第29話 失敗

「なんだこれは……!」


 慌ててエミリスのところに戻ってきたアティアスは、その惨状に愕然とした。


「あ……あてぃあすさまー、おかえりなさーい……」


 彼女は何事もなく、ひとりケラケラ笑いながら、のんびりとグラスを傾けていた。

 彼女の無事を見て安堵する。

 ただ、周りのテーブルは倒れたり、一部壊れたりして異常な雰囲気になっていた。そこに居たであろう人達は、部屋の隅に集まり、恐怖の目で彼女を見ていた。


「……何があったんだ?」


 酒場の主人に問う。カウンターから震えながら答える。


「い、いえ……あの娘に声をかけた男がおりまして……それで、このような事に……」


 よく見るとエミリスの近くに男が一人、気を失って倒れていた。大きな怪我が無さそうだったのは幸いか。


「エミー、何をやった?」


 聞くと首を傾げて無邪気に答える。


「んー? 3万ルドでどうだ、って言ってきたから断ったのにー、しつこくて……」


 魔法で吹っ飛ばしたと、そう言うことか。

 アティアスは頭を抱えた。酔ってなければ制御もできたのだろうが、加減を間違えて周り全部吹き飛ばしてしまったのだろうことは想像できた。


「……ご主人、すまない。俺が被害を弁済するから、多めに見てやってくれないか?」

「へい。わっしは元通りにさえしてくれれば構いませんよ。ただ……」


 主人は周りの客を見渡して言った。


「そうだな……。みんな聞いてくれ。今日は俺の奢りにするから、すまないが引き上げてくれ」


 それを聞いた客たちは、顔を見合わせ戸惑いながらも帰っていく。

 最後にアティアスたちと酒場の従業員だけが残っていた。


「エミー、やりすぎだ……」


 それまで楽しげだった彼女だが、やりすぎたことに気付いたのか、申し訳なさそうな顔で謝る。


「……ごめんなさい。ここまでするつもりは……」


 そんな彼女を見て、酒場の主人も溜飲を下げる。


「いや、元はと言えば、あの男がしつこく声をかけなければ……。店の者が止めるべきだった。不快な思いをさせてすまなかった」


 やりすぎたのは事実だが、彼女は自分を守ろうとしただけだと言うことは分かっていた。


「まぁいずれにしても物を壊したのは彼女だ。それは補償する。……これは俺の連絡先と身分証だ。後ほど被害額をまとめて連絡をくれ」


 メモを見た主人は驚きつつも答える。


「ゼバーシュ伯爵家の方でしたか。ここで商売できるのも伯爵のおかげです。できるだけ穏便にさせていただきますよ」


「……頼む」


 ◆


「おはよーございます……」


 翌朝エミリスは、隣のベッドで寝ている彼に向けて、眠い目をこすりながら挨拶をする。

 この前トロンの街で二日酔いにならなかったのに、今朝は綺麗さっぱり記憶がなくなっていた。

 少し飲みすぎたようだ。


「ああ、おはよう。……体調はどうだ?」


 心配してくれているのか、彼が気遣ってくれる。


「あ、はい、大丈夫です。……ただ、昨日の記憶がありませんけど」

「そうか……。あのな……」


 忘れてしまっているなら敢えて伝えなくても良いかとも思ったが、今後のことも考えるとそうもいかないかと、昨晩の顛末を全て説明することにした。



 アティアスから話を聞いた彼女は、みるみるうちに顔が青ざめていく。

 自分が起こしてしまったことの重大さを理解したエミリスは、すぐにアティアスの前で床に額を擦り付けてアティアスに謝り始めた。


「も、も、申し訳ございません‼︎」


 幸い、彼女に声をかけた男も、気を失っていただけで大した怪我はなかった。

 エミリスとしては軽く魔力を解放して追い返す程度のつもりだったのだろうが、お酒のせいか制御の加減が分からず、あれほどの威力になってしまったのだろう。


 彼女は頭を下げたまま、怒られるのが怖くてぶるぶると震えていた。

 やってしまったこともそうだが、もしアティアスに嫌われたりでもしたらもう生きていけないと、そういう考えが頭をぐるぐる巡る。やっぱり人前でお酒を飲むのはやめておくべきだったと後悔するが、もう遅い。


 そんな彼女を見て、彼も少し意地悪く言う。


「怪我人が出なくて良かったのは幸いだが、あれはかなりの弁済がいるぞ? どうするつもりだ?」


「――っ‼︎ ごめんなさい! ごめんなさいっ‼︎ 私にできることならなんでもしますからっ!」


 エミリスはアティアスの言葉にビクッとして更に謝り続ける。

 反省しているのを充分確認したあと、アティアスはぷっと吹き出して笑う。


「ははは……、気にするな。でも次は気をつけろよ?」


 そもそもアティアスは彼女に対してそれほど怒ってはいなかった。自分がトラブルに首を突っ込まなければこんなことは起こらなかったのだからだ。自分の責任でもある。

 それにお金で解決できる問題ならば、懐は痛いがまだ取り返しが効く。


 そう思い、頭を下げるエミリスの頭を軽くぽんぽんと叩く。


「いや、俺がエミーをひとり残して行ったのも悪かった。もう気にしてないから」


 それを聞いて恐る恐る顔を上げたエミリスだったが、まだ震えは収まっていなかった。


 ◆


「ま、これはどう考えてもアティアスの悪い癖のせいだよな」


 朝の出来事からしばらく後――出発前に、アティアスの部屋に来たノードが笑う。部屋の隅ではエミリスが小さくなって蹲っている。

 悪い癖とは当然、アティアスが何にでも首を突っ込むお節介なところだ。


「そうだな。エミーには悪いことをしたな。人が多いところで飲ませたのも失敗だった」


 アティアスが反省の弁を述べる。元々彼女が酔うと危険なのは分かっていたのに、一人放置して出てしまったのがそもそもの失敗だった。こうなる可能性は十分に考えられたのだ。

 これからは自分の目の届くところに置いておこうと思った。


「……エミー、おいで」


 アティアスが手招きすると、恐る恐る彼女が寄ってくる。まるで拾ってきたばかりの子猫のようだ。

 その様子にアティアスは微笑ましく思う。


「……はい」


 恐々とアティアスの前に立つ彼女にもう一度手招きすると、ゆっくりと頭を近づけてくる。


「……あんまり飲み過ぎるなよ?」


 子猫に言い聞かせるように呟きながら、エミリスの頬に手を遣り、もう片方の手で髪を梳くように撫でる。


「ん……、はい……」


 彼女はようやく安堵した表情を見せる。そのまま彼女を胸に抱きしめる。


「以後気をつけます。ごめんなさい……」


 ◆


「夕方にはゼバーシュに着くだろう」


 街道と歩きながらアティアスが言う。


「……はい」


 エミリスは彼の少し後ろを歩く。まだ少し緊張しているようで、いつもの元気さはなかった。

 そんな彼女を見て小さくため息をつくと、彼女の手を取り自分の真横に並ばせる。そのまま手を繋いで歩く。


「ええっと……」


 彼女は戸惑っている。


「エミー、まだ気にしてるのか?」

「……はい。アティアス様のお手を煩わすなんて……」


 ぽつりと彼女が呟く。


「そんなの気にしなくても良いさ。……俺が困っていたら助けてくれ。エミーに何かあれば俺が助ける。一緒に居るってのはそう言うものだろ?」


 彼女ははっとしてアティアスの顔を見つめる。握る手に力が入るのが分かった。


「……はい。私にお任せください」


 彼女の赤い目には、うっすらと涙が浮かんでいた。

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