第5話 願い事


「叶えてやるの? やばいこと言ってたけど」

「何言ってんの。可愛いお願いだったじゃん!」


 立ち去る彼女を訝しげに見送る狼は、願い事の内容を聞いている間も警戒オーラ満載だった。

 彼女の願いは至ってシンプル。『好きな人を振り向かせてほしい』と頬を染めて願った彼女を、堕天使はとても可愛らしいとさえ感じたのだ。


 狼が言うヤバいこと、それは彼女が開口一番『呪って欲しい人がいる』なんて物騒な願い事を口にしたからだろう。

 それを聞いて『おもしれー女だ!』と堕天使は陰ながらテンションを上げていたのだけれど。

 


「他にも、何かしてただろ」

「ん?」

「何かしたってのはわかる」


 堕天使の魔力の源は、彼だ。

 表向きには、堕天使は狼と共に『注目される』魔法を彼女にかけた。加えて他の魔法をかけたのを、彼は感覚で分かってしまうようだった。


(ま、言っても良いか)

 

「友人になって貰ったの」

「魔力を使って?」

「そう。これで、私とベルは友達! 人間の感情の動きを近くで見るには良いタイミングでしょ?」


「いいの?」


 じっと堕天使を見る瞳は真っ直ぐな黒。深く、惹きつける黒が光を吸収しているかのようだった。目の前に居る狼の瞳は光を映しているというのに。重なる自分の姿が、やけに後ろめたいのだ。


 堕天使は問う。

 

「……知ってるの? 記憶の改ざんが、大罪だって」

 

「知らない」

「おーっと、これは失言!」

「思ってないだろ、それ。わざとだ」


(勘が働くな。野生の記憶が残ってるのか?)


 そもそも堕天使は、彼が野生の狼だったのかさえ知らないけれど。

 騙す、なんて経験はしたことがなかった。する必要がないからしないのもあるし、天使だったからしなかったとも言える。今、この狼を騙す必要もない。


 

「私は今後も罪を犯すと思う。それでも、私と一緒にいる?」


 口約束とはいえ、一緒に居ようと告げた後にこんなことを言うのは卑怯だろうか、と堕天使は思う。これすらも、見方によっては『騙された』と彼は感じるだろうか。


 今も尚、堕天使が持つ興味の矛先は、感情へと向けられている。

 

 

「ねぇ、俺の願い事を叶えて」


 堕天使の手を取って彼は言った。質問の回答以外の返事。しかも、願い事をすると彼は言う。


「君、学習能力高いね? 『魔法使いに巡り合えたら、願い事を』だもんね。いいよ、言ってごらん」

「ふたつ」


 あは、と聞こえた笑い声が自分自身からだったことに堕天使は少し驚いた。口元を手で押さえ、くすくす笑う。地上に堕ちてから、彼女が笑ったのはこれが初めてだ。

 

「いいよ? 願うのは自由だもの」

「俺にも、名前」

「そうだ。私も君から名前を貰ってるんだった。考えとく」

「ありがとう」

「こちらこそ。もうひとつは?」

 

「俺の記憶と、気持ちを変えないで」



(先手必勝、か。狼は頭が回るらしい)



「……さといね。いいよ、その願いは叶え続けてあげる。一緒にいる限り、ずーっとね!」


 他者への記憶の改ざんを目撃して、自分を守るのは当然だろう。誰だって記憶を失いたくはない。堕天使も、魔法知識まで創造神に奪われてしまったら発狂するに決まっているのだ。

 それに加えてを変える可能性に先手を打たれた。滅多に触れるところではないが、誰だって無闇矢鱈に触れられたくないところだ。

 

「うん。――俺も何か叶える?」

「君も魔法使いか。そうだなぁ」


 突然の問い掛けに、パッと頭に浮かぶ一言がある。

 

(それが、私が叶えて欲しい『願い事』なのか)


 こうして誰かに問われて初めて理解できることもあるのだろう。

 狼を手元に置くのは正解だ、そう心で呟いたメルトは狼を覗き込むように近付いて、黒い瞳を見つめて願う。


「君は、私に嘘をつかないで」

「誰かに、嘘を吐かれた?」


「嘘かはまだ分からない。また会おう、と言ったのに会えてない人がいるだけだよ」

「……誰?」


「私の、好きな人」

 

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