第38話 わがまま

 朝に遼子の携帯に電話をした。遼子は僕にお弁当を作ってくれるという。だからお昼前に着くと言ってくれた。昨日までとは全く違う今日の始まりだった。家をでるギリギリまで掃除をして、ごみを出した。アパートから仕事の家まで五分もかからずに着く。でも流石にギリギリだったので、走って向かった。

「おはようございます」と南友梨が玄関で待っていた。

「ごめんね。遅れて。ここの合鍵渡しますね」と言いながら、鍵を開けた。

「新田さん、恋バナしてください」

「恋バナ?」

「そうです。新田さんの恋バナ聞きたいです」

「僕のは…そんなにいい話じゃないですけど…。南さんは紹介の彼とはどうなってるんですか?」

「…なんか引け目を感じてしまって。あんな好条件の人が私の何を好きと思ってくれてるんだろうとか思うと…。理由が私の若さだったら、後々浮気しそうだし」

「心配性ですね」

「だから新田さんの恋バナが聞きたいんです。私…何だか分からなくなってしまって」

「掃除もしなければいけないし…子どもたちが来ますから、少し後で、話しましょうか。今日は…高田さんが早めに来てくれる日なので、その時に」

 そう言うと南友梨は頷いて、荷物を事務所に置きに行った。僕は玄関を軽く掃除して、プランターに植えられたクレマチスに水をあげた。ふとこの家で犬を飼うのもいいかもしれない、と思った。


 高田藍が来ると、南友梨の話をして、少し子どもたちを見てもらうことにした。

「新田くんが話をするの? 私がしようか?」と言ってくれたが、後で高田藍にも話すことになると言って、とりあえず二人で話をすることにした。

「人を好きになることが分からなくなりました。わがまま言って、条件に合う人を探してもらったのに…。何回デートしても、まだ好きにならないんです。好条件っていうのはすごくよくわかってるんです…」

「南さんが彼のことを条件しか見てないからじゃないですか? 彼が優しくしてくれたこととか、そういうのなかったんですか?」

「…わかりません。多分…優しくしてくれました」

 素直に俯くので、僕は紅茶を淹れて差し出した。

「恋って、無理にできるものでもないし…、無理に止められるものでもないんです」

「…じゃあ、恋じゃないのかな」

「そうでしょうね。…でも何か恋ができない原因があるんですか? アイドルが好きすぎるとか?」

「…新田さんが好きです」

 半分、そうだろうな、と分かっていた。

「ありがとうございます。でもそれは…受け入れられません」

 それを聞くと、南友梨の目からするすると、涙が溢れて落ちて行く。

「…分かってます」

 ティッシュを箱のまま渡した。

「僕は南さんが思ってるような人じゃないです。年をとっているから、それなりに見えるだけで…。自分勝手でひどい人間です」

 首を横に振りながら、ティッシュに顔を埋めている。

「僕は南さんに感謝してます。いつも明るくて、みんなの気持ちを楽しくしてくれて…。だから辞めて欲しくないですけど…。辛かったら…」 

 南友梨はさらに泣き出した。

「辞めたくないです」と泣きながら首を横に振った。

「それはありがたいです」

 遼子がここに来るって言ってたけど、正直、顔を合わせるのはよくないな、と思った。時計を見ると、もう着いている頃かもしれない。

「…ちょっとそこで待っててください」と言って、部屋を出る。

 サンルームで子どもと絵を描いている遼子がいた。その場に一緒にいた高田藍がこっちに来た。

「上手く行った?」

 僕は首を横に振った。

「泣かせてしまった」

 高田藍が、遼子には南友梨のことを説明していると言った。

「どこまで?」

「全部よ。…とりあえず、会わさない方がいいと思うの。…どっちかに帰ってもらえないかな?」

 僕はため息をついて、遼子に話しかけた。サンルームで子どもと絵を描いている遼子は手を止めて、ゆっくり僕を見た。

「お弁当、テーブルに置いてるから…。帰るね」

「ほんとに…ごめん」

「ううん」

 ひそひそ話していると、南友梨が目が腫れたまま降りてきた。

「すみません」と頭を下げる。

「大丈夫?」

「はい。私、甘えてました。これから働きます」と言って、子どもたちを外に誘った。

 そして描きかけの絵を見て、遼子に「お昼、新田さんとの恋バナ聞かせてください」と言って、庭に行った。

 子どもたちと育てているネギが大きくなったら、みんなでうどんを作ろう、とはしゃぎ出した。子どもたちは何も分からないのか、同じようにはしゃいで南友梨の周りを飛び跳ねていた。

 サンルームからその様子を見て、僕は居た堪れない気持ちになった。

「南さんがお昼抜けるから、私が代わりに入るけど…お昼は鰻丼、食べたいわぁ」と高田藍が言った。

 経費が嵩む、と僕は思ったけれど、注文しないわけにはいかなかった。お昼から来た、近藤礼央と僕と、高田藍で子どもたちと一緒にお弁当を食べることになった。一人だけ特注の鰻丼を食べている人がいたけれど。子どもたちはいつも明るい南友梨がいないので、不思議そうな顔をしている。少し気まずそうな子もいた。すると高田藍がお昼を食べたら、みんなでデザート作ろうか、と言うので、急に子どもたちの気分が変わったのか、みんなにこにこし始めた。クリスマスのアイシングクッキーを作ろう、と言う。

「僕、やってみたかったんです」と言ったのは近藤礼央だった。

「じゃあ、みんな、お昼はしっかり食べてね。お買い物も一緒に行きましょう」と言って、事務所で話している二人に留守番を頼みに行ってくれた。

 僕も付き添うことになって、みんなでスーパーの買い出しに行くことになった。高田藍も子どもたちの相手が上手くて、本当に助かった。昼ごはんを食べ終えるとみんなで買い出しに行った。いつもいる場所から少し離れるだけで、子どもたちはすごく嬉しそうにはしゃいでいた。ゆっくり時間をかけて、買い物をして、すぐに手を綺麗に洗って、クッキーを作り始める。焼けたクッキーにアイシングするのは、やはり近藤礼央が上手かった。一人の子が、ぐしゃぐしゃながら顔を描いている。

「誰の顔?」と聞くと「新田さん」と答えてくれた。

 なぜかみんなが笑ったけれど、僕は嬉しくなった。その子は全員の顔を作ると一生懸命描いていた。そんなことをしていると遼子と南友梨が下に降りてきた。

「うわぁ。可愛い」と南友梨がみんなのクッキーを褒める。

 南友梨がいるだけで、みんなの空気が変わる。みんなが次々と彼女に自作のクッキーを見せにくる。

「上手ねぇ」

 そう言うだけで、笑顔が弾ける。僕が同じことを言った時とは全然違う反応だった。残念に思いつつも、僕は話し合いが気になったので、遼子の方を振り返った。

「私、今日は帰るね」と言って、手を小さく振った。

 僕は玄関まで、と思って見送ろうとした。

「大丈夫?」

「うん。あんなに可愛い人に好きになってもらえる奏太が羨ましい」と遼子は笑った。

「え? 何、話したの?」

「それは内緒。じゃあ、またね」

 僕は玄関先じゃなくて、「駅まで送る」と言った。断る遼子に無理矢理ついて行くことにした。

「ねぇ、分かってると思うけど、もう遼子を失いたくないんだ」

「…奏太。寒くないの? コート取ってきたら? 待ってるから」

「昼間だし、走って帰るから大丈夫」

 遼子は諦めたようにため息をついた。肌寒い日だったけれど、地球温暖化の暖冬なので我慢できる。遼子の荷物を受け取って、僕は体の調子を聞いた。

「病気は治らないけど…でも奏太に甘えられるから、いいかなぁ」と僕の腕に抱きついて微笑む。

 病気じゃなくても…と言いかけて言葉を飲んだ。病気に対して、明るい気持ちでいるために適当な理由づけしている遼子の努力を壊す必要はなかった。

 遼子は何もなかったように、僕の腕を取って、黙って歩いている。

「彼女…若いから」と僕から話を始めた。

 僕の横顔をじっと見てから、遼子は言う。

「昔の私を見てるみたいだった」

「ドイツ語の…」

「そう。だから気持ちは痛いほど分かって、何も言えなかったの」

「彼女はなんて?」

 思い出したのか、少し笑って「新田さんをくださいって言ったの」と教えてくれた。驚きと共に、遼子の返事が気になった。

「何だかすごく一生懸命なのが胸に伝わって…」

「うん?」

「もう少しで、どうぞって言ってしまいそうになった」

「え?」

「もしかしたらあの頃の私にかもしれないけど…言ってしまいそうになったの。でもちゃんとお断りした。奏太の気持ちもあるし、私には決められないから」

「…それで納得してくれた?」

「いろいろ聞かれて…正直に話したつもりだけど…奏太のことがすごく好きな彼女が可愛くなってきて…いいかな? って思ってきちゃった」

「いいかなって…」

「奏太が幸せになるなら、彼女とでもいいかな? ってそんな気分になったの」

「よくないよ」

「私はもう奏太の子どもを産むことはできないし、こんな病気だからいつかは迷惑をかけてしまうから…。若くて健康で…しかも可愛い彼女ならって」

 下を向いて、話す遼子の横顔が悲しかった。

「遼子、僕は別に自分の子どもにこだわってない。育てたいと思うなら、養子だって別に構わないと思う。でも今、僕のところに通っている子どもたちの力になりたいって考えてるから、自分の子どもが欲しいとかそういうの…本当になくて。それに病気だって、もしかして僕の方がひどい病気になるかもしれない。先のことはわからないし、でももし遼子が心配するようなことがあったとしても、今度は僕が遼子を支えさせて欲しい」

 僕は必死に気持ちを伝えた。上手くまとまってはいないけれど、でも何があっても一緒にいたいことは伝わって欲しかった。遼子は黙って聞いていたが、ふと空を見て、息を吐く。

「不思議な子よねぇ。みんなに愛されるの分かる気がする」

 まぁ、確かに子どもからも愛されてるし、なんだかんだと面倒を見てくれている高田藍も嫌ってはいない。

「若いし、可愛いし、気持ちはあるし…。敵わないってそう思ったの」

「そんなことないから」

「うん…。でも『あなたには敵わないけど、私は奏太が好きだから』って。そう言ったら驚いた顔してた」

「え? どうして?」

「何だか、奏太が私のことを一方的に好きだと思ってたみたい。なんでそう思ってたのか分からないけど。だから私が曖昧な態度を取って、奏太を弄んでいると思ってたのかな?」

「そんな話何もしてないけど」

「…だから時間がかかったんだけど、出会いから、今までのことを話したの。でも一回別れてるのに、どうして戻ってきたか? とか一つ一つ真剣に聞かれて、本当に可愛くて。途中、話は脱線したりもしたけど…。全部、真っ直ぐで眩しかった」

 どうやら、遼子は南友梨が気に入ったようだ。

「私、若い頃、あんなに真っ直ぐじゃなかったから羨ましくも思ったな」

「好きだ」

「え?」

「好きだ、好きだ」

 何度も同じ言葉を繰り返して言った。遼子は目を大きくして僕を見ている。

「ずっと、あの頃から好きなんだ」

 誰かの代わりでもいいって思ってたあの日からずっと、変わらない思いを抱えてる。蓋をしても、見ないふりをしていても、僕はその気持ちを手放せずに今までここにいる。

「お願いだから…他の人との幸せなんて言わないでほしい」

 情けないことを言ってると分かってる。でもこれ以上は限界だった。まるで駄々っ子のようだ。

「奏太…」

「僕はもう遼子と離れたくない」

 本当に僕は遼子の前では格好良く振る舞うことができない。外見は年を取ったのに、中身は少しも変わらず…いや、低下している気がしている。自分が嫌になった。そんな僕の手を遼子は繋いでくれる。

「奏太がわがまま言うの、初めて聞いたかもしれない。ちょっと新鮮だった」

「…反省してる。でもこのままだと歳を取ってからわがまま爺さんになりそうだ」

「それは困るかも」と言って笑う。

 僕だけ、年月を重ねても成長ができなかったみたいで、心から恥ずかしく思った。恥ずかしく思ったのに、僕はまたわがままを言ってしまった。本当にどうしたのだろう。

「でももうこれ以上は耐えられない。わがままを止めるためには…すぐにでも…一緒に。今までの時間を埋めたい」

「奏太…。変わったね」

「え?」

「前は言いたいことも我慢してたのに」

「…確かに。口に出すことは少なかったかな。でも…もう無駄にできる時間がないって思うから。ごめん。嫌になった?」

「ううん。ちょっと…驚いてるけど…嫌になんかならないし…一緒にいたいって言ってくれて嬉しい。…じゃあ、一度帰るけど…夜にまた来ようかな?」

 駄々っ子の様だった僕は一呼吸置いて、嬉しさを隠して、年相応に振る舞った。

「うん。駅まで迎えに行くから、電話して」

 そのために部屋を片付けたんだ、と僕は心の中で思った。

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