アイシテミル?
九JACK
い
きーんこーんかーんこーん、きーんこーんかーんこーん、きーんこーんかーんこーん、きーんこーんかーんこーん……
普遍的なメロディラインの予鈴が鳴る。うだるような暑い夏の日。これから学生たちは夏休みを迎える。
そんな意気揚々とするはずの、夏休み前登校日の朝、だっだっだっ、と廊下を全速力で走る男子生徒が一名。暑いというのにカーディガンを羽織り、一人だけ別次元にでもいるかのように顔色が悪い。顔立ちは整っており、今時で言うところの塩顔男子に相当するだろう。髪が長めなのも似合っているので、女装映えしそうだ。
……というのはさておき、その走りっぷりはあまりにも必死すぎて、周りの目を引いた。周囲の彼を知る人物は大体、こう思ってるにちがいない。「こいつ、こんなに速く走れるやつだったっけ?」
ただ一つ、注意すべき点があるとすれば。
「鹿谷! 廊下は走るな!」
仰る通り、どこの廊下も走ってはいけない。小学校で大抵は習うマナーである。無論、睦は中学生、そんなことは承知している。
「すみません!!」
謝りこそすれど、睦は擦れ違う人々をひょいひょいと避けて走り続ける。先程注意した教師が更に怒鳴る。
「廊下は静かに!」
お前が言うな。
と、睦がおっとっと、と急ブレーキを踏むように止まった。そこは「二年六組」とプレートがある。目的地のようだ。
が、睦は入ろうとする前に思い切り噎せる。見ていた生徒が「あーあ」とでも言いたげな残念そうな目で見た。
ここに来るまでの睦の体捌きは見事なものだったが、睦はスポーツ系統の人間ではない。どちらかというと、普段から大人しくて、教室の空気になっているタイプの人間だ。
そんな人間が突然全速力で廊下を誰ともぶつからずに走り抜けるという荒業を披露したのだ。体に負担がかかっていないわけがない。これが睦のモテない理由である。
結構派手に咳き込み続ける睦の様子に六組の中がどよめく。途中経過を見ていなかった者からしたら、何事、という話である。
「あらあら、大丈夫ですか?」
六組の教室の中から出てきたのは、今時珍しい姫カットの女子生徒。おっとりしていそうな雰囲気、柔らかそうな肌、優しげな声……そして年頃の男子が見ずにはいられない破壊力のある胸元。彼女が出てきた瞬間、廊下にいた大半の男子は幸せに召された。
学年きっての美少女とされる彼女の名は
「あらぁ、むっくんじゃないですかぁ。顔色が悪いですよ? ああ、それより落ち着くためにお茶を飲みましょうかね。ちょっと待っててください」
とてて、と教室内に戻り、箕輪は水筒を持って出てきた。
よくあるキャップがコップ代わりになるタイプで、箕輪はそれに水筒の中身を注ぎ、はい、と睦に渡した。
睦は受け取り、息も絶え絶えにありがとうございます、と告げると、くいっと一飲み。
ごくり、と喉仏が動いてから一言。
「にっが!?」
睦の反応にあら? と箕輪が小首を傾げる。
「ただのドクダミ茶なのですが……」
「ドクダミ!? この時期普通麦茶とかじゃない!? 熱中症対策に麦茶を飲むのはちゃんと栄養分的な理由あるんだよ!? そりゃドクダミも効能あるって聞くけどね!?」
「えー? 苦味を嗜むのは大人の味覚になるための第一歩じゃないですかぁ」
「確かにそうだけれども! 普通コーヒーから入るでしょ!?」
ドクダミ茶というのが、ハイセンスというか、独特の感性である。
「でも、学校はコーヒー持ち込み禁止ですし……」
お茶はOKだが。確かにOKだが。箕輪はどこかずれたお嬢様である。
「と、それはさておき、用件は何ですか? 朝のホームルーム前に全力疾走で私のところまで走ってきたということは、またフェイス関連の依頼とお見受けしますが」
「そうなんだよ……市瀬さんも双海くんも捕まらなくてさ……」
ちなみにであるが、睦は二年一組である。今名前の出た二人は二年三組に所属しているが、会えなかった。故に、一組から一番遠い六組まで走ってくることになったというわけだ。
箕輪は困ったように眉をひそめ、顎にちょん、と人差し指を当てて悩ましげな様子で言う。
「ひーちゃんも爽くんも、生徒会で忙しいですからねぇ。致し方ないことではありますが……今回はどういったご用件で?」
「実はね」
睦が自分の斜め後方の中空を指す。
「幽霊に取り憑かれちゃったんだ……」
睦の告白に、箕輪は目をぱちくりとする。
睦は霊感があり、霊障に当てられることがしばしばある。それは箕輪も知るところだ。類稀なる能力を持つ代わりに幸薄い、それが鹿谷睦という少年なのである。
しかし、箕輪の論点は違った。
「今、幽霊と仰いました?」
「え、はい」
「どの辺にいらっしゃるのです?」
「この辺……」
斜め後方を指差しながら、睦は嫌な予感がする。
箕輪の顔はぱあっと輝き、睦が示した部分に手を伸ばす。……つまり、幽霊に触ろうとしている。とても常人の思考回路とは思えなかった。
霊障に当たるかもしれない、というのに、睦は箕輪を止めることはしなかった。またか、と思うだけである。
要するに、いつものこと。
箕輪は幽霊に触れた。
「わあ、すべすべしてますねぇ。女の方ですかぁ」
幽霊の性別を触った感触だけで当てた。
──鹿谷睦が取り憑かれた幽霊は女性の霊。見た目年齢は自分たちに近い気がする。ただ、特徴的なのが、綺麗な金髪とミントグリーンの瞳。日本人には見えない。
睦はこの幽霊をどうにかしてほしいのだが、別に触って確認してほしいとは頼んでいない。一応言っておくと、箕輪はオカルト好きではない。ただ単に幽霊に触るという特殊すぎる能力を持つのみである。
そして、彼女の特異性はこれだけに留まらない。
「うーん、何が合いますかねぇ。やっぱり、この時期はさっぱりとした黒酢でしょうか」
食す気である。
「箕輪さん、黒酢って……」
「あらぁ、幽霊なんて、ところてんみたいなものでしょう?」
この言葉を箕輪美月ファンクラブの男子たちが聞いたら、千年の恋も冷めたかもしれない。
箕輪は「食」に対して異様なまでの執着を持つ異常な少女なのだ。
『縺ィ縺薙m縺ヲ繧薙▲縺ヲ菴包シ』
少女がよくわからない言語を発する。もちろん、周りには聞こえていないし、箕輪にも聞こえていない。睦がはあ、と溜め息を吐いた。
「ところてんは食べ物だよ。つるつるしてる。よく黒酢かけて食べるんだ」
「健康にいいと聞きますね」
聞こえていないが話を合わせる箕輪。この辺りが他にはできない気遣いだ。でないと、睦は変な独り言を言っていることになってしまう。
睦は遠い目をした。箕輪美月はとてもいい子だ。こういった気遣いができるし、話しかけやすいし、可愛い見た目をしている。これで「幽霊はところてん」発言や、校則違反じゃないから、とドクダミ茶を持ってくるようなネジの外れ方をしていなければ完璧なのだが。
「この世に完璧な人間なんて存在しませんよ?」
「心読まないでくれるかな、箕輪さん」
箕輪のにこにこ具合がむしろ恐ろしかったりする。
「それで、この幽霊さんに取り憑かれて、むっくんはどのようにお困りなのでしょう?」
話題を本題に戻してくれた。睦は危うく忘れるところだったので、少し感謝してから、語り始めた。
「都市伝説の『ティアちゃん』って知ってる?」
その問いかけに箕輪はきらきら笑顔で応じる。
「いいえ!」
きらきらするほどの話でもないのだが……と思いつつ、睦は続けた。
「この街近辺に伝わる都市伝説の『ティアちゃん』はどこからともなくふっと現れる幽霊なんだ。地縛霊なのか、浮遊霊なのかははっきりしてない。ただ、特徴的なのが、『いつも泣いている』ってことなんだ」
「というと、今も泣いていらっしゃるので?」
「うん」
睦の笑顔がひきつった。今睦の斜め後方で泣いているティアちゃんは都市伝説の謂われから泣いているというより、ところてん扱いされて食べられそうになったトラウマになりかねない出来事の直後だから泣いているように見える。
この都市伝説と箕輪とどちらが怖いのだろうか。
それはさておき、睦は続けた。
「ティアちゃんは泣きながら現れて、あまりにも泣いているものだから、不思議に思って『どうして泣いているの?』と聞くと、『あなたが死んじゃうから泣いているの』って答えるわけ」
「あら……バンシーという精霊に似てますね」
何故地元の都市伝説より北欧系の精霊の方が詳しいのか。
バンシーとは、「死を宣告する精霊」で、まあ、確かにティアちゃんと似ている。が、決定的な違いがある。
「死を告げる精霊バンシーは本当に死を知らせるだけだけれど、ティアちゃんは違うんだ。問いかけてきた人を殺すって言われてる」
「まあ! 人の良心に浸け込んで自らの糧とするタイプの幽霊さんなんですね。ひどいです」
真っ当なことを言い始めた。が。
「でも、嫌いではないですね」
箕輪の一言に睦がずこーっとこける。それはそうだろう。少なくとも今の流れは「嫌いではない」という台詞が出てくる場面ではなかった。
「人を弄して抹消す。実に都市伝説らしい、天晴れな様相じゃないですか。そんな方とお知り合いだなんて、むっくんも隅に置けませんねぇ」
「隅に置けないの使い方間違ってると思う」
サイコパスを感じられる箕輪の発言。これが睦がこれからある依頼をしようとしている組織の中で一番話を通しやすい人間だというのだから、先が思いやられる。
「でも、そのティアちゃんにむっくんが取り憑かれてしまっている、というのはなかなか厄介な状況であるのは理解しました。夏休み前日ですし、終業式が終わればひーちゃんとも話せるでしょう。私の方から話を通しておきます。調査は夏休みが始まってからになるでしょうが、かまいませんか?」
「はい。ありがとうございます、箕輪さん」
睦が居ずまいを正すと、箕輪はふふ、と微笑んだ。
「そんな畏まらなくていいんですよ? お友達を助けるのは当然のことです。遠慮はいりません」
「本当にありがとう」
このときばかりは睦も、箕輪が友達でよかった、と思うのだった。
それから、睦は大急ぎでホームルームのために教室へと戻った。
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