第32話 幸

 ルドルフとの面会を終え、帰路についた。


「……とはいえ、そう都合よく手がかりなんてあるわけないよな」


 困った顔でアティアスが話す。

 緊張が解けてほっとした顔をしていたエミリスも同意する。


「そーですね。でも理由は必ずありますから。身内か他国の人かのどちらか……って気がします。私も仕えてた人が良く狙われたりしてましたけど、親族か商売敵か、そんなのばっかりでしたよ」

「そ、それなりに経験豊富なんだな」

「一応、意味もなく長く生きてますからねぇ……」


 しみじみと彼女は言う。

 ただ、アティアス達に出会ってからの毎日のほうがずっと濃密だと感じていた。


「というわけで、調べるならまず兄弟か親族を疑います。……アティアス様はお優しいので気が重いこととは思いますが……」

「……そうだな。できればそうであって欲しくはないけどな……」

「お気持ち、お察しいたします」

「……まずは兄達と話してみるか」

「はい。私も一度はお会いしておきたいです」


 歩きながら頷く彼女に目を遣り、アティアスが言う。


「とりあえず先にエミーの服を買いに行くか。ここでは旅の時みたいな格好ではいけないし、その服だけじゃ明日から困るだろ」

「それはありがたいです」

「兄達への挨拶はそれからだな。大変だと思うけどよろしく頼む」


 ◆


 昼食後、以前アティアスがよく行っていた呉服屋に向かう。

 この店は普段着というよりは、フォーマルなものや他所行きの服を多く扱っていた。


「アティアス殿、お久しぶりです」


 店の主人が挨拶しに出てきてくれた。

 ここはナターシャも含め、ゼルム家の皆がよく世話になっている店でもあった。


「ああ、久しぶりに帰ってきたからな。今日はこの娘に幾つか服を見繕って欲しい」

「承知しました。ご予算などはございますか?」

「それは気にしなくて構わない。そうだな……とりあえず、昼夜の式典に出られるドレスと、城内でも普段着られるくらいの服が必要だな。義理だが俺の妹だから、それ相応の物で頼む」

「アティアス殿の妹君ですか。承知しました。それでは相応しい者をお付けします。しばらくお待ちください」


 そう言って主人は女性のスタッフを二人連れてくる。


「この者たちが担当いたします。さあ、どうぞ」


「あっ、はい。よろしくお願いします」


 戸惑いながらもエミリスは連れられていく。まずは身体のサイズなどを測るのだろう。

 アティアスは特にやることもなく、椅子に座って待つ。


 奥からは「うわっ、肌綺麗ですね。羨ましい……」とか「このくらい背中見せた方が綺麗ですよ」「いや……これは恥ずかしいです……」とか、着せ替え人形のように色々遊ばれているらしく、楽しげな声が聞こえてくる。


 小一時間ほど待つと、ようやく選び終わったのか、疲れた顔でエミリスが戻ってきた。

 洗い替えの分も含めて複数着購入することにしたようだ。


「……お待たせしました」

「大変だったろ。一度家に帰ってお茶でもするか」

「はい! 私チョコが食べたいです」


 ドレスはサイズを調整する必要があり、数日後受け取りに来ることとなった。普段着はそのまま胸に抱えて持ち帰る。


「ではよろしく頼む」

「ありがとうございました」


 ◆


 自宅に帰るとエミリスは真っ先にお礼を言う。


「いっぱい買っていただき、感謝しております」


 律儀に頭を下げる彼女に苦笑いし、アティアスは頭を撫でながら優しく言う。


「あのなエミー。今更俺に気を遣わなくても良いんだぞ? その方が俺も楽だから」


 彼女の言動は、きちっとしているところもあれば、緩く彼に甘えてくるところもあって二面性が激しい。

 彼はそのことを指摘しているのだ。

 そのことに対し、彼女はおどおどしながら答える。


「いえ、でも……これほど良くしてもらっているので、申し訳なくて……」


 ゼバーシュに帰ってきて、ルドルフにも挨拶を済ませた。

 そろそろ頃合いかと思い、エミリスを近くに呼び寄せる。

 そして、そのまま胸に抱きしめると、彼女は緊張して「あぅ……」と身体を強張らせるが、気にせずその耳元で囁く。


「はっきり言っておく。……最初エミーと会った時、俺は自由にしてあげたいと、そう思ってた。それは同情心からだと思う。でもそれからずっと着いてきてくれて、努力して、俺を助けてくれてる。……だから俺も助けたいし笑顔でいて欲しい」


 そこまで言ってから、彼は一呼吸置いて続けた。


「それに……俺はエミーが好きだからな。……ちゃんと恋人として。そうじゃなければ、この家に二人だけで一緒に住むなんてことはしないだろ?」


 一瞬頭が真っ白になり、その後みるみるうちにエミリスの顔が赤く染まっていく。

 以前にも一度、好きだと言われたことがあったが、改めてはっきりと言われると、これほど胸が熱くなるのかと驚く。

 いつも一緒に過ごしてはいたが、どこかに不安感が残っていた。それがすっと薄れていく。


 彼女は潤んだ目でアティアスの顔を見つめ、自分に言い聞かせるように呟く。


「……はい。私もアティアス様が大好きです。……私の全てを捧げても何も惜しくありません」


 彼女は意を決して、精一杯背伸びしてそっと目を閉じる。

 待つ間、高鳴る自分の鼓動だけが聞こえてきて、時が止まったように長く感じた。


 ――そして、唇に伝わってきた感触で心が満たされていくのを感じた。



「私、こんなに幸せでよろしいのでしょうか……?」


 彼の顔を見つめながら、ふと彼女が呟く。


「……何か問題でもあるのか?」

「いえ……そうではないのですが、夢ではないかと少し怖くなってしまって。……もう一度、確かめても構いませんか……?」

「別に構わないけど……」


 彼がそう答えると、彼女はゆっくりと彼の首に手を回して、確かめるようにもう一度口付けをした。



「ふふ、夢じゃないようです。……嬉しいです」


 はにかみながら微笑みを浮かべる彼女は涙を溜めていた。

 そんな彼女の髪を撫でると、ゆっくりと閉じた目からすーっと涙が頬を伝う。


「……さあ、お茶にでもしよう」

「はいっ! すぐ準備しますっ!」


 涙を手で拭いて、エミリスはパタパタと厨房に行き、お茶と器に山のように盛られたチョコを出してくる。

 彼女の要望で昨日大量に買い込んであったのだ。

 ただ、この調子だとまたすぐ買いに行くことになりそうだな、とアティアスは思った。



 お茶のあと、せっかくなのでと、エミリスは先ほど買ってきた服に着替えてみた。

 黒を基調としたロングのワンピースに、セットで同色の丈の短い上着を合わせる。所々に白いレースがあしらわれており、デザインを引き立たせていた。

 彼女が着ると年相応の少女に見える。


「ちょっと子供っぽく見えるけど、これはこれで可愛いな」


 アティアスが褒めるとエミリスは笑顔でくるっと回る。スカートがふわっと広がり、ゆっくりと元に戻った。


「えへへ、嬉しいです」


 そのままアティアスに抱きついてくる。頭を撫でると気持ちよさそうに目を細めた。


「それじゃ、面倒だと思うけど、兄達のところに行くか」

「はい。承知いたしました」


 彼女はいつものようにびしっと背筋を伸ばして答える。

 何も変わってないなとアティアスは苦笑いする。

 ただ、これが彼女らしいというか、何を言っても時間が経っても、きっと変わらないんだろうなと思うことにした。

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