第27話 勝利

「俺の旅はそろそろ終わりが近いかな……」


 いつの間にか戻っていたノードは、アティアス達の部屋の外でぼそっと呟く。

 アティアスは彼が戻っていることに気づいていたが、エミリスは周りに意識を向けられるような余裕も無く。


 ノードは彼女がどんどん成長していくのを見ていて、いずれ自分以上にアティアスを支えられる存在になるだろうことを予想していた。

 彼女ならきっと、自分ができないこともアティアスに与えられる。

 であれば、自分がすべきことは彼の良き友人であることだけだ。


 そのままそっと自室に戻った。


 ◆


 アティアスは逆に自分のわがままに、いつまでもノードを付き合わすことに負い目を感じていた。

 あと何年でも、旅を続けるというなら今と変わらず付いて来てくれるだろう。

 だが、彼にも彼の人生がある。


 偶然エミリスという存在を得たことをきっかけに、今回家に帰ったときを一区切りにして、今後のことを考えていこうと思っていた。


「私……夢にも思っていませんでした。こんな……」


 彼に抱きついたまま、エミリスが呟く。


「……それだけ頑張ったってことじゃないのか?」


 彼の言葉に、彼女はかぶりを振る。


「いえ、そうじゃないんです。……アティアス様に出会わなければ、今はありません。それは努力じゃなくて、幸運なのかなと思って……」


 ずっと閉じ込められた世界で生きてきて、そのまま家畜のような生を終えるのだと思っていた。

 それが偶然の出会いで一変した。


 彼がテンセズに来ていなかったら。

 子供が行方不明にならなかったら。

 シオスンがたまたま私を選び、彼の所に行かせることがなければ。


 その他にもすべてが偶然で、それが奇跡のように重なって今があった。


「……そうかもしれないな。ただ、それを手繰り寄せたのは自分の力じゃないかな。もっと自信を持っていいと思うよ」

「ありがとう……ございます……」


 彼の言葉に頷く。

 こんな自分を認めてくれた彼に深い感謝の想いを持って。


 ――3人がそれぞれの思いを胸にして、残り僅かの旅は続く。


 ◆


 トロンの町での最後の夕食は、宿の食堂で簡単に済ませることにした。


 先にノードが待っていると、二人が部屋から出てくる。

 ただ、どうもエミリスの挙動がおかしい。気まずさと緊張と、それと少しの恥じらいが入り混じったような顔で、動きもぎこちない。

 それを見たノードはいつもの悪い癖が顔を出す。


「良いことがあったみたいだな」


 その言葉とノードの表情に、先ほどのことを知られていることに気付き、エミリスは固まる。


「……い、いえ。ちょっと……とくに……なにもないですよ……? ど、どうしたんですか……急に……?」


 動揺しながらも、はぐらかそうと試みるが、ノードには通じなかった。


「そりゃあ、言わなくても分かるだろ?」

「え、ええっと……その……」


 彼女は真っ赤になって、水面に顔を出す鯉のように口をパクパクさせていた。


「こいつは人を揶揄うのが好きだから、気にするだけ疲れるぞ。……どうせ全部知っていて言ってるから」


 エミリスの腰を後ろからすっと抱き寄せ、アティアスがフォローする。


「あ……。はい……」


 彼女は少し落ち着いたのか軽く頷く。


「ノード。ゼバーシュに帰ったら、エミーは俺の家で過ごしてもらうよ」


 アティアスが宣言する。

 それに対してノードが冷静に答える。


「そもそも、それ以外の選択肢なんてあったのか? テンセズでも一緒だったし……」

「う……、その時はノードも居たしな……。ゼバーシュだと城に部屋があるし、宿を借りるのもあるかと思ってたんだが……」


 たじろぐアティアスに、呆れたようにノードが言った。


「もしそれ言っても、絶対エミーが納得しなかっただろ。……結構頑固だからな」

「えぇ……、私そんな感じに見えてるんですか……?」

「見てたらわかるさ。そういうところは笑えるくらいアティアスとそっくりだからな。……でも良かったな」


 ノードの言葉に、エミリスは「はいっ!」と元気に答えた。


「さ、その話は置いといて、とりあえずさっさと飲もうぜ」


 軽く言うノードがグラスを渡してくる。自分も早く飲みたいのだろう。


「じゃ、乾杯ー」

「乾杯!」


 エミリスも、もう酔っ払うことを厭わずに飲む。

 本心をさらけ出しても、もう怖いことなど何も無いのだから。


 ◆


 周囲がうっすら明るくなったころ、エミリスは目を覚ましベッドから身体を起こした。

 外からはまだ雨が降っている音が聞こえてくる。

 頭痛はない。

 昨晩の夕食のことも、その前後のこともしっかり覚えている。

 ……酔っ払って少し開放的過ぎたかもしれないけれど。

 でも、これならついにお酒に勝ったと言えるだろうと、彼女は小さく拳を握った。


「……なにしてるんだ?」


 そんな様子を見ていたアティアスが横から声を掛ける。


「わわっ! 起きてたのですか⁉︎ ……いえ、なんでもありませんよぅ」


 突然のことにびっくりして声を出してしまう。恥ずかしくてだんだん声が小さくなる。


 お酒を飲んだ日は、なんだかいつも彼と一緒に寝てる気がする。

 それだけ信頼してくれていることは素直に嬉しい。

 だけれど、抱きしめてはくれるものの、それ以上進展しないのは自分に大人の魅力が足りないのだろうかと、少し寂しくなる。でも、きっといつか……。


 朝まではまだ時間がある。


 彼女はもう一度ベッドに潜り込むと、彼に顔を寄せ、その温もりを感じながら再び目を閉じた。


 ◆


「おーい起きろ」


 突然頭をくしゃくしゃと撫でられ、エミリスは強制的に夢の世界から引き戻された。


「うんー、ちょっと待ってください……」


 徐々に意識が覚醒してくると共に、身体が動くのを確認する。

 彼女は特に朝が苦手という訳ではないが、それでも瞬時にばちっと目覚めることができるほどではなかった。


「はい……。アティアスさま、おはよーございます……」


 まだうっすらと靄の掛かった目をこすりながら、身体を起こす。


「おはよう、エミー。雨は止んだみたいだ。とはいえまだ街道はドロドロだろうから、ゆっくり目に出発しようか」


 ……ゆっくり出発するなら、もう少し寝ていても良いんじゃ……。


 と少しだけ思ったがもちろん言えない。


「んー、いま何時ですか……?」

「9時過ぎかな」

「……へっ⁉︎」


 驚いて目が覚める。いつもは遅くとも7時には起きている。……お酒を飲み過ぎたときを除いて。


「疲れてただろうから今まで起こさなかったけど、そろそろ起きたほうが良いと思う」

「はい……。申し訳ありません」

「じゃ、ゆっくりでいいから着替えて降りておいで。朝食にしよう」


 彼女の頭をもう一度くしゃっと撫でたアティアスは、そう言いながら笑顔を見せた。

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