堕天使と狼

椎名類

第1話 元・天使

  


オオカミくん、魔法式の開示。そうだなぁ、お勧めはOp+r=t+オペレートorオア C-ntr=lコントロール


 水晶玉に手を翳した狼へ、堕天使は求めた。

 それは魔法を構築する理想式。それは、狼と呼ばれる青年が導き出す答え。魔法書と硝子の実験器具に囲まれた部屋で、堕天使は狼の思考開示を期待している。


 光を纏う水晶玉には、これからが魔法をかける対象者が映っていた。


 堕天使は、幾層に積まれた分厚い本を捲るように、記憶を辿って最適解を手繰り寄せる。愛すべき知識の森で、永遠に彷徨いたくなる欲求を抑えながら。

 

(だめだ。知識に潜り続けたくなる。抑え……るのに、甘い物は必須条件。この世界で私の心を掴んで離さないのは「感情」+プラス「甘い物」。=イコールで私の愛へ繋がるQ.E.D. )


 薬品の棚に紛れたチョコレートへ手を伸ばし、口に含めば甘さが沁みる。溶けるような甘さを簡易的に味わった堕天使へ、狼が言った。


「メルト。やっぱ、やめない?」


 翳した手を遠慮がちに引いた彼が、隣に立つ堕天使を覗き込む。ぱさりと揺れた黒髪は、かつての毛並みと同じ色。その躊躇いの瞳は、堕天使を映して揺れるように煌めくのだ。


(この瞳が、出会った時から好きなんだよなぁ)

 

 理由を数える必要もないだろう。出会った時から、この瞳は一度たりとも変わらない。

 今現在も自然に人間の形を保つ彼は、正真正銘の狼だ。『元』狼、と言うべきか。

 

「理由は?」


 彼の背中に当てていた右手を離し、首を傾げる。


「人間界に干渉しすぎ。帰る気ないの、天界」

「ないね! あるわけない!」


 何を今更とばかりに、笑い飛ばす。答えて欲しいのを、堕天使は知っていた。


「……なんで」


 これは、狼の好きな遣り取りだ。というより、欲しい答えが明示されるまで、彼は待っているのだろう。今迄にも同じ会話をして、同じような苦い表情を魅せる彼を、堕天使は何度も記憶している。

 甘さと反対の感情それも愛している堕天使は、狼の望む答えを渡さない。


「会いたい人がいるから、だよ」


 そう言うと、決まって狼は苦みを増した顔をする。苦しいのか、憎らしいのか。『言いたいことがあるなら、声に出して良い』と彼に伝えても、これは何も言わないのが常だ。


(救いようがない。口に出せば『元天使』の気まぐれで、助けるかもしれないのに)


 堕天使は言葉を繋げる。


「聞きたくない言葉ほど、聞きたい?」


 これは、意地悪をした。

 

 危険な恋に心躍り、甘い誘惑に負けるは人間のさが

 だが、人間に限った話でもないだろう。天使も、狼も、例外ではない。


 愛に呪われた天使は、愛を纏って堕天使となったのだ。

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る