第11話 激痛

 エミリスが初めて剣の練習をした翌朝、起きようとすると身体が動かないことに気づいた。


「……あれ?」


 昨晩は疲れもあり、早めに夕食と風呂を済ませてベッドに入っていた。さすがに学習して、お酒は飲んでいない。

 どう考えても三日連続で朝起きられないのは気まずい。


 頑張って身体を動かそうとすると、全身から痛みが襲ってきた。

 実はただの筋肉痛なのだが、彼女にとって初めての経験だったこともあり、何か病気にでもなったのかと慌てる。


「んぐぐ……」


 唸っても痛みは増すばかり。

 我慢して少しずつ手足を動かそうと試み続けて、ようやくベッドから身体を起こすことに成功した。

 さらに気合いを入れ、ベッドに手を付いて何とか立ち上がる。


 ちょっとでも身体を動かす毎に、全身に針を突き刺されたかのような痛みが走る。

 少しでも痛くならないように、ぎこちない動きで部屋を出た。


「おはよう」


 一段一段、手すりにしがみついてゆっくりと階段を下りているときに、ばったりとアティアスと鉢合わせた。


「お、おはようございます」

 エミリスは挨拶を返しながら、アティアスの方に身体を向けようとする。


「――うぐっ!」


 身体を急に動かしてしまったことで、ピキッと痛みが襲ってきて、階段から危うく落ちそうになった。

 それを慌ててアティアスが支える。


「おいおい、大丈夫か?」

「は、はいっ! 大丈夫じゃないですが大丈夫ですっ!」

「どっちなんだよ……。ほら、立てるか?」

「はい、なんとか……」


 一息ついたのを確認して、そっと彼女を解放する。エミリスは、これ以上迷惑がかけられないと、とりあえず手すりに掴まった。


「なんか変な動きだな。……あぁ、もしかして筋肉痛か?」


 彼女の様子をみて、思い当たることはそれしかなかった。


「……これが筋肉痛というもの……ですか? 身体を動かそうとするとすごく痛いんですけど……」


 話には聞いたことがあったが、今まで運動という運動をしていなかった彼女にとって、縁のないものだった。シオスンの屋敷では、建物から出ることすらなかったのだ。


「それを筋肉痛って言うんだ。あまり運動してない人が突然激しい運動をすると次の日に痛みが出たりする。ま、数日で治るから我慢するしかないな」


 彼が詳しく説明してくれた。

 これが数日間も続くのかと思うと憂鬱になる。家事にも支障が出るだろう。


「そうなんですね……。あっ、もしかしてミリーさんが今日は魔法の練習にするって言ったの、これを予想してたのかも……」

「かもな。どっちにしても時間経てば徐々に治ってくるから」


 いずれにしても、変な病気とかじゃ無くてよかったと思う。


「そうだ、マッサージすると治るのが早くなる。やってあげるからベッドにうつ伏せになって」

「ええ? 申し訳ないです。そんなこと……」


 わざわざ私のためにと思うが、彼は気にもしていないようで、部屋に戻るように促す。

 仕方なく、痛む身体を我慢して階段をもう一度上ろうとする。

 それを見たアティアスが後ろからひょいとエミリスを抱き上げた。


「はわわっ!」


 急なことに驚き、声が出てしまう。

 また、階段だったこともあって足がすくみ、つい彼に強くしがみつく。身体が痛いのも忘れて。


「あっ! ご、ごめんなさい……」


 慌てて謝罪の言葉が口に出るが、かといって今離れるのは怖い。

 彼と身体が密着していることに対して、自分でも顔が火照っているのが分かる。


「気にするな」


 そのまま彼は階段を上り、そっと彼女をうつ伏せにベッドへと寝転がす。頭は横向きにして枕に乗せた。


「ちょっと痛いけど我慢して」


 アティアスはまずは腕を揉みほぐそうと二の腕を両手でそっと掴む。


「———————っ!!!」


 彼がぐっと力を入れた途端、エミリスはあまりの激痛を感じて、声にならない声を出してしまう。


「ちょ! ちょっと‼︎ それは、ダメですっ! やめて———っ!!」


 涙目になりながら懇願する。


「ちゃんとマッサージしないと、なかなか治らないから我慢我慢」


 諭すように言いながら、更に指先に力を込める。ただ、彼女には全く聞こえてはいなかった。


「ん——! んん———‼︎」


 ただひたすらに痛い。

 これなら痛みを我慢しているほうがまだマシだ。

 と、ちらっと思うのだが、それすら思考が追い付かない。ただただ痛みに耐えるだけだ。


 腕のマッサージが終わって、ようやく一息つくことができた。


「はうぅ……。痛すぎませんか、これ……?」

「そうなのか? そんなに力は入れてないんだけどな。……じゃ、次は足もやっておこうか」


 ぐったりと放心していると、すぐに次に太ももがぐりっと抉られる。


「———————!!」


 頭が真っ白になる。

 腕のマッサージなど大したことがなかった、と思えるほど、桁違いに痛い!

 そもそも彼に太ももを触られている、ということ自体が恥ずかしいことなのだが、そんなことに意識が向けられる余裕などあるはずがない。


(あ……。も、もう無理……)


 それ以上声も出せず、そのまま意識が薄れていった。


 ◆


 ひとしきり全身のマッサージが終わったあと、彼女は魂が抜けたように、ピクリとも動かない。


「終わったぞ?」


 アティアスが声をかけるが反応がない。

 ただ、うっすらと目は開いていて、頭を乗せていた枕には涎で染みができていた。


「おーい、大丈夫か?」


 肩を軽く揺り起こすと、はっとした様子でぱちぱちと瞬きをした。


「あ……、私……?」


 ほとんど意識が無くなっていたことに自分で気付く。

 これほどの痛みを味わったことは今までに無い、と言えるほどのものだった。以前奉公していた時に、足に壺を落としてしまったときよりも、何倍も。とはいえ、鞭で打たれるような、精神的な痛みを伴うものとはまた違う。


「アティアスさま……。やめてって言ったのに酷いです……」


 厚意でマッサージをしてくれたのだろうが、ついつい恨み節が口にでてしまう。


「でもちょっとマシになっただろ?」


 そう言われて身体を動かそうとすると、確かに少し身体の痛みが減っていた……ような気がした。

 身体を起こしてベッド脇に座ってみたが、先ほどよりはずいぶん楽になっていた。


(でもこれ、マッサージの痛みが酷すぎて感覚が麻痺してるだけのような……?)


 そう思ったが口にはしなかった。


「マッサージすると治りが早いんですよね? どのくらい違うんですか?」


 代わりに違う疑問を聞いてみる。だが彼は頭を掻きながら曖昧な返答をした。


「いや、俺は筋肉痛にならないし、よくわからないんだよな」


 ――ええーっ!

 もしかして、ただ痛いだけだった可能性も……?

 それだったらちょっと恨めしい。


「むー、私泣いても良いですか……?」


 ジト目で彼を見上げると、慌てた様子を見せる。


「す、すまん。……たぶん、きっと、効果はあるって」


 そう言いながら、手を伸ばして彼女の頭を撫でた。

 その心地よさに、彼女はもやもやしたものがすっと引いていくのを自覚した。


「仕方ないですねぇ……」


 しばらくそのまま彼の手の感触を堪能した。


 ◆


 そのあと、頑張って食堂まで降りる。

 卵を焼いて、買い置きのパンとお茶で軽く朝食を作り、2人向かい合って食べる。


 身体を動かさなければそれほど痛みはない。ただ、特に階段を降りようとする時などは、手すりに掴まらないと降りられない程だった。

 練習を続けていれば、そのうち筋肉痛にもならなくなるのだろうか。


 練習二日目にして、早くも先が不安になった。

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