第97話 小屋

 夕刻、マドン山脈を越えたファモスたちは、テンセズを目前にして陣地の準備を行う兵士たちを見ていた。

 ファモスはすぐ横に立つ男に問いかける。


「何日でテンセズを落とせると思うか?」


 ファモスはマッキンゼ卿と同じく金髪で、雰囲気もよく似ている。もちろん年齢はだいぶ上であり、マッキンゼ卿がそのまま歳を取ったような顔立ちだ。歳の分、その青い目は柔和な印象を与えていた。


 ファモスに問いかけられた男は口角を上げ、口を開く。


「私の手駒を使えば、何もせずとも3日もあれば十分でしょうな。このあと更に追加で300体が合流する手筈となっております。……ファモス様は後ろで寛いでいてください」


 その男はファモスと同じくらい、50代ほどと思える皺が顔に刻まれていた。


「そうか。テンセズごときに貴重な魔法石を使いたくはない。あれは魔法を込めるのに手間がかかるからな。……最終目的はゼバーシュだ。カノーザ、頼むぞ」

「は、心得ておりますよ。……ゼバーシュ領を併合して、貴方様が領主になる日も、そう遠くはないでしょうな」


 カノーザと呼ばれた男は下卑た笑みを投げかける。


「ここまできたらもう後戻りはできん。お前の研究にかなりの私財を投じたんだ。役立ってもらうぞ」

「ひひ……。お任せを。いずれは更に領地を広げましょうぞ」


 その言葉を聞いたファモスは頷き、待たせていた馬に乗る。

 もう少し進むとすぐにテンセズが見えてくる。

 兵の準備をするのに手間取り、ウメーユを出発できるのに計画より遅れてしまった。

 しかし、今のところ甥であるヴィゴールの動きは耳に入ってきていない。セリーナかラムナールがうまくやっているのだろうと予想する。


 テンセズには、わざわざ宣戦布告などする必要もない。どうせ早々に蹴散らして、次の街へと向かうだけだ。

 そのうちゼバーシュから援軍が来るだろうが、その方が都合がいい。ゼバーシュに兵を集めて籠城されるほうが厄介だからだ。

 少しでも数を減らしておけるなら、それに越したことはない。


 ――いずれにしても、自分たちが持つ魔法石の力を使えば、どんな兵でも相手ではない。


 あと数時間もすれば戦いが始まる。

 もう後戻りできないところまで来てしまっていた。


 ◆


 ――ちょうどその頃。


「エミー、疲れてないか?」


 エミリスに後ろから抱き抱えられながら、アティアスは顔を後ろに向けて彼女へと問う。


 今はダライから南のマドン山脈に沿うように、ある程度の高度を取って飛んでいた。

 速度は馬が駆けるより少し速い程度だろうか。

 街道や街に近いと、人に見られる可能性がある。

 今はそれを気にしてはいられない状況ではあるが、できれば無用なトラブルは避けたかった。


「はい、問題ないです。アティアス様はどうですか?」

「ああ、心配ない。この調子だとすぐに着きそうだな」

「そうですね。……空からだとあまり地理がわからないのですけど、方角合ってます?」


 地理に疎い彼女は、彼に聞きながら進路を決めていた。

 アティアスも空から見たことなどなかったが、頭の中に地図を思い浮かべながら、指示を出していた。


「もうウメーユの近くまで来ているはず……。あ、あれだ。あの遠くに畑が広がっている辺りがそうだな」

「確かにそうですね。あの雰囲気は見覚えがあります」

「それじゃ、そろそろ山脈に入るか」

「承知しました」


 アティアスの指示で彼女は南に進路を変え、ゼバーシュ領に向かおうとする。

 ここまでくれば、あと1時間半くらいでテンセズに着くはずだ。


「……あ、すみません。あの……勝手なんですけど、一度降りても構いませんか……?」


 不意に、気まずそうに彼女が声をかける。


「構わないが……。どうした?」

「えっと……。お手洗いに行きたくなってしまって……」


 ここまで2時間以上、ずっと飛んでいるのだ。

 そう言われてみると、アティアスも急に催してきた。


「ああ、わかった。俺も行きたくなってきたよ。……一度降りようか」


 彼の言葉に、エミリスは頷き高度を下げていく。

 眼下はもうマドン山地の森の端にかかっている場所だった。


「この辺りは何も気配がないので安心してください」


 木の隙間から地上に降り、アティアスを先に降ろすと、自分も地に足をつけながら彼女が話す。

 当然トイレなどがあるわけもないため、旅をしているときと同じように、土に穴を掘って致すしかない。

 水は魔法で作ることができるので、衛生的には問題なかった。


「ありがとう。先は急ぎたいけど、少しだけ休憩していくか。無理をすると後がきついからな」

「承知しました。私も足を動かしたいです」

「この辺りを少し歩いてから出発するか」


 周りを見渡せば、この付近は少し開けていて平地になっているようだ。

 木の間を縫うように歩きながら、軽くストレッチをする。


「それにしても、この辺りは森の中とは思えないほど歩きやすいな」


 アティアスの感想に、エミリスは少し考えながら答える。


「確かにそうですね……。うーん……」

「どうした? 何か気になることでもあるのか?」

「いえ……ここ獣道だと思うんですけど、それにしてもこんなに一本道になりますかね……?」


 彼女の疑問は、今歩いている獣道が、登山道のように一本道であることだった。

 獣道はどちらかと言うと、途中で別れていたり交叉していたりすることが多いからだ。


「確かにな。これだと、誰かが整備しているような道にも思えるな」

「ですよね……。気にしても仕方ないんですけどね。……そろそろ出発しますか?」

「そうだな。頼む……って、あれなんだろ?」


 ふと歩いている道の先を見て、アティアスが呟く。

 はるか視線の先に、小さな小屋のような建物が建っていたのだ。


「なんでしょうね……? 人はいないみたいですけど」

「まぁいいか。今はそれどころじゃないしな」


 こんな山の中に小屋があることは気になるが、今はファモスを止めるのが先決だ。


「ですね。じゃ行きますよ」


 先ほどと同じようにエミリスは彼の後ろからぎゅっと抱いて、魔力を練ろうとした。


 ――そのとき。


「ん? ちょっと待ってください! 小屋の中……」

「どうした――」


 アティアスが問いかけようと、後ろを振り向いた瞬間だった。


 ――バタン!


 急に小屋の扉が勢いよく開いた。

 それを見て、彼女が身構える。


 扉の中、アティアスには暗くてよく見えなかったが、暗闇からこちらに向けて、いくつもの目が光っていた。

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