第34話 それから
試験前のドイツ語の最後の授業では僕はノートも取らずに、ずっと講師の顔を見ていた。それこそ穴がいくつも開くぐらいに。清潔感はあるが、ぱっと目を引くような外見ではないのに、どこが良かったのだろう、と疑問に思ったけれど、自分の顔も人のことを言える義理ではないかと思った。確かに千佳が言っていた「美人だけど、変わった趣味」と言う評価は合っているのかもしれない。見れば見るほどにこの人が遼子が好きだった人かと思うと、なんとも言えない気持ちと、少しだけ腹ただしい気持ちにもなる。授業が終わるとやはり「何か、僕の顔に付いてますか?」と聞かれた。
「来週のテストが不安で」と誤魔化したけれど、多分、上手くいかなかった。
「テスト? 出席はちゃんとしてくれてますし、落ちることはないと思いますよ」
「あの…」
「何か?」
「結婚されてますか?」
「え? はい。されてますけど?」
なんでこんなことを聞いたのだろうか、と僕は自分を呪った。ちょっと、僕が講師を好きになってるみたいな流れになってる。明らかに引いているのがわかる。
「いつ頃…ですか?」
「あ、ええ…っと、遅かったです。五年前です」
「五年前!」
遼子が好きになったのは結婚して一年後…。僕の挙動不審さに流石に気味が悪そうだった。
「何か?」
「あ、先生はモテられて…遅くなったのですか」
口を開けば開くほど、気持ち悪い質問になってる。僕も青ざめているが、目の前の講師の目も泳いでいる。
「いや、そんなにモテなくて。…たまたま紹介で」
「紹介…」
その紹介がなければ、遼子と会った時は独身だったのかもしれない。なんとも言えない気持ちになってくる。
「…どうかしましたか?」
「あの…いえ。…試験頑張ります」
完全に、僕が恋しているみたいな印象を与えてしまった。本当は遼子について、覚えているか、あるいは少しでも良く思っていたのか聞いてみたかったのに。聞いたところで、何もならないけれど。思わず、ため息をついた。
「大丈夫ですか?」と優しい言葉をかけてくれる。
こう言うところかもしれない。遼子が好きになったのは。
「…画家になるって、がんばってます」
「え?」
「倉田さん、大学辞めたのは世界中で絵を描くためだそうです」
「…そうですか」
あなたのこと、ずっと好きだったんですって口に出しそうになった。あぁ、主語がないと、本当に僕の告白になってしまう。
「いつかドイツ語が役に立ってくれるといいですね。彼女、一年生の頃から頑張ってましたから」
「…覚えていたんですか?」
「はい。だって、あんなに頑張る人、一般教養の第二外国語のクラスでは見たことないですからね」
「いつか絵を買ってあげてください」
「僕のお給料で買えるなら、ぜひ買ってみたいです」
もうこれ以上、話すことはなかった。話せば話すほど、おかしな方向に行きそうだったし、僕は荷物をまとめた。
「君も…。頑張ってください」
僕はまた講師の顔を眺めてしまった。遼子が好きになる理由が少し分かった気がする。
そしてドイツ語も無事単位を取ることができて、僕は卒業し、本格的に留学準備に追われた。協力してくれた犬のチンに似た担当教授のおかげで、なんとか希望の大学から入学受け入れを取れた。後は必死にアルバイトをして、お金を稼いだ。奨学金制度も使えるものはなんでも使って、何とか目処もたった。
僕の人生は当たり前だけど、僕らしく、少し慌ただしかった。アメリカの大学を必死で卒業して、もういい年だったので、さすがに就職したのだけれど、それがアメリカの金融で、その時は最高にお金を稼ぐことができた。日本でもIT株が上がっていて、ちょっとした景気の良さも感じることができた。あのままだったら、投資用に高層マンションを何軒か買っていたかもしれない。そしてなぜかお金が入ってくる時に知り合う人とは長続きしなかった。僕は時々、新聞や、ネットをチェックしながら、遼子の活躍を知っていた。マドリードの街並みの絵でスペインの美術賞を受賞したり、バンコクの細い道にたくさん並んだ屋台の絵など、本当に旅する絵を描いて知名度があがっていた。僕はSNSはしなかったから、ネットで連絡を取ろうと言う気持ちにはなれなかった。ただ一度だけ、ニューヨークの画廊で個展をしている時に、仕事でそこにいたので、立ち寄ったことがある。僕が行ったときに、遼子は不在だったが、絵がたくさん並んでいて、僕は一点だけ買った。雨の絵だった。あの日の雨を思い出させるような、場所は違うけれど、雨の街の絵だった。画廊のオーナーは僕にもう少し待つように言ってくれたけど、僕も約束の時間があったし、僕が買ったことを知られたくなかった。それは当時、恋人がいたという利己的な理由でだけど。
でも僕は遼子の絵を抱えて、次の約束に向かうとき、スキップして行きたかった。もちろんタクシーに乗ったのだけれど、会う人みんなにこの絵は遼子が描いたんだ、と言って回りたかった。その日の仕事で会う人には何を持っているのか、聞かれたから、僕は得意げに見せたけれど。そのおかげか、仕事もうまくいった。
順風満帆にいく人生はそう多くない。あの有名な金融危機が起こり、僕は仕事を解雇され、恋人に振られ、日本に帰国した。貯金額はそこそこあったので、僕は自分でビルの一室を借りて、ビジネス英語を教える教室を始めた。それなのに、子どもに英語を教えてほしいと問い合わせが何回も来るので、子ども用のクラスも始めることにした。意外なことに子どものクラスは人気で、僕一人では回らなくなりそうだった。誰か人を探そうと思った時に、高田藍を思い出した。きっと彼女なら友達が多いはずなので、誰か紹介してもらえるはずだと思って、連絡を取った。
「困ったときだけ、連絡するって、どうなの?」と至極真っ当なことを言われたので、謝った。
電話の向こうで赤ちゃんの鳴き声がする。
「あ、おめでとう」
そう言うと、ため息が聞こえた。
「生まれた連絡もしたはずよ? 返信はなかったけど」
「あ、そう、だっけ?」
「まぁ、帰国するちょっと前だったみたいだから、いろいろ大変だったご事情はお察ししますけど…。罪滅ぼしにちょっとお母さんが息抜きできる預かり施設を作ってくれると嬉しいわ」と高田藍が言った。
「…保育園? ちょっとそれは…」
「まぁ、分野違いだもんね」
でもその時の会話から、僕は小学生の放課後預かりを始めるきっかけになった。小学校になる頃に子どもたちの行き先を探す母親たちが困っていると言う話も高田藍から聞いた。だからその事業がうまく行った時は「コンサル料を払いなさい」と言われた。うまくいったと言え、アメリカの金融機関で働いていた時の三分の二くらいだった。初期費用もかかるし、人を雇えば、それだけ人件費もかかる。税理士に支払うお金。教材費、細かく言えば、あれもこれも、思った以上にお金もかかった。
出会いは多かったけれど、付き合う人は少なかった。本当に忙しかったから、デートもろくにできずに、すぐに振られた。もう僕から別れを切り出すことはなかった。しばらくすると、必ず相手から別れを告げられたからだ。それだけ仕事が忙しかった。毎日やらなければいけないことは決まっていたし、新しい事業も考える時期だった。時代はネットが大きな役割を果たしていて、誰でも都合のいい時間にネットでネイティブスピーカーと英会話ができるようになり、忙しい大人が決まった時間に通う教室は廃れていった。だから僕は子ども向けの教室に力を入れた。子どもでも純粋に英語だけなら、ネットで勉強すればいい。でも行き先のない子どもを受け入れることができたら、と準備を重ねた。
児童心理学の勉強をしたり、食物アレルギーについても知識を入れた。僕の勝手な思い入れで、手作りであれ、市販品であれ、おやつがあると、子どもたちが喜ぶんじゃないかと思ったりもしたからだ。
一から何かを始めるのは大変だけれど、それはすごく楽しくて、時間が経つのがあっという間だった。僕はなんとか自分の仕事を軌道に乗せようと四苦八苦している間に、姉の千佳は高校の頃の同級生と結婚していて、自分の実家で父親と夫と一緒に暮らしている。子どもが欲しいみたいだが、なかなかできないようだった。姉は仕事を辞めた後、ずっと牛乳配達をしている。
高田藍の子どもも順調に大きくなっていて、赤ちゃんだったのに、今では小学校高学年になっていた。僕だけが何も変わらず、ただひたすら目の前のやるべきことをして、年を取っていった。でも子どもと接しているおかげで、僕はいろんな気持ちにさせられた。わがままを言う子だって、我慢する子だって、さまざまな個性を持った子がいて、僕はどの子にも健やかに大きくなってほしいと心から思えた。自分に子どもがいないからかもしれない。そして学校に行けない子だって、行けなくても毎日笑って過ごしてほしいと思った。
僕もあの時、就職しなければいけないと思って、必死だった日々から違う道を選んで、ここにいる。だからこそ、違う場所を作ってあげられたらいいな、と思っていた。貯金額と借り入れられる金額を睨み合って、僕は中古の小さな家を買った。そこをリフォームして、小さな庭に続くサンルームもつけて、子どもたちの居場所になる家を作った。自分用に買っていたマンションは賃貸に出して、僕は近くのアパートを借りた。すぐに行き来できるように。
今日から開校になる。僕は家の前に立って、来てくれる子どもたちを待った。
「新田理事」と言われて、振り返った。
高田藍に紹介されて、来てくれたスタッフだった。大学を出たての若い女の子で、高田藍の友人の姪っ子だった。
「理事っていうのは…ちょっとこの家の雰囲気には合わないから」
「家…じゃあ、お父さんとか、ですか?」
真面目に言われて、笑ってしまった。
「なんか宗教っぽいよね。しかも南さんに言われると、本当にお父さんの気分になるから」
僕はもうそういう年になっていた。二十歳前後の娘がいても不思議ではない年齢になっていた。そう言うと南友梨は明るく笑った。
「じゃあ、新田さん」
「うん。それでいいよ」
「あー、仲尾くん、来た来た」と言って、南友梨は跳ねるように迎えに行った。
小学校に通ってすぐに学校に行けなくなったという小さな男の子としゃがんで話している。横にいるお母さんが心配そうな顔をしていた。僕も近づいて、あいさつをして二人を家に入れた。
「せっかくなので、お茶でも飲んでください」
セルフサービスにはなるけれど、ティーパックのお茶を用意していた。少しずつ馴染んでいけばいい、と思っている。僕は子どもの力を信じるしかやることはない。午前中に家に来てくれる子どもは数人だった。お弁当は用意してもらって、お昼に少し勉強できる子はして、眠たい子は寝て、絵を描きたい子は描いてもらった。午後三時から賑やかになる。小学校が終わった低学年の子どもがどんどんやってくる。二階で宿題、四時からは英語のレッスンを始めることになっている。そこから僕が忙しくなるのだけれど、遅くとも大体夜の七時にはみんな帰って行った。南友梨は五時に帰ってもらっている。
もう少し夕方のスタッフが欲しいな、と思いながら、事務室の真っ白の壁にニューヨークで買った遼子の絵をかけた。絵を見ながら、僕は今日のことを話した。返事はもちろん返ってこないが、遼子と話している気分になる。
受話器をあげて、高田藍に電話をかけた。
また用事の時にしか連絡がない、と怒られたが、南さんを紹介してくれて、ありがとう、とお礼を言った。それと夕方の英語のできるスタッフになれそうな子がいないかなと相談をした。
「まるで人材派遣会社じゃない。お金取るわよ」
「仕方ない。払うよ。そうか、君が来てくれてもいいけど…」
「そうねぇ。でももう英語から大分遠ざかってるから、私ができるのは小学生の宿題を見るくらいかな?」
「それでも助かるな」
「じゃあ、私の子どもの預け代とチャラにしてくれるなら、働くから」
「経理の問題もあるから、ちゃんと給料出させてもらうよ」
そんな話をしていると、横に西川晶子がいると言う。
「今日、たまたま来てて。あ、なんか用事があるって」
「お久しぶり。取材に行ってもいい? おしゃれ雑誌なんだけど、やっぱり今、そう言う話題が関心高くて」
「来てもいいけど。変なこと書かないで」
西川晶子は雑誌でライターをしていた。
持つべきものは友という言葉が今、身に染みてわかる。彼女たちにどれほど救われているか。僕は受話器を置いて、遼子の絵をもう少し買えるようになれたらいいな、と思った。
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