第42話 訃報
クリスマスの飾りの片付けをしていた。僕は小さな三脚にのって、上の方の飾りを外していく。落ちた飾りを子ども達が喜んで拾ってくれる。わざと遠くに投げたりしていた。今日で今年最後の登校日だったので、片付けと大掃除をした後はピザパーティーをする予定だ。今日は西川晶子が取材に来る日と重なっていたので、夜は僕たち大学時代の三人とスタッフも含めて忘年会を予定していた。年末に近くなるにつれ、特に何もしないのに、慌ただしくも楽しさを感じるのはどうしてだろう。
水も冷たく感じるけれど、みんなで一生懸命窓拭きをした。僕もサンルームの屋根を拭けるところまでは頑張って拭いて、また綺麗に光が入るように、と掃除する。
玄関のチャイムが鳴って、南友梨が西川晶子とカメラマンを連れてきた。
「掃除中だったのね」
「今日で、今年最後だからね」
「いいなぁ。私たちは二十八日までよ」
「大変だね」
僕は三脚から降りて、それを畳んだ。
「そこの美人さんに話は聞いて。なんでも分かってるから。後少ししたら、イケメンも来るから写真撮ってあげて」と僕は南友梨にインタビューしてもらうようにお願いした。
「あら、それは絵になるわね。二人揃ったら、写真撮りましょ」
「今の発言は問題ありますよ」と南友梨が僕に言う。
「あぁ、そうでした。僕は喋らない方がいいみたいですから、お願いします」
「何? 喧嘩でもしてるの?」
「ピザの味付けで揉めただけです」と僕が言うと、南友梨が「だって、辛いのを選ぶからです。子ども達はそんなの食べれらません」と言い返した。
「だからマヨコーンに変更しましたよね?」
「当然です」と言って、顔を横に向けた。
「珍しいこともあるのね。喧嘩なんて…」と言いながら、携帯をチェックしていた西川晶子が「あ」と呟いた。
「森本肇って同じ大学で…」
「うん?」
「…訃報だけど」
久しぶりに聴いた名前は懐かしさを感じながら、思い出すのに、ほんの少し時間がかかった。確かに僕はその名前に安らぎを感じるような暖かいイメージがあった。
「森本…肇」
(ソーダ)と呼びながら、背中を思い切り叩いた大きな手。あの熊のような巨体を時にはくねくねと動かすような仕草を思い出して、随分忘れていたことに気がついた。
「訃報?」
西川晶子が携帯を差し出して、SNSのニュースを僕に見せた。演出家の森本肇、雑居ビルの階段より転落死と書いていた。僕はそのニュースをじっと見て、文字を何度も繰り返し目で辿っていた。
「エンターテイメント特集で彼の劇団についても記事にしてて。私は取材には行かなかったんだけど。同期が行ってて、同じ大学で同じ年だから知らない? って聞かれたんだけど。ものすごく楽しい取材ができたって言ってたのに」
「あの…これ」
「ん?」
西川晶子も画面を覗き込んで、また僕の顔を見た。
「なんで…死んだんだ?」
「そこに書いてるでしょ? …もしかして知り合い?」
「うん。何度か話したことある。劇も…見たことあった。学生の頃だけど」
「そうだったの」
携帯を西川晶子に渡して、僕はため息をついた。留学すると言って、バイトに明け暮れ、アメリカに行ってからは思い出すこともしなかった。向こうで働いてる時に完全に忘れていて、今の今まで彼がどうしているのかと気にもかけていなかった。
(夢は…叶ったんだ)と僕は心の中で呟いた。
「新田君、大丈夫? 施設の写真撮らせてもらうわね」
「うん。適当に…お願いするよ」
西川晶子の後ろ姿を見ながら、僕は(なんで死んだんだ?)と疑問を心の中で繰り返していた。
「新田さん、オーダー全部マヨコーンになってますけど?」と南友梨に言われて、僕は我に帰った。
「じゃあ…追加で適当にオーダーしてください」
「食べきれませんよ」
「残りは持ち帰ってください。ちょっと電話してきます」
僕は事務室に行って、遼子に電話をかけた。
「もしもし、どうかしたの?」
「うん…。あの…知ってるかもしれないけど…森本君が」
「森本?」
遼子も記憶から薄れているようだった。
「大学で一緒だった演劇科の森本君」
「あ、懐かしい。森本君ね。元気にしてるかな?」
一瞬、言うべきか迷ったが、聞いて欲しくて電話したんだから言うと決めた。
「…亡くなったらしい」
「え?」
電話の向こうにも重たい沈黙が届いたのがわかる。
「どうして?」
「雑居ビルの階段から転落したらしくて」
「…だからどうして?」
僕と同じ質問を繰り返す。
「…分からない」
「奏太、大丈夫? 今夜、そっち行こうか?」
「うん。でも…夜に忘年会があるんだ」
「分かった。あのね…お葬式とか聞いてみる。芸術科の子だったら、何か分かるかもしれないし。分かったら連絡するね」
「ありがとう。…遼子」
「何?」
「…堪らなく寂しい」
「うん」
「今まで忘れてたって言うのに。こんなに薄情なくせに…なんか辛い」
「うん。分かるよ」
「…ごめん。こんなこと話して」
「謝らないで。…だって森本君は奏太のこと、好きだったもんね」
「え?」
「いつもソーダって呼んでたけど、愛称つけられてるの奏太だけだったよ」
「…みんなにつけてるのかと思ってた」
「ううん。…また後で話そう。仕事中でしょ?」
「うん。そうなんだ。ごめんね」
「またね。何かあったら連絡して。私も連絡するから」
そして電話を切って、僕は悲しいような悔しいような気持ちが湧き上がったが、彼を忘れていた僕はそんな気持ちを持つ資格はないように思えて、動けなかった。
ノックをされて、返事をすると、南友梨が顔を覗かせた。
「キャンセルして、ちゃんとオーダーやり直しましたよ」
「…え?」
「ピザの話ですけど」
「あ…。ピザか…」
「大丈夫ですか?」
「…うん。いや。なんだか自分が…酷い人に思えて…いや、実際そうですけど、気分が最悪です」
「新田さん?」
「少しだけ。…五分で戻るので、一人にしてください。インタビューお願いしますね」
そう言って、僕は南友梨に背中を向けた。黙って、出ていく気配を感じると、力無く、椅子に座った。こんなことになるまで僕はきっと彼を思い出しもしなかっただろう。そのくせ、この言いようのない気持ちを抑えられない自分に吐き気がした。
(夢は叶ったんだよな?)
窓を開けて、冷たい風を部屋に入れる。
(お祝いの言葉さえ言ってない)
頭の外側が硬くなって、頭痛がしそうだ。
(再会する約束なんてしてなかったけど、勝手に…ずっと元気でいると思ってた)
窓からすぐ目の前の通りを近藤礼央が歩いて来るのが見える。
(だって、努力して正解に辿り着けって…? …辿り着いただろ?)
目を強く閉じて、息を吐いた。
(僕に言っておいて…)
何も見えないのに、光を感じる。
(でも僕は何も言うことがない。言える立場じゃない)
そっと窓を閉めた。涙も出ない。声も出なかった。
(今、どこにいるんだ?)
下に降りると、到着した近藤礼央と南友梨が並んで写真を撮っていた。本当に絵になる二人だと思って、少し見惚れてしまった。高田藍も来ていたようで、「不動産屋さんと連絡ついたようね」と僕に聞いた。
「紹介してくれて、ありがとう。…明日、見にいくつもりなんだ」
「いい家が見つかるといいわね。ほんと、私、紹介料取ろうかしら」
「給料に上乗せしておく」
「…でも二人とも綺麗よね」
「うん。若いって…それだけで綺麗だな」
「私たちもあんなだったかしら? もっと普通だった気がする」
「確かにあの二人が特別かもね」
「まぁ、二人とも外見がいいしね」
二人を見ていると、僕が取りこぼしたものがまだまだ近くにあって、いくらでも可能性があり、たくさん選択肢もある時間を感じる。
「私なんてすっかりおばさんになってしまったわ。もっといい生き方できたのかなって思う」
「高田さんは羨ましい生き方してるけどな」
「え?」
「いい旦那さんとかわいい娘に…僕に紹介してくれる人脈。たくさんの人と知り合って、つながりがある。僕にはないからさ」
「…後悔してるの?」
「…してる。でもいつもしてる気がする」
「確かに、いつもちょっと暗いもんね」
「え?」
「でもそれだけ、いつも頑張ってるじゃない。後悔してるかもしれないけど、新田君はいつも頑張ってる。私にはそれはできないかな」
僕は高田藍に顔を向けた。高田藍が「大学の頃から、ずっと頑張り屋さん」と僕に言った。
「それしか…ないから」
「充分よ。お釣りが来てるじゃない」
「…駅前でもアフタースクールをやろうかと考えてて。このフリースクールの運営資金をもう少し充実させたいから」
「また人材派遣ね…」とため息をついた後、笑い出した。
ピザが届くと、子ども達は大喜びをして、テーブルについた。僕が適当に頼んだピザより数倍も子ども達のことを考えたピザだった。昨日はクリスマスパーティだったし、今日はピザパーティ。明るい気持ちで年末年始を過ごしてもらいたくて、連日パーティにした。学校に行けないというのは考える以上に親にも本人にも辛いことだ。だからここにいる間は少しでも楽しい時間を過ごしてほしいと思っている。勉強したいと言い出す子にはちょっとしたドリルをさせたり、計算を教えたりしている。それを横で見ながら遊んでいる子もいるけれど、ちょっと興味を持ってくれる時もある。子ども同士で刺激し合うってすごいことだな、と思いながら、興味を持ったら、ほんの少しだけ手伝ったりもする。
南友梨も近藤礼央も二人とも強制はしないし、南友梨は楽しい提案をして上手く子ども達を誘うけれど、近藤礼央はその誘いに乗れない子どもに寄り添ってくれる。本当に仕事上でいいパートナーだ。
そんな内容をインタビューに追加してもらった。
「僕の仕事? お金の管理かな。対外的にもここが潰れないようにすること…」
「そんなこと書けないじゃない」と西川晶子は笑った。
「マネージメントって書いといて」
「まぁ、そうよね。…で、大丈夫なの?」
「経営?」
「違うわよ。さっきの訃報」
「…うん。長らく会ってないから。僕がそんな感情を持つのもなんか申し訳ないんだけど」
西川晶子はボイスレコーダーを切った。
「腹が立って」
少し時間が経つと、なぜか僕は怒りが込み上げていた。
「仕方がない」
「…亡くなった理由ね」と言って、携帯を操作した。
「ちょっと聞いてもらったのよ。取材に行った同期に。記事書いたけど…まだ雑誌に載ってないから。万が一…後から何か出てきても困るしね。…差し替えなきゃいけないかもしれないし。…で、周りの人たちは彼のことを優しいって口を揃えて言うのよ。お酒も好きで、あの日はたくさん飲んでたって。それにもうすぐ新しい内容で公演する予定があったって。もちろん劇団員の中で揉めることなんて、多少はあったと思うし。…でも眠れなかったって話もちょっと聞いたみたいよ。一人で眠れないって言って、みんなが練習してる間に寝てたりしたんだって…。でもそれはみんな深刻なことじゃないと思ってたみたい。いつも本当に明るかったから…」
「…結局、本人にしか分からない…か」
「そうね。酔ってたから足を滑らしたのかもしれないし…」
「ありがとう。もう…いい」
「…また何かあったらいつでも言って」
「うん」
結局のところ、僕はそんなに懇意にしていたわけでもないし、森本肇から連絡をもらったこともない。だから悩んだり悲しんだりする立場でもないのだ、と言い聞かせてこのことを忘れようとした。
子ども達が帰っていくのを見送ると、僕は携帯に遼子から連絡が入っていることに気がついた。通夜は今晩で、明日が葬儀だという。遼子はお葬式に誘ってくれているが、明日は家の内覧をする予定だったので、そっちを優先させた。メッセージを送ったら、すぐに遼子から電話がかかってきた。みんなから少し離れて電話を受ける。
「奏太、大丈夫? 明日、内覧キャンセルしていいよ? お葬式行かないと後悔しない?」
「ううん。…なんか僕の勝手な思いだし。ぐずぐずしてたら不動産屋も正月休みになるから、明日行こう」
「…本当にいいの?」
「うん。大丈夫」
「…分かった」
電話を切って、忘年会の店にみんなで出かけた。
その日はいつもより飲んで、でも少しも酔わずに、家に着いた途端、玄関で倒れた。それでも早朝に目が覚めた自分が少し悲しかった。重たい体を引きずってシャワーを浴びて、なぜだかこぼれる涙も一緒に流した。
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