第3話 魔力は狼の中
意識が戻った時、堕天使の周りにあったものは生い茂る木の数々と、一匹の狼。
地に落とされ、自らが堕天使になったという実感より先に。
「どーしよっかな。この狼は」
正直、捨てても良い。
と、堕天使は思った。元々、奪われるものと考えていた黒天使の魔力を『鎖』と
あんな呪いの言葉を吐かれ、今もまだ殴りたい衝動に駆られていた。
(共に地上へ堕ちるように、って言われただけ。もう堕ちたんだから、
だが、利用価値があるのに捨てるのは、勿体ない気持ちが生まれてしまう。
そもそも、魔法石の代わりに、狼を魔力の器にするなんて。
(普通、
真っ黒い毛並みが自分と似ている。そう堕天使は思ったが、天界での姿と今の姿が異なることに気が付いた。狼を見下ろす視界の端に煌めく金髪は、堕天使の物らしい。新しい姿は、ゆるいウェーブのかかったロングヘアのようだ。
(お揃い、ではないな)
静かに狼を撫でてみる。触れると感じるのは、狼の体温。それと、黒天使の魔力。
ぱちりと目を開いた狼と、堕天使が目を合わせる。
沈黙。お互いに静止したまま、お互いを見つめていた。
堕天使が意思疎通魔法をかけようと狼へ
魔力はもう無い。魔法知識があっても、使うことはできない。
この狼に、黒天使の魔力が移されている。
(捨てよう。これを機に)
ガブッと静寂の中に音がした。
「ちょっ、と。何すんの」
腕を噛まれて気付いたのは、痛みがないこと。この狼が弱い力で噛んでいるのか、天使の力が残っているのか。恐らく後者だろう、と堕天使は予想した。
狼は低く唸り、腕を離さない。
「捨てられるの、嫌なの?」
噛まれた腕を引き、狼を引き寄せる。もう片方の腕で狼を撫でると、今は無い魔力を確かに感じる。
(ああ、本当にこの狼に、黒天使の魔力が詰められている)
近くに魔力があるのに、扱えないのは酷くもどかしい。歯痒さを解消するように狼の毛並みを掻き分けて、強く抱きしめる。
息が苦しくなるほど、強く抱きしめているようだった。さっき魔力を奪われたばかりなのに、身体の外にある魔力がもう懐かしく思える。
捨てられるのが『嫌』なのは、『寂しい』のだろうか。言語化されない感情を、察する魔法を操れても、魔力がなければ使えない。これでは『虚しい』だけだ。
「狼じゃなければなぁ」
ボンッ! ―― 音と共に、白い煙が舞う。
抱きしめていたはずの狼は消え、堕天使は少女に抱きしめられていた。
大人になりきれない、十代後半の年頃。雲の隙間から差しこむ陽光のような、金色の髪。ゆるいウェーブがかかったロングヘアには、見覚えがある。ハチミツを煮詰めたような瞳の色に、可愛らしい顔立ち。鏡や水面で確認していないが、おそらく、これが今の私の容姿なのだろう。
(これが、狼と考えるのが無難だよな)
「自分で変化した?」
「バウッ」
肯定とも、否定とも取れない返事は、人間の
(狼確定だな。何故、変化できた)
中身が狼の少女は白い腕を伸ばして、突然にぎゅーっと抱きしめてくる。
「急に何!? 意思疎通ができないの、本当に不便!」
「ん、あー。あ? いけた?」
音を調整するように声を出し、きょとんと覗き込んだ姿は言葉を発せているかを堕天使に確認するようだった。
「い、いけた」
(何だこの狼は。今は、もうひとりの自分というべきだろうか)
抱き締められた腕から逃げ、距離を取る。
「魔法が使えるの?」
「お前が言ったんだろう」
「私なの? 言っ、たって……、詠唱必須? 口に出せば、使えるってことかな。じゃあ、――
変化はしない。魔法を使った感覚も、堕天使は感じることが出来なかった。
「私じゃないな。私の魔力は、君に移されてる。私は魔力がないんだよ」
「さっき、なんて言った?」
「君の姿、私にそっくりだろう。まるで鏡のようだから、見た目を変えるように唱えたんだ」
距離を取っていた腕を押し分けて、少女はもう一度私を抱きしめて言う。
「めーくおば」
(唱えようとしてる? 魔法式の理解が浅いと、元素の反応は乏しいだろうけど。既に何度か魔法は扱えているし、出来るはず)
「違う。
ポンッ! ―― 堕天使が訂正を入れた言葉に反応したのか。再び、音と共に白い煙が少女を包む。
少女は消え、目の前には黒髪の青年が現れた。
堕天使の背中に回した腕を外して、感覚を確かめるように手を握り開く。自分の体の変化をくるくると見回るかのように狼は確認していた。
目元まで下りた黒髪が邪魔なのか、前髪を掻き上げて、青年は堕天使を見る。黒い瞳に移るのは、紛れもない自分だった。
「やっぱ私なの? ちょっと、もう一度繰り返して」
「めーくおーば」
魔法が発動されないのは理解が追い付いていないからだろう。落ちていた木の枝を使って、地面に魔法式と魔法元素のイメージを書いていく。
私が今まで培った魔法知識は
学んだ知識は、本人の特権だ。簡単にでも、彼に魔法の知識を植え付ける。
「外見を変えるイメージを、頭の中で持って。変化と装飾の魔法式を組み合わせるように――
木の枝が描く魔法式を、隣で大人しく眺めていた青年が呟く。
「
「詠唱は出来てると思うけど、理解が追い付かない?」
隣に座っていた青年は、突然に堕天使を抱き締めた。ぎゅっと力を込め、言葉を唱える。
「
青年は、また少女の姿に変化した。身長差がない同じ高さの瞳が、堕天使を見つめて言う。
「近くでなら、変われるっぽい」
触れていることが絶対条件、ということらしい。
「……私になるのは、やめて。さっきの黒髪の方が、君らしい」
「どうぞ?」
(唱えろと?)
「
堕天使は唱えた。
(狼に触れていれば、私は黒天使の魔力を扱えるようだ)
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