第35話 職場飲み会
「新田さんはいつもその絵を眺めてますね」と事務室に入ってきた南友梨に言われる。
「いい絵だと思いませんか?」
「わかりません」
正直に言う南友梨がおかしくて、僕は笑った。
「私はアイドルの写真の方が何倍もいいです」
「それはいいでしょうね」
本当に南友梨は心身共に健康体で、僕もここにくる子どもたちも明るい気持ちにさせてくれる。
「一つ不満なんですけど…」
「何ですか?」
「ここは出会いがないので困ってます」
確かに出会えると言うのは、小さなお子様だけしかいない。年頃の女の子にはなかなか厳しい環境と言える。僕は首を傾げて、「マッチングアプリとかしないんですか?」と言ってみた。
「あんなの、もう何回もやってます。全然、いい人に会えませんでした」
「じゃあ…三時から来る高田さんという人に聞いてみますね。あの人、顔が広いから」
「あの素敵な女の人ですか?」
「…素敵…な、人…ですね。確かに」
僕は首を傾げながら、言った。また「結婚相談所じゃないわよ」とか怒り出すのが予想される。
「新田さんは結婚しない主義なんですか?」
「…誰が、僕と結婚したいって思ってくれるんですか? 莫大な借金も抱えて、自転車操業で、もういい年の新田さんに」と自分で言ってみたが、確かに条件が最悪だった。
「うーん。…でもきっといい人がいますよ」
僕はそう無責任に言い切る南友梨に対して、少しも嫌な気持ちにならなかった。そして言った本人はどこかに消えて行った。
三時になって高田藍がやってきたので、僕は南友梨に素敵な人を紹介できないか、と聞いてみると、本当に呆れた顔を見せた。
「すごく福利厚生がしっかりしてるのね」と嫌味を言われたけれど、僕は肩をすくめるしかなかった。
「好みは本人に聞いて」と言って、庭で何かを植えていた南友梨を呼んだ。
すごく嬉しそうに走ってくる。
「あの子ね…。なるほどね」と高田藍はため息をついた。
そして臆することなく、自分の希望と好みを告げた。アイドルの誰かに似ていて、公務員か、安定した企業にお勤めの三十代半ばまでの男性らしい。僕は思わず苦笑いをした。なんだか、とっても小さな子が目をきらきら輝かせて好きなお菓子の話をしているようにも思えたからだ。
「そんなに人のこと笑ってますけど、新田さんにもいい人をお願いします」と頬を膨らませて言った。
高田藍が僕の方を見て、それから南友梨に耳を貸すように言った。小さな声で話したので、何を言ったのか聞こえなかった。
「え?」
少し驚いたような顔をして、そして悲しい顔をして、「仕事に戻ります」と言った。
「なんて言ったの?」
「忘れられない人がいるって言ったのよ」
僕は笑えてただろうか。
「じゃ、私も宿題を見てくるわね」
そう言って部屋を出ようとして、振り返った。
「ずっと一人でいるつもり?」
「君に紹介をお願いしようかな」と言うと、高田藍は大袈裟にため息をついて出て行った。
その後、西川晶子が来たりして、いつにも増して賑やかだった。この家の写真を撮ったり、インタビュー的なことをしたりして、ファッション雑誌の記事にするのだ、という。今や、ファッション雑誌もささやかながら、社会問題にも目を向ける頁があるのだ、という。数ページしか使わないけどね、とため息混じりに僕に言った。
西川晶子が取材後直帰予定にしているので、三人でご飯を食べようかと話していると、部屋の端の方で南友梨がそわそわしている。明らかにこっちを見ては、目を逸らしたり、また見たりしている。
「誘ってあげたら?」と西川晶子が言うので、「パワハラとかにならない?」と僕が確認した。
「あれを誘わないと、かわいそうよ」と高田藍が近寄って声をかけた。
「残業代は出せないけど…」と僕が一言付け足した。
誘われてものすごく嬉しそうに飛び跳ねている。
「初めての職場の飲み会です」
確かにそんなことをしたこともなかった。高田藍のご主人が来て、いっしょに来ていた娘を迎えにきてくれた。大手企業で部長をしているらしく、なかなかスマートな外見だった。
「いつもお世話になってます」と僕は頭を下げた。
何度か会ったことがあるが、そんなに親しく話したことはない。
「それと、このスタッフにいい人がいたらよろしくお願いします」とついでに南友梨のこともお願いした。
大手企業だから条件は一つクリアしているだろう。
「若いのに…もう結婚?」と驚いた顔をしていた。
「職場にいい人いない? とってもかわいい子なのよ」と言って、高田藍がフォローしてくれた。
南友梨は顔を真っ赤にしてもじもじし始めている。
「どんな人が好みですか?」
またアイドルの名前を言っていたが、多分、その場にいた南友梨以外の人たちはそのアイドルの名前を知らなかった。几帳面にも旦那さんはきちんとスマホで調べて、確認してくれていた。
「じゃあ、また迎えに来るから」といい声で言うと車に乗った。
「素敵なご主人ですね」と南友梨はふわふわした様子で褒めていた。
「まぁ、そうね」とまんざらでもなさそうな顔で高田藍が言っていた。
「あ、そういえば、結婚したから、高田さんじゃなくて…名前変わってたよね?」と僕が言うと、二人が「今更?」と声を揃えていった。
「書類、ちゃんとなってる?」
「ねぇ、事務も一人雇った方がいいんじゃない?」と呆れた顔を高田藍がした。
毎日は必要ないので、週二回ほど、高田藍に早めに来てもらう事になった。
近くにこじんまりとしたイタリアンレストランがあって、そこに入った。いかにも田舎のイタリアの家を想定したような温かみのあるレンガのような壁だった。インテリアも木の温もりが感じられるようなものばかりだ。
「わぁ、素敵。新田さん、両手に花プラスワンですね」と南さんが言う。
「両手に花? プラスワン?」
西川晶子が復唱してから、その言葉の意味が分かって、笑いだす。
「私たちね、大学の頃、仲が悪かったのよ」
「えー?」
「この人のせいでね」と高田藍が僕を指刺した。
「友達じゃないって言ったからね」と僕は言った。
「え? 新田さん、そんなこと言うんですか? じゃあ、私のことはどう思ってるんですか?」
「とてもいいスタッフで、助かってます」
「えー。それだけですか? 可愛いとか、可愛いとか…ないんですか?」
「女性の好みは五月蝿いタイプよ」と西川晶子が言う。
「とりあえず注文しよう」と僕が言ったけど、まだ僕のことを言っていたので、勝手に適当に注文した。
「ワイン頼んだんですけど、南さん用にオレンジジュース頼みましたよ」と僕が言うと、「私は飲めるんです」と言って、ワイングラスをもう一つ足してもらえるように店員さんのところに行った。
「ねぇ。新田くんは気付いてないのか、気づかないふりしてるのか知らないけど、あの子…あなたのことが好きだと思うわよ」と高田藍が言った。
「え? お父さんの年なのに?」
「そりゃ、関係ないわよ。成人男性があなたしかいない職場で、そんなに悪くない外見で、…ってなると、そりゃ、好きになるんじゃない?」
「あー、わかる。もっと若い男の子をスタッフに入れるとかしたら?」と西川晶子まで言い出す。
「好きなアイドルに似てないのに?」
「似てないとか関係ないわよ。まぁ、なるべく早めにいい男の子探すけど…、その気がないなら気をつけなさい」
南友梨がにこにこ笑いながら帰ってくると、女性陣二人はしれっとした顔で「おかえり〜」と言った。その変わり身の速さは大学時代から変わってない。そう思うと、南友梨はあの頃の二人に比べると、全く幼く思えた。
ほとんど、西川晶子の恋愛話で話題は盛り上がった。今付き合っている人は十歳年下で、料理が得意な男の子らしい。映画で隣になったイケメンを捕まえたと言っていた。どうやったら、たまたま隣に座っただけの男を落とせるのか、それは興味のある話だった。
「わざとじゃないのよ。飲み物がこぼれちゃって、ちょっとかかったのよ」と西川晶子が言う。
「うわぁ。策士」と高田藍が言った。
「もし好みのタイプじゃなかったら、どうしてた?」
「そりゃ、クリーニング代払って、ごめんなさいじゃない」
一見、西川晶子は落ち着いた女性に見えるけど、中身はハンターだな、と僕は思った。本当、お友達でよかったと心底思った。
「結婚しないんですか?」
「もうこの年で結婚なんてできないわよ。子どもだって産めないし」
「でも彼氏さんはしたいんじゃないですか?」
「そんなわけないじゃない。したいなら、他と付き合ってるわよ」
「私は結婚したいです。好きな人とあったかい家庭を作って…毎日」と言って、テーブルに頭を乗せた。
「あ、酔っちゃった」と西川晶子がハンカチを出して、テーブルと南友梨の頭の間に差し込んだ。
「まだ二杯目なのに」
「疲れてたんじゃない? しばらく放置しておくと、起きるわよ。帰りは私の旦那に送ってもらうから」
「…いつも本当にごめん」
「本当に、こんなに迷惑をかけられるなら、友達なんかならなきゃよかった」と高田藍が座った目で言った。
「確かに…迷惑しかかけてないな。お中元でも送ろうか」
「今更」とまた声を二人で揃えた。
「でも私もいいタイミングで社会復帰できたし、まぁ、よかったかな。子どもの側で働けるなんて、なかなかないもんね」
「私は何の恩恵もないわよ」
「まぁ、西川さんにはそんなにお世話になってない」
そう言うと、「今に見てなさい」と言われた。本当、いつまで立ってもこの二人は怖い。
「とりあえず、今晩はご馳走させてもらうから、好きなもの頼んで」と言ってメニューを渡すと、二人とも遠慮なく高いワインと追加していた。
突然、南友梨がガバッと起き上がって、
「新田さんの忘れ…れ…られな…人…」と言って、また目が虚になってテーブルに頭を落とした。
「明日はこぶだらけになりそうね」と西川晶子が言った。
「早く、いい人見つけないとね。新田くんの事業に差し障りが出そうね」と高田藍が呟いた。
三十分後に起きた南友梨はデザートをしっかり食べて、迎えに来てくれた車で高田藍と一緒に家まで送られていった。「友達の姪っ子だから私が責任を持つわ」と言って送ってくれるのは助かるけれど、旦那さんには申し訳なかった。
西川晶子はタクシーに乗って、僕は近くのアパートに歩いて戻った。星が綺麗に見える夜だった。暖かい家庭か…と呟いた。育った家庭でも、今の自分にも縁がないものだと思った。
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