第60話 憤慨
「うぅ……。もうヘロヘロです……」
マドン山脈を抜ける中間地点にある峠の近くに、一軒の建物が建っていた。
そこに着いたのは日があと少しで落ちるというくらいの夕方だった。
よくこんなところに建てたものだと思うが、利便性のために先人が苦労して建ててくれたのだろう。
馬を建物に併設されている厩舎に入れ、水と餌を与える。外は獣などが危険なので、囲われた場所が準備されているのが一般的だった。
建物に入ると、先客が居るようだった。
「すまないが、一晩世話になる。よろしく頼む」
アティアスが先に来ていた男4人組の冒険者と思われるグループに声をかける。
「あ、二人だけか? ……若いし女連れかよ。どっちから来たかは知らんが良くここまで来れたな」
グループの一人が揶揄うように笑いながら返事をする。明らかに見下しているような言い方だった。
アティアスは特に気にもしていないようだったが、エミリスは顔色を変えないながらも、心の中では少しむっとする。
「テンセズ側から来たんだ。幸い運が良かったようだ。明日もこのまま順調ならいいんだけどな」
「そうか。俺たちとは逆だな。今日はアウルベアが出たが俺たちなら余裕だ。……ま、明日出ないことを祈ってるんだな」
ははは、と笑いながら違う男が話す。
「そう願っておくよ。それじゃ、一部屋使わせてもらうよ」
「構わんが、あんまり夜騒ぐなよ」
「ああ、気をつけるよ」
アティアスは手を挙げて、個室に向かう。その後ろを荷物を持ったエミリスが付いていく。
「むー、あの人たち、絶対アティアス様を馬鹿にしてますー」
部屋に入るなり、彼女が頬を膨らませて怒っていた。
自分が言われるのはともかく、アティアスが悪く言われるのはムカっとする。
「まぁ落ち着け。どこでもああいうやつはいるからな。気にすると疲れるだけだ」
「うー、そうかもしれませんけど……」
彼女は不満そうな口ぶりだ。
そんな彼女の頭を撫でながら言う。
「でも俺のことで怒ってくれる気持ちは受け取っておくよ。……さぁ、ここは風呂もないし、早めに食事して寝よう」
「はいっ! すぐ準備するのでしばらくお待ちくださいっ」
あっさりと機嫌を直したエミリスは食事の準備を始めた。
この建物はある程度多くのパーティが泊まれるように作られているようで、部屋に簡易的な流し台とトイレなどが据え付けられていた。
彼女にとっては、あの4人組とあまり顔を合わせたくなかったのでそれは好都合だった。
荷物の中から小鍋と材料を出して、まずはスープを作る。
主食はパンにする。
ただ、夏場なので主菜が難しい。生肉は持ち運べない……ことは無いが、何度も氷を作らないといけないので、どうしても干し肉に頼ることとなる。
結局、野菜類を多く入れたトマトのスープと、オムレツ。それにパンというメニューになった。
「すみません、暑くて食材がすぐ傷んでしまうので、朝食みたいな食事で……」
彼女が申し訳なさそうに話す。
「作ってくれてありがとう。仕方ないさ。それに今までだと干し肉とパン齧ってるだけだったからな」
「ふふ、よくそれで身体壊しませんでしたね」
エミリスが笑いながらジャムを塗ったパンを手渡す。
「それで慣れてたからな。猪が襲ってきた時は、それを晩飯にした事もあるぞ。美味いものではないけどな」
「それは……まぁ……新鮮ではありますけど……」
想像するだけでも美味しそうには思えなかった。
彼女は基本何でも食べるが、匂いのきつい肉はあまり好まなかった。血抜きのされていない獣の肉は……できれば遠慮したいところだ。
食後は明日に備えてすぐに寝ることにした。
部屋にはちゃんとしたマットのあるベッドなどはなく、木が台のようになっている寝台があるだけだった。それが各部屋に2つずつある。
今は夏場だがここは標高が少し高く、夜は冷え込んできた。
荷物からマットと寝袋を出して、それぞれの寝台で広げて寝ることになる。
できればいつものように彼に抱きついて寝たいのだが、ここでは仕方ないと我慢する。
「おやすみなさいませ……」
「ああ、おやすみ」
顔を見合わせて挨拶し、それぞれ眠りにつく。
馬に乗っていたとはいえ、山道で疲れていたこともあってすぐに眠りに落ちていた。
◆
――ふとエミリスは夜中に目を覚ました。
時刻はわからないが、まだ朝方というほどではなさそうだ。
疲れているのに起きるなんて、珍しいなと自分でも思う。
「……うーん?」
すぐには寝付けず、なんとなく軽く魔力を使って周りの様子を探ってみる。
特に建物の中は変な感じはしない。部屋の隙間を抜けて魔力を外にも広げていく。
4人組の男達は2人ずつ部屋に分かれていることがわかった。
厩舎では馬もよく寝ているようで動きがない。
建物の近くにも、特に獣などの気配は感じられない。
街ではやったことがなかったが、どこまで距離を広げられるのかと、感覚を研ぎ澄ましていく。
これ以上は何も感じられなくなる、という限界は概ね5分歩いたくらいの半径のようだった。
とはいえ、これは周りに何も動きがないから分かるのであって、雑踏の多い街ではせいぜい建物数件分くらいの距離だろう。
その範囲に異常がないことが確認できたので、魔力を解こうとした。
――そのとき、ギリギリの距離のところで何か動くものを感じた。
なんだろう……?
心の中で呟き、その周辺に意識を集中する。方角は今までテンセズから歩いてきた方向だった。
(人……ではなさそう。数は2つかな。結構大きくて……ゆっくり近づいてくる……)
猪などの獣だろうか。
狼ならもっと数が多いだろう。ただ、鮮明に感じ取れるほど正確にはわからない。
ただの通りすがりの獣かもしれないが、なんとなく気になった。
意識は外に残したまま、寝袋から出て、アティアスにそっと声を掛けた。
「アティアス様、お休みのところ失礼します」
「……ん、なにかあったか?」
眠そうな目をしているが、意識はしっかりとしていた。
「建物からは少し離れていますが、何かが2つ、こちらに近づいて来ています。獣なのかなどは分かりませんが、気になりましたので……」
「そうか、わかった。念の為起きておこう」
彼女が気になるということは、あまり良くない知らせである可能性が高いと考えた。
彼も寝袋から出て、部屋に立てかけてある剣を手に取る。
何かあったときのために服は元々着ていた。
「……距離は?」
「歩いて1分くらいです。昼ならそろそろ見える距離かと」
「そうか。エミーは何だと予想する?」
「……近づいてきてわかってきましたが、かなり大きいです。馬くらいあります。なので、熊みたいなものかなと……」
「普通の獣にしては大きいな。それにしてもよく気付いたな」
「たまたま目が覚めたんです……」
「……なにか予感があったのかもな。偉いぞ」
彼女の頭を撫でると、エミリスは嬉しそうに顔をほころばせる。
「えへへ、ありがとうございます。……あ、もうすぐそこです」
アティアスに緊張感が漂う。
どの辺りにいるのか大体把握できている彼女は落ち着いている。
「……建物の目の前です」
ぽつりと彼女が呟く。
そのとき――
――ドン! ドン!
建物に何度も大きな音が響き渡る。
入り口の扉を叩いているのか、それとも体当たりでもしているのか。
「破るつもりか?」
それなりに守りがしっかりした扉であり、そう簡単に壊せるようなものではないが……。いつまでもそのままにはしておけない。
「裏口から出て、やるしかないか……」
「はい、これじゃ寝られませんし」
2人は部屋から出る。
音で起きたのか、男4人も部屋から出てきていた。二人の顔を見るなり口を開く。
「ガキは引っ込んでろ、足手まといだ」
吐き捨てるように言う男にエミリスはまたむっとする。やっぱり嫌な奴らだと。
「すまない。よろしく頼む」
しかし、アティアスにしてはあっさりと彼らに譲った。
エミリスがよく知っている彼の性格なら、気にせず行くと思ったのに。
「すぐ片付けてやるよ、じゃあな」
そう言って男たちは裏口から出ていく。
残された格好の2人だが、彼女がアティアスに耳打ちする。
「アティアス様、良いんですか?」
「ああ、ここはもうゼバーシュ領じゃない。あまり目立ちたくないしな」
「なるほど……」
「……それに、大きな口叩いたんだ。実力を見せてもらうさ」
彼はエミリスに笑いかける。彼も少しは気にしていたようだった。
「ふふ、ですよねー」
悪役のような笑顔を見せて、彼女はそれに同意した。
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