第8話 不覚

「自己紹介の最後はあなたね。……言えるところだけでいいから」


 ミリーが優しくエミリスに声をかける。


「はいっ。私はエミリスと申します。エミーとでも呼んでいただければと。小さな頃は全くわからないんです。だから名前も実は違うのかもしれません。物心ついた頃から色んな方のところを転々として、雑用ばかりしてきました……」


 辛いことが頭に浮かんだのか、少し俯いて話す。

 それを見たミリーが明るくフォローする。


「辛いことは忘れちゃおうよ。でもそのおかげであたし達こんな美味しいもの食べられるんだから感謝、だね」

「……ありがとうございます」


 エミリスに少し笑顔が戻った。


「ところでエミーは幾つくらいなの? 孤児ってことだと、正確にはわからないんだろうけど……」


 何気ないミリーの問いだったのだろうが、エミリスは明らかに動揺していた。


「えっと……あの……正直、自分の歳は全然わからなくて……。ただ、小さな頃ゼバーシュに少し居たのですが、その時にゼバーシュ伯爵が結婚式をしていたように覚えてますので、生まれたのはそれより少し前なのかなと……」


 彼女の返答に半ば呆れつつもアティアスが言う。


「ちょっと待て。ゼバーシュ伯爵って俺の親父だろ? 結婚式は30年以上も前だ。それはあり得ないだろ……」

「どう見てもまだ15歳とか、そのくらいよね?」


 ミリーも同調する。


「その……私も前から不思議に思ってるんですけど……なかなか大きくならなくて……。でも毎日同じような生活でしたので、それを意識したことはありませんけど……」


 エミリスが嘘をつくようには思えないが、俄には信じられない話だ。

 アティアスはそう思うが、考えても仕方がない。本人にもわからないことが他人にわかるはずもない。


 でももし本当なら……?


 特徴のある目や髪も含め、エミリスの出自にますます興味が出てきた。とはいえ、今の彼女は見た目も言動も少女のそれである。急に大人として扱うのも無理がある。


「ま、気にしないでおこう。そうだ、20歳超えてるって言うならお酒飲んでも大丈夫だろ?」


 アティアスが言う。


「ええっ⁉︎ いえ、私……飲んだことないので……」


 慌てて断ろうとするが、アティアスはワイングラスを強引に手渡す。


「だ、ダメですよ!」

「誰でも最初は初めてなんだ。……ビールは苦いし、こっちのほうが良いだろ。さ、乾杯!」


 強引に乾杯させられたエミリスは後に引けず、目を閉じてワインを口に含んだ。


「あれ……? これ意外と美味しいですね……」


 初めてのお酒の味は想像していた味と違っていた。葡萄ジュースのようなものを想像していたが、そうではなかった。


 それになんだかポカポカするような……?


 ◆


 ――頭が痛い……。


 意識がはっきりしないのを我慢して、エミリスは重たい身体を起こした。

 いつのまにか、ベッドで寝ていた。


 あれ……?

 私何をしてたっけ……?


 考えても思い出せない。

 夕食のために料理を作っていたことまでは覚えている。

 その先のことがわからない。


 それに気分が悪い……。吐き気がする……。


 考えても仕方ない。

 枕元に誰かが置いてくれていたのだろうか、水を一杯だけ飲んで、もう一度枕に頭を埋めた。


 ◆


「すまん!」


 朝遅くにフラフラと起きてきたエミリスを見るなり、アティアスが頭を下げる。


「あ……。アティアスさま、おはよう……ございます……」


 まだ頭がズキズキと痛む。相変わらず記憶はない。

 彼女は頭を押さえながら彼に問う。


「私……昨日のことが、全く思い出せなくて……皆さんにご迷惑おかけしたりしませんでしたか……?」

「俺がお酒を飲ませたのが悪かった。どんどん飲むからいけるのか思ったんだが、突然バタッと……」


 そうだ……私お酒を飲んだのだっけ……?

 うっすらと記憶の片隅にその光景が浮かんできた。美味しくてついつい飲み過ぎてしまったのだろうか……?


「お恥ずかしいところをお見せして申し訳ありません……」


 よくわからないがとりあえず謝っておくことにした。

 飲み過ぎるといけないのは知識としては知っていたが、それが実際どの程度のものなのかは全くわからなかった。


 でも、次は程々にしておかないと……!


 と思った。


 ◆


 アティアスが持ってきてくれた冷たい水を飲んで、少し落ち着いたエミリスは食堂に降りる。

 昨日の皿などは片付けられていた。


 彼に聞くと、帰る前にミリーが片付けてくれたそうだ。お客様にやっていただくとは……。恥ずかしくて赤面した。


「いやー、昨日はいい飲みっぷりだったな」


 先に起きていたノードが揶揄う。

 それを聞いて彼女はますます顔を赤くした。

 もう絶対飲み過ぎないようにしなければ。もう失態は懲り懲りだと、固く心に誓う。


「……それにしても、アティアスのどこがそんなに気に入ったんだ?」

「…………?」


 突然の質問の意図がわからず、頭に?が浮かぶ。なぜそんな質問を……?


「……どこが? と、言われましても……どこでしょうか……?」


 痛む頭に更に混乱が加わる。答えを考えようとすると頭がぽーっとする。

 おろおろしていると更にノードが言う。


「昨日『一生お側でお仕えします』とか『生涯捧げます』とか、真面目な顔で言ってたからさ」


「…………はい?」


 何を言っているのか?


 理解しようとするが思考が追いつかない。頭が真っ白になって何も考えられない。

 仕方ないので彼の言葉をもう一度ゆっくりと頭でなぞってみる。


 えーっと、私が言ってた……? 生涯捧げます……??


 ようやく理解が追い付いてくると共に、一気に目が覚めた。


「……えっ⁉︎ えぇえ?!」


 全く記憶にはないのだが、その光景を想像してしまったエミリスは、耳まで真っ赤になって固まってしまった。

 今となっては彼に頼るしかない自分は、確かに心にそういう思いを持っているが、当面秘めたままにしようと思っていたのだ。

 しばらく固まったあと、なんとか最初の質問に回答しようと言葉を絞り出す。


「あのっ……その……。こんな私にでも……お優しくしてくださるところとか……でしょうか……?」


 顔から湯気が出そうだ。


「そうか。俺は期待してるからまあ頑張れよ」


 からからと笑いながらノードが言った。


「……からかうのもほどほどにな」


 それを見ていたアティアスは、こめかみを掻きながら彼女をフォローする。


「よかったなアティアス、これだけ懐かれて。仲良くしろよ? ……じゃ、俺は散歩でもしてくるわ」


 ひとしきり揶揄って満足したのか、二人を残してノードは出て行った。


「……あの……先ほどの話……わたし本当にそんなことを……?」


 真っ赤になったまま、ぎこちなくアティアスに顔を向け、恐る恐る聞いてみた。


「あ……。まぁ……そうかな……?」


 言いにくそうにアティアスが答える。


 あぁあ……。

 もうお酒は絶対禁止!


 恥ずかしくて部屋に逃げ帰りたくなるが、やってしまったことは取り返せない。

 仕方なくエミリスは諦めることにした。



 その後も頭痛と気持ちの悪さがなかなか取れなかった。


 我慢して洗濯などしようとしたのだが、無理をするなとアティアスに言われ、エミリスは大人しくベッドに戻ってしばらく休むことにした。

 横になると少しだけ楽になった。

 仕事のことを気にせずゆっくり休むことなど、今まで記憶にない。体調が悪くとも、ちゃんとしていないと叱責されるのが当たり前だった今までとは大違いだ。


 ずっとこんな生活が続けばいいのに……。


 そう考えているうちに再び眠りへと落ちていた。

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