第100話 敵陣
「これは不味いな」
ファモスは陣地で夕食を摂りながら、その味の悪さに舌打ちした。
夜間に差し掛かるということもあり、戦いは獣達に任せて、本隊は温存させる計画だった。
明日、朝日が登る頃に、状況をみて本隊を投入するかを判断するつもりだ。
「申し訳ありません。このような場所ゆえに、あまり手の込んだものはご準備できませんので」
ファモスに従う従者が食事の不甲斐なさを詫びる。
「まぁ仕方ない。早くテンセズを落として美味い食事にありつくとしよう」
「ははっ!」
ファモスの向かいに同席しているカノーザが口を開く。
「明日の朝にはワイルドウルフの追加が到着する手筈です。早ければ明日の夜には豪勢な食事にありつけるでしょう」
「それを期待するよ」
今は我慢してこの不味い食事を摂らなければならない。
苦々しく思いながらも、ファモスは硬いパサパサの肉にフォークを突き刺した。
そのとき――
「お食事中失礼いたします。……ファモス殿……で間違いないでしょうか?」
テントの入り口から、不意に若い女の声が聞こえた。
顔を上げれば、入り口のすぐ外側に少女が立っているが、薄暗くて細かいところまでは把握できなかった。
「何の用だ? ……お前、部隊の者じゃないな」
ファモスがその少女を見て呟く。
部隊の中にこれほど若い女はいなかったはずだ。
誰かが気を利かせて、給仕として寄越したのだろうか。
「私たちはヴィゴール殿から、あなたを止めるようにと依頼されてここに参りました」
その言葉に、ファモスははっと顔を上げて目を見開く。
よく見れば、その少女の横、暗くて先ほどは気づかなかったが、若い男が一緒に立っていた。
「ヴィゴールだと……⁉︎ そんな、まさか……!」
「ええ、ファモス殿がこちらに居ると、ラムナール殿が話してくれましたので」
彼女の口ぶりからすると、ほぼ全てを知っているということは間違いなかった。
それにしても、兵士たちが周囲を守っているはずのこのテントに、どうやって音もなく近づくことができたのか。
何よりも、これほど早く兄の命でここに辿り着くことができたのか。
理解に苦しむ。
しかし、ここまできて止めることなどできない。
「止めると言ったな? ……もうそれはできん。止めたければ、力尽くでやってみるがいい」
「いいんですか? なら遠慮せずに行きますけど……」
軽い口調で話すエミリスという少女は、特に気負いするようなそぶりも見せずに棒立ちだった。
「できるものならな! ……雷よ!」
ファモスは不意をつくかのように、得意の雷撃魔法を放った。
――バリバリバリ!
という音とともに周囲に閃光が走り、一瞬視界が白く染まる。
あの少女がどれほどの者かはわからないが、生半可な魔導士では防ぐことも難しい威力を持っている魔法だ。
しばらくして周囲が静かになったとき、少女は黒焦げになっている――はずだった。
しかし、そこには何事もなかったかのように、先ほどと変わらない姿で彼女は立っていた。
「ふふ。ご丁寧な挨拶ですね。……こちらから行ってもいいですか?」
「――――!」
絶句するファモスに向かって、少女はふわっと浮かび上がると、そのまま間近に降り立つ。
明るいテント内に入ったことで、その緑色の髪がふわりと広がる。
「その髪――! お前は!」
そこでようやく気付く。
この少女が、ヴィゴールの話していた、ゼバーシュが擁する脅威そのものだということに。
「私をご存知のようですね。……続けます? それとも――兵を止めていただけますか?」
彼女は作ったような笑顔を見せ、ファモスに問う。
「もう戦いは始まっている! 今更止めることなどできん!」
「……少なくとも、ここの兵を撤退させることくらいはできるだろ?」
歩いてテントに入り、エミリスの隣に立ったアティアスが聞いた。ファモスは苦々しい顔を見せる。
「……ぐぅ。止めないと言ったらどうする?」
「――そのときは、ファモス殿。あなたを殺してでも止めます」
ファモスの問いに、アティアスが決意を持った表情で宣言する。
その言葉を聞いたファモス目を閉じて考え込む。
そしてゆっくり目を開けて声を絞り出す。
「…………わかった。明日の朝、兵を戻すと約束しよう。ただ、いま町を攻めている獣達は、私ではもう呼び戻せん」
「つまり、それは自分たちでなんとかしろと、そういうことか?」
アティアスが確認すると、ファモスは頷く。
「……そのくらいお前達なら簡単だろう?」
確かにファモスの言うとおり、自分たち――いや、実質エミリスひとりか――ならばワイルドウルフを片付けることは容易い。
しかし、ここでファモスを見張っていなければ、約束を違えて兵を進める可能性が否定できない。その場合、テンセズの町に被害が出るのは避けられないだろう。
どちらの選択を取るか、非常に悩ましいところだったが、テンセズで死者が増えることはやはり望ましくないと考えた。
「……わかった。そうしよう。……もし明日兵を引くという約束を違えた場合、どうなるかわかっているだろうな?」
「……無論だ。私の首を賭けよう」
ファモスの言葉に頷き、アティアスはエミリスに目配せする。
彼女は一瞬複雑そうな顔を見せたが、彼の判断に従うことにした。
「ではまた会おう」
アティアスは言い残して、ファモスのテントから出た。
◆
「……私は、十中八九、ファモスは約束を反故にすると思います」
テンセズに向けて飛びながら、エミリスは彼に話しかけた。
「だろうな。俺もそう思う。ファモスの立場で考えると、あの場を切り抜けなければ殺されるわけだ。かといって、ここまでやっておいてマッキンゼ卿が赦すとは思えない。それ相応の覚悟は持っていただろう。なら、少しでも残されたチャンスに賭けるしかなかっただろう」
彼は先ほどの光景を思い出す。
特に、最後にファモスが近くにいた壮年の男に、ちらりと目配せしたことを見逃してはいなかった。恐らく、何か企んでいるのだろうことは見抜いていた。
「最善はあの場で殺してしまうべきでした。……アティアス様は優しすぎます」
「すまん。……エミーに苦労をかけることになるかもしれないな」
もし戦いになれば、正面からぶつかり合うことになるかもしれない。
そのことを彼女に謝る。
「いえ……。私はそういうアティアス様のほうが好きですから。……もし戦うことになっても、必ずなんとかしてみせます」
「ああ、よろしく頼む」
「はい、お任せください」
彼女ははっきりと答えて、暗闇のなかテンセズの町へと降下を開始した。
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