだかまっていた。

 夜空を背景にして、円柱のへりに誰かが座っていた。


「なんだか怪しいなあと思ったらビンゴだったね。嫌な予感は当たるもんだ」


 そんなことを言いながら、人影が立ち上がる。


「よっと」


 直後、


「少し話をしようか」


「え!?」


 上から落ちてきた声が、今は後ろから聞こえてきた。慌ててライクが振り返ると――

 そこに貴族家の少年が立っていた。

 黒髪黒目の少年だ。昼間はライクに話しかけてくることなく、じっと見つめてくるだけだった。その瞳の捉えどころのなさに嫌な予感を覚えたが、ライクは気のせいだと深く考えなかった。

 その少年が目の前に現れて、問う。


「こんなところで何をしているんだ?」


「あ、あ……」


 ライクは底知れない恐怖を覚えた。


 何が起こっている?

 何が起こっている?


 同じ年くらいの少年が、あんな高さに登っていたのも驚きだが、一瞬にして背後に現れたのは理解すら不能だ。


 どうしてそんなことが?

 化物以外の何者でもない。


 この人は何者なのだ?


(魔法、魔法なのか……?)


 ライクは貴族だけが使えると噂される力だと思い、ガタガタと震えた。

 そんなライクの心理など構わず少年は問い続ける。


「何がどうなっているんだ?」


「う、うわあああああああ!」


 ――もしもの時はそいつで刺せ。なぁに、子供だから油断するよ。 


 ライクは持っていた短剣を引き抜いた。そして、ぶつかるような動きでコウに襲いかかる。


「――!?」


 瞬間、世界が回転した。

 いや、正しくは放り投げられたライクの体がくるりと回ったのだ。


「かはっ!」


 肺から呼吸が飛び出た。背中の激痛のせいでライクは顔をしかめる。


「くあ……魔法使いに、勝てるはずが……」


「いや、僕は魔法が使えないんだ」


 意味不明な言葉が急に入り込んできてライクは混乱した。


(魔法じゃ、ない……? なら、なぜこんなに強いんだ……?)


 人外にある力。そんなものを想像してライクは震えた。そんなライクの顔をコウの両目が覗き込む。


「大丈夫そうだね」


 そう言ってから問いを続けた。


「で、何が目的?」


 ライクの目から涙がこぼれた。それは心が折れたことの証しだった。

 もう何もできることはない。

 父も母も殺される。

 そして自分もこの少年に――

 だからライクは自分の知っている全てを口から吐き出した。


「全部嘘なんです――」


 静かに聞いてから、少年は大きなため息を吐いた。


「なるほどね――」


「……許してもらえないことはわかっています。殺すなり突き出すなり好きにしてください。もう生きていても仕方がない――」


「死ぬべきなのは君じゃないよ」


 その言葉とともに、視界を占めていた少年の顔が消えた。


「……え?」


 少年は地面に転がっているライクの短剣を手に取った。


「そいつらはどの辺にいるんだ?」


「あっちですけど……え?」


「後は任せて」


 ようやく少年の言わんとしたことを理解した。真っ青になったライクは傷む体を起こし、少年にすがりついた。

 この少年は確かにすごい。

 すごいけど――


「ダダ、ダメです! そんな! 死んじゃいますよ!」


「ただの盗賊くらい、負ける気はないかな」


 直後、ライクの腹に激痛が走った。少年が当身を喰らわせたのだ。


「うっ!?」


 ライクの意識が急速に薄れていく。そこに少年の声がするりと聞こえてきた。


「君の悪夢を終わらせてくるよ。だから、もう少しだけ眠っておいて欲しい」

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