第102話 返礼

「――お礼に来ましたよ」


 トーレスが目を開けると、そこには獣達を全く意にも介さずに立っている少女――エミリスと、その傍にはアティアスがいた。

 一瞬見間違えかと思ったが、二度見しても以前と変わらないその姿が目に入り、間違いなさそうだ。


「――大丈夫か⁉︎」


 アティアスの問いかけに、ナハトが慌てて答える。


「アティアス! どうなってんだ、これ!」


 周りを囲まれているにも関わらず、狼達が近づけないこの状況が異常に思えた。


「魔力で壁を張ってますので、ワイルドウルフ程度ならしばらく近づけません。……ミリーさん、腕を出してください」

「う、うん……」


 蹲るミリーは慌てて腕の怪我をエミリスに見せるように突き出す。

 エミリスがその部分にさっと手をかざすと、あっという間に怪我は消えて元通りになる。


「すごっ! あ、ありがとう!」


 その芸当に驚きつつも落とした剣をすぐに拾い、いつでも戦えるように準備するところが、やはり戦い慣れた剣士である所以だろうか。


「……アティアス様、とりあえずさくっとやっちゃって構いませんか?」

「ああ、頼む」

「承知しました」


 念のため彼に確認を取り、エミリスはそれまで無視していたワイルドウルフの方に視線を向けた。


 ◆


「……信じられん」


 その惨状を見て、トーレスが呆然と呟く。

 ナハトとミリーも声を出さないが、考えていることは同じだった。


 自分たちがあれほど苦労した獣達の群れが、ものの数分で全て地に倒れ伏した光景を見て、言葉も出せなかったのだ。

 正直、見ていても彼女が何をやったのかすらわからなかった。

 ただ彼女が周りとぐるっと眺めていただけにしか見えなかったのにも関わらず、狼が叫び声も上げずに次々と血を吐き倒れる光景は背筋が凍る思いだった。


 トーレスだけは大凡理解していた。

 彼女が以前から視線だけで魔法を操ることを知っていたこともあり、恐らくその延長線上にあるのだと。

 しかし、かつて自分が教えていた頃とは、まるで別人だ。

 その頃でも恐ろしいほどの成長速度だったが、あれからまだ半年程度しか経っていないにも関わらず、ここまでの力を身に付けていたとは……。


「とりあえず見える範囲は静かになりましたね。……アティアス様、次はどうしましょう?」

「まだ残ってるかもしれないし、怪我人がいたら治療しないとな。ナハト達も手伝ってくれ」


「あ、ああ。任せろ。……トーレス、ミリーも急ぐぞ」

「わかった」

「うん!」


 のんびりしている暇はない。

 急いで町の中を確認に走った。


 ◆


「これで全部か。……死者が出たのは痛いな」


 テンセズの町を一通り調べて回り、傭兵と町の兵士に9名の死者が出てしまったことをアティアスは嘆いた。

 ナハト達ですらあれほど危なかったのだ。他の傭兵達も相当苦労していたようで、助けに入る前に残念ながら命を落としてしまった者がいたのだ。

 ファモスと話をする前に、先に町へと助けに来ていればそうならなかったのかもしれないと考えると、判断を誤ったのかもと後悔する。


「残念だが仕方ない。まずは獣達を退けられたことを喜ぼう」


 残念がるアティアスに、ナハトが声をかける。続いてミリーが問う。


「それで、このあとはどうするの?」

「油断はできないが、恐らく今晩はもう攻めてはこないだろう。見張りをしっかりつけて、体力を回復させよう」


 離れたファモスの本隊からは町の様子はわからないはずだ。

 そうすると、行動するにしても明るくなるまで待機してからだと考えて、アティアスは答えた。


「そうだね。私達は入り口の付近で監視しているから、アティアスとエミーは休むといい。……疲れてるだろ?」


 トーレスがエミリスの様子を見ながら話す。

 彼女は朝にミニーブルから馬車で移動し、それからダライを経由してテンセズまで、ずっと働き続けていたこともあって、かなり眠そうにしていた。


「すまない。そうさせてもらうよ。……エミー、宿で休もうか」

「ふぁい……。すみません……今日はだいぶ疲れてしまって……」

「これだけ働いてくれたんだ。ありがとうな」


 アティアスは目を擦る彼女を背中に背負い、いつもの宿の方に歩き始める。

 それが心地よかったのか、彼女からすぐに寝息が聞こえ始めた。


 彼女は安心し切って、彼に身体を預けていた。

 いざ戦いになれば、あれほど他を圧倒する力を見せる彼女でも、こうしているとただの少女にすぎない。

 もう戦いではとても彼女には敵わないが、せめて安らげる場所を作ってあげることが自分の役目だと自覚していた。


 ◆


 エミリスは深夜に目を覚まし、ゆっくりと身体を起こした。

 宿に泊まった記憶は全くないが、周りを見渡すと、見覚えのある宿の部屋だった。

 そう、彼女がアティアスに初めて会った日の夜、彼が泊まっていた部屋がまさにこの部屋だったのだ。

 懐かしくも思うし、あれからこれほど目まぐるしい日々が待っていたとは予想もしていなかった。


 そのとき自分が暗殺しようとした彼は、同じベッドのすぐ横で寝顔を見せている。

 今なら容易く暗殺できるくらい無防備に。

 疲れていた自分を彼がここまで運んでくれて、更に着替えさせてもくれたのだろう。いつの間にか寝衣になっている自分を見て少し恥ずかしく思う。


 そっと彼の髪に手を伸ばす。

 少しツンツンしている感触が気持ちいい。


「……うん? ……エミー、どうした?」


 彼も目を覚まして不思議そうにエミリスに問う。


「いえ……。ふと目が覚めてしまいまして。アティアス様、運んでいただいてありがとうございました」


 起こしてしまったことを申し訳なく思いながらも、一言礼を言いたかった。


「そんなの気にしなくて良い。エミーがこれだけ頑張ってくれてるんだから。……俺はそのくらいしかできないからな。むしろ礼を言わないといけないのはこっちだよ」


 そう言いながら彼もベッドから上半身を起こして、彼女をそっと抱き寄せると、その髪を梳くようにしてゆっくり撫でる。


「ん……。ありがとうございます……。私、アティアス様に撫でられるの大好きです……」


 彼女は目を閉じ、気持ちよさそうにしながら、彼の胸に顔を擦り付ける。


「……でも、私のせいでアティアス様を危険な目に遭わせてしまってるんじゃないかと、不安です。……ダライのときも、私を狙ってあれほどのことを」


 ふと昼間に起こったダライでのことを思い出す。

 自分がいるからこそ、砦ごと生き埋めにするほどのことを相手に決断させたのだろうと。

 一緒にいることで、その被害を彼も受けてしまっているのだ。


 アティアスは少し無言で考えて、ゆっくり口を開く。


「……そもそも、エミーがいなかったら、ゼバーシュでうちの誰かが死んでたかもしれないし、それに乗じてマッキンゼ卿自身で攻めてきてたんじゃないかなと思うよ。今回みたいな兵力とは桁違いで、だ。だから、ここまで大きな被害もなくて、うまく抑えられそうなところまで来てるのは、全部エミーのおかげだよ。……本当に感謝してる。ありがとう」


 彼女の髪を撫で続けながら、子供に言い聞かせるように囁く。

 その言葉に、うっすら涙を浮かべながら彼女は呟いた。


「……嬉しいです。これからも……お役に立てるように精一杯頑張りますね」

「ああ、期待してる」


 2人の予想が当たっていれば、明日はファモスの兵と戦うことになるのだろう。

 どうなるかはわからないが、できることを精一杯やるしかない。


「さ、寝れるうちに寝ておこう」

「はいっ」


 アティアスはゆっくりと枕に頭を下ろした。

 彼女は片手で髪を押さえながら、上からそっと彼に口付けしてはにかんだ。


「ふふ、おやすみなさい……」


 そしてちょこんと彼の横に収まると、ぎゅっと抱きしめながら目を閉じた。

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