第30話 帰郷
「見えてきたな」
「はいっ!」
目前に見えるゼバーシュの街が、夕日に染まっている。
予定通り、夕方陽が沈む前にゼバーシュ伯爵領の中心であるゼバーシュに着いた。
爵位名が都市名に由来することもあり、領地とも混同しそうで少し紛らわしい。
朝は昨日の失敗に凹んでいたエミリスだったが、アティアスが怒っていないことが分かり、それからはずっと機嫌が良かった。
ゼバーシュまで後少しだったということもあるのだろう。
「アティアス様。ご無事で何よりでございます」
ゼバーシュに入る門にて、若い門兵が3人を確認すると、深々と礼をする。
「お勤めご苦労。町は特に変わりないか?」
「は。大きな事件などは聞いておりません。ただ……」
「ただ?」
門兵は言いにくそうに小声で話す。
「はい、レギウス様が先週からご体調が優れないとの話を聞いております。お見舞いに行かれるとよろしいかと……」
「兄が? わかった。ありがとう」
レギウスはゼバーシュ伯爵であるゼルム家の長男で、近く後継となる人物だ。他の兄弟に比べても人望が厚く、兵士たちからも信頼されていた。
衛兵が体調のことを知っているということは、執務に影響があるほどだということが分かる。
ゼバーシュの街はかなりの広さがあり、入り口からアティアスの自宅がある中心部までは、歩いて1時間程かかる。
進むにつれ徐々に建物の大きさ、歩く人の数が増えてくるのを、エミリスは興味深く見ていた。
「小さい頃に少し居たことがあるのですが、ほとんど街を出歩いたりはできなかったので……」
思い出すように話す彼女にアティアスは提案する。
「しばらくは滞在するつもりだから、落ち着いたら街を案内するよ」
「はい! 楽しみにしてますね」
◆
辺りが薄暗くなる頃、アティアスの家に着いた。
家は一般的な広さの古めのレンガ造りのものだが、作りの良さが感じられる。しばらく帰っていなかったが、庭も手入れがされていた。
この家はアティアスが十五歳になった頃、父であるゼバーシュ卿が程度のいい空き家を充ててくれたのだ。
しかし1年ほど1人で住んだあと、ノードと旅に出たこともあって、ほとんど使われていなかった。
「ここが俺の家だ。普段は空き家だけどな」
「綺麗な家なのに勿体無いですねー」
エミリスはまるで子供のように家の周りをぐるぐる見て回っている。
ここにしばらく住むのだ。興味ないわけがなかった。
「それじゃ、俺も馬の手続きして家に帰るわ。なんかあったら呼んでくれな」
荷物を馬から下ろしたノードは、自分の荷物を背負うと、手をひらひらさせて馬と共に去っていく。
しばらく使わない予定の馬は、業者に引き取ってもらうことになる。
「ああ、今回もありがとう。しばらく休んでくれ」
ノードにも当然彼の家がある。と言っても、ゼバーシュ卿に仕えている父親と同居しているので、ゼバーシュに滞在中はそこに戻るだけだ。
「さ、早く荷物を片付けよう。そのあと当面要るものを買いに行かないと。本当にこの家には何もないからな」
いつもはアティアス一人で家にいるが、今回はエミリスと二人で過ごすことになる。
「りょうかいですー」
表情はびしっとしているが、口調は明らかに緩んでいる。
そんな彼女の頭を軽く撫で、久しぶりの家に入った。
部屋としては、事務などもできる大きめの自室、寝室が2つ、それと十人ほどが入れるダイニング。あとは応接室と厨房といった一般的な作りだ。
普段からあまり滞在していないため、必要な物以外は置かないようにしていた。普段居ないため、食材も調味料程度しかない。
家の中も庭と同じく、依頼していた手伝いの人に時々掃除をしてもらっていた。空気を入れ替えないと家が傷むからだ。
エミリスはテキパキとメモを取り、買い出しの準備をする。
その間にアティアスは荷物を片付けていく。
「はい。準備できました。いつでも行けますー」
「それじゃまずは食べるものからだな」
◆
店が閉まる前に当面の食材と、必要な日用品などを買い込み、二人が家に戻ると夜も9時を回っていた。
「それじゃ、急いで晩御飯作りますね」
「すまない。簡単な物で良いから」
「はい! お任せください」
疲れているだろうに、エミリスは張り切って厨房に入っていく。色々なところで使用人をしていたこともあり、使い勝手の違いなどはさほど気にならないようだった。
待っていると厨房から鼻歌が聞こえてくる。
この家にしばらくふたりきりで過ごすことを想像すると、彼女は高揚する気持ちが抑えられなかった。
とはいえ、仕事はしっかりしなければと自分に言い聞かせる。
パンを軽く焼き、付け合わせにサラダと白身魚のソテー、それにスープをさっと作って遅めの夕食の準備をした。
「ありがとう。この家でちゃんとご飯作ることなんて無かったから新鮮だよ」
今までは自分で料理をせず、ほとんど買ってきた物をそのまま食べていた。
「それはダメですー。ちゃんとしたもの食べないとそのうち身体壊しますよ。これからも毎日私が考えて準備しますから」
小言を言うように彼に注意する。
「ははは、それは頼もしいな。よろしく頼むよ」
「はい。確かに頼まれましたっ」
笑顔でアティアスの顔を見ながら胸を張る。彼に頼ってもらえることは純粋に嬉しい。
――ふと、何気ない先ほどの会話で彼女は気付く。
これまであまり意識していなかったが、よくよく考えると、同じ家で2人きりで過ごすのだ。
これって同棲……だよね。
もうほとんど夫婦みたいなものでは……?
そのことを意識してしまったからか、急に恥ずかしくなってきた。
「……エミー、どうした?」
上の空でぼーっとしていた彼女に、アティアスが声をかける。
「あっ! い、いえっ……、なんでもないです……」
その声で現実に引き戻されるが、彼の顔を見るだけで顔が火照るのがわかった。
「わ、私……お片付けしますねっ!」
直視できず、急いで席を立ち、食器の片付けをすることにした。
片付けが終わったあと、アティアスが準備してくれたお風呂に入り疲れを溶かす。足が伸ばせるお風呂は気持ちが良い。
しっかり温まってからお風呂を出て、寝衣を着る。
お風呂でゆっくりできたのが良かったのか、ようやく普段通りに落ち着くことができた。
そもそも今更気にしても仕方ないのだと思うことにした。
◆
「ここは誰も使ってない部屋だから、エミーが使ってくれ」
アティアスはエミリスを2階の空き部屋に案内する。
しかし彼女は何か不満そうに口を尖らせ、上目遣いで彼を見てくる。
「……むー」
何か言いたそうにしているが、自分からは何も言わない。ただ、何を希望しているのかはすぐわかった。
「あー、わかったわかった。とりあえず荷物はこの部屋に置いとけ。俺の部屋に好きなように来て良いから」
その言葉に、ぱっと笑顔が弾け彼に抱きついてくる。
「ありがとうございます! 嬉しいですー」
以前からころころと表情を変える彼女だが、ここ数日は更に身体全体で表現するようになってきた。
以前は何かを恐れているようなところがあったのだが、今はそんな素振りも見当たらない。
「じゃ、俺は先に寝るから。おやすみ」
「はい! おやすみなさいませ、アティアス様っ」
部屋の前で一度別れて、久しぶりに自室のベッドに入る。
彼女が猫のようにこっそり潜り込んできたのは、それからわずか数分しか経っていない時だった。
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