第104話 雷鳴
「そろそろやりますよ。……構いませんか?」
エミリスは、ファモスの軍が視界に入るかどうか、というところまで侵攻してきたのを確認して、攻撃の許可を彼に取る。
「……ああ、頼む」
彼が頷き、彼女の頭をそっと撫でてから少し離れる。
エミリスは笑顔を見せていたが、すっと真剣な表情に変えて、しっかり前方を見据えて集中する。
「……むー」
彼女の髪がざわつく。
近くにいる彼にも空気の揺らめきが肌で感じられる。
――ポツッ。
「ん? 雨か……?」
ふと、アティアスは雨粒が頭に落ちるのを感じた。
空を見上げても、青空が広がっていて、とても雨が降るようには見えない。
――ザーッ!
しかし、やはり雨のようで、土砂降りの雨が正面のファモスの軍に降り始めた。
その一部が2人のところにも少し飛んできているのだ。
「まさか……」
視界が阻まれるほどの雨が降り注ぐ。
ただ、しばらくするとその雨は上がった。
「それじゃ、行きましょうか」
それを見届けたあと、彼女は彼に手を差し出す。
その小さく柔らかな手を取ると、彼女はそのまましっかり握った手を引くように、地面を蹴る。
そして、地面ぎりぎりを滑るように、ファモスの軍の方に向かって飛んだ。高く飛ぶと目立つのを避けたかったのだ。どちらの軍からも。
「これは楽だな」
「ふふ、走るより速いですからね」
ファモスの軍との距離を一気に半分ほどまで縮めて、一度降り立つ。
この辺りまで来ると、地面は雨上がりの様相で、水たまりもできていた。
「さて……」
一息ついて、彼女は改めて集中する。
すると彼女の前に幾つもの火柱が立ち上がった。
そして、その火柱はまっすぐファモスの部隊に向かって移動を始める。
――先ほど大量に降らせた雨を水蒸気に変えながら。
「霧か……」
アティアスが呟く。
彼女が放った炎が生み出した霧は、辺り一面を完全に覆ってしまっていた。
視界が全くないほどに。
「回りくどいですけど、直接霧を作るのは無理だったんです。……それじゃ、仕上げですね。」
軽く言ったあと、もう一度集中し始める。
周囲にあった小石がふわっと浮かび上がる。
「……行ってらっしゃい」
一言呟くと、無数の石が弾かれたように加速し、霧の中に飛び込んでいく。
そして、程なく悲鳴が聞こえてきた。
事前に霧で視界を奪った上に、そこに石の雨を降らせているのだ。
これでは対処のしようもないだろう。
「一度に降らせられる石だと、全員は狙えませんから。それだと反撃の可能性がありましたけど、これだと無理ですよね」
反撃されても大きな心配はないのだろうが、その心配を更に軽くしようとしたのだろう。
彼女は魔力で敵兵の動きを感知しながら、動く者を狙って石を何度も降らせ続ける。
正々堂々戦う……という戦い方ではないが、今はそれを気にしている余裕はこちらにもない。
なにしろたった2人で大軍に立ち向かっているのだ。殺しても良いなら手はあるが、それを避けつつ戦闘不能にしなければならない。
――そして、そのうち霧が晴れてきたころ、悲鳴は聞こえなくなった。
「そろそろ良いか? ファモスはどうなったかな……」
アティアスが呟くと、彼女が答えた。
「ひとり、真っ先に逃げた者がいました。敢えて狙わなかったのですけど、たぶんそれがファモスかなと」
「そうか。場所はわかるか?」
「もちろんです。まだそれほど離れてませんが、どうします?」
「そこに連れていってくれ」
「承知いたしました」
そう言うや否や、彼を抱きながらまた空を舞う。
今度は先ほどのように低くはなく、上空から下を見下ろすことができるほどの高さだった。
「えと、あれですね」
彼女が言う方向に目を遣ると、確かに一人の男がドタバタと走っているのが見えた。
「近くに一発撃ち込んで威嚇できるか?」
「はい。わかりました」
頷きながら、すぐに魔力を練って魔法を発動させる。
空に魔力で浮かんだまま別の魔法を使うのは、彼女にとってもかなり難しいことだと以前聞いていたが、今はそれを軽々とこなしている。
――ドンッ!
走る男のすぐ近くで、威力を抑えた爆裂魔法が炸裂した。
それに驚いた男が、躓いて尻餅をついたのが見えた。
その目の前に、2人は降り立つ。
「ご機嫌はいかがでしょうか、ファモス殿」
「――お前ら!」
アティアスが声を掛けると、ファモスは尻餅をついたまま、2人を見上げるようにして叫んだ。
「……兵を引くお約束だったと思いますが、どういうつもりです?」
――なぜ少し前進しただけで、その動きが見抜かれたのか。
わからないが、明らかに確信を持ってこの2人はこの場所にいることは確かだった。
そうでなければ、こんなタイミングで現れるはずがない。
ファモスは苦々しい顔をして唇を噛む。
だが、どうにかしてこの場を切り抜けなければならない。
「……どういうつもりだと? こちらはまだ何もしていない。一方的に攻撃してきたのはそっちじゃないのか?」
物は言いようだが、あくまで兵を前進させただけで仕掛けたわけではないと、そこを突こうと考えたのだ。
「ならば、なぜ兵を進めたのか、理由をお聞かせいただきたい」
「――――っ!」
それを問われて、言葉が詰まる。
素直に攻めるためと答えるわけにもいかないが、言い訳にできる理由を持ち合わせてはいなかった。
「まあいい。選択肢は選んでいただきましょう。ここで全員皆殺しになるか……それとも、ファモス殿、貴方の命令で兵をマッキンゼ領に戻すかの2択です。……後者の場合は、貴方はマッキンゼ卿に引き渡すことになりますが」
流石に全員を殺すつもりはなかったが、極端な選択肢を与えることで後者を選ばせたかったのだ。
「……どちらも嫌だと言ったらどうする?」
「まず、この場であなたには死んでもらいます。あとはゆっくり残りの兵たちと話をします。従わなければ死んでもらいますが」
その問いにアティアスはきっぱりと答える。
つまり、兵を引く以外に自分が助かる可能性はない、ということだ。
もちろん、その場合でも甥であるマッキンゼ卿に処刑されるかもしれない。しかし、親族でもあり恩赦される可能性も残されてはいた。
「……わかった。兵を引こう。部隊に戻るから同行してくれ」
「感謝します。……ただ、変なことをしようとしたら、その瞬間に命はないものと思ってください」
その言葉に、ファモスはごくりと喉を鳴らした。
◆
ファモスを先頭にして、2人がその後に続く形で部隊に向けて歩いていく。
「……アティアス様、周りの兵から監視されてるようですね」
「そうか。まだ何かやってくるかな?」
「かもしれません。ご注意を」
2人はファモスに聞こえないように、小声で耳打ちする。
周りの兵とは、最初に本隊から切り離された兵のことだ。そちらには攻撃しなかったこともあり、無傷で健在だった。
兵を引いてもらうためにファモスと向かっているという現状では、新たに攻撃するわけにもいかない。
ただ、巻き添えの可能性を考えれば、ファモスの近くにいる限り攻撃してくることはないだろうと予想していた。
――その時だった。
「――雷よ!」
突然、ファモスが背後の2人に向けて、雷撃魔法を放ったのだ。
とはいえ、エミリスが油断しているはずもなく、常に張っている防御魔法でその魔法は弾かれる。
「何のつもり――」
アティアスが叫びかけたとき、ファモスは続けざまに至近距離で魔法を放った。
――ドドンッ!
激しい音と衝撃が周囲に轟く。
詠唱をしていないことと、魔力を練る時間が短すぎることから、恐らく魔法石を使ったのだろう。
もちろん、その程度の魔法が2人に通じるはずもない。
しかし、それでもファモスは連続して3発、同じように爆裂魔法を使う。
結果、2人の周囲には土埃が立ち込め、視界が失われることになった。
「まさか――!」
その意図にアティアスが気付いたとき、チカっと閃光が走った。
その瞬間、視界が真っ白になった。
――そして、その周辺には雷鳴が轟いた。
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