第18話 トンカツとビール

 遼子の家は地下鉄を乗り継いで、駅からは歩いて七、八分だった。駅前は商店街になっていて、本屋や、和菓子屋さん、いろんな店が並んでいて、楽しそうなところだった。

でも僕は緊張していたので、たくさんの店を横目では見ながらも、そんなに楽しい気持ちにはなれなかった。

「奏太、緊張してるの?」

「うん。なんか、口から出てきそう」

 そう言うと、遼子は明るく大丈夫と言ってくれたけれど、僕の緊張にはあまり効果がなかった。小さなポーチのある一軒家だった。

「入って」と言って、扉を開ける。

「ただいまー」と遼子が言うと、中から遼子の母親が急いで、出てきた。

「あら、まぁ、こんなところまでわざわざ荷物を運んでもらってごめんなさいね」

「こちらこそ、突然、すみません」

 遼子の母親は驚くほど、似ていた。綺麗な顔立ちで、すっきりとした美人だ。

「さ、入って」

 促されて、「お邪魔します」と言いながら靴を脱いだ。ダイニングに向かうと、すでにサラダとトンカツが用意されていた。

「お父さんはきっと遅くなると思うから、先にいただきましょ」と言って、ご飯をよそってくれる。

 僕と遼子は洗面所で手を洗った。その間、やたらとにこにこ笑っている遼子に理由を聞いたら、洗ったばかりの手でほっぺたを引っ張られた。

「ガチガチに固まってるよ」

「うん」

「トンカツ美味しいから、緊張せずに食べて」

「トンカツなんて、久しぶりで、そっちにも緊張する」と言ったら、遼子が笑った。

 洗面所から出ると、指定された椅子に座る。暖かなお味噌汁も目の前に置かれた。外食と、家庭の食事って何が違うんだろう。どれもこれもたまらなく温かくて、美味しそうに見える。そういえば、母親がいるときはこんな感じだったな、と思った。だからとっても懐かしく感じた。

「どうぞ、召し上がれ」と声をかけられるまで、僕は固まっていたようだ。

「あ、美味しそうで…いただきます」

 食べ始めたら、やはりどれも暖かくて、胃の中に優しさが広がっていく感じがする。

「どれも美味しいです」

「あら、よかったわ。遼子ちゃんのお友達だって聞いて、もっと激しいタイプかと思ってたのに。ものすごく落ち着いた人でびっくりしちゃった」

「激しいタイプ?」と遼子が聞き返した。

「だって、写真見たら、髪の毛青い人とか、大きなピアスが舌についてる人とか…クラスの写真見せてもらったでしょ?」

「あぁ、だって奏太は英文科だから」

「そうなの」

「ドイツ語の再履修で知り合って」と僕が言うと、母親は笑いながら「そうだったの」と言った。

 そしてどこに住んでいるのだ、高校はどこだったかとか、たわいのない話をしていると、玄関の開く音がした。

「あら? 早いわね。お父さんにケーキ買って来てって言ったのに…」と言って、玄関に向かった。

「奏太は気にせず食べてね」と遼子が言うが、箸を置いた。

 そして父親がそのままダイニングに現れたので、僕は思わずその場で立ち上がった。

「こんばんは。お邪魔してます」

 挨拶は先手必勝だと高校時代のバスケ部の先輩に叩き込まれた。

「こんばんは。遼子のボーイフレンド?」

 割と背が高く、肩幅もあるので、威圧感も出ている。

「新田奏太です」と言って、そのまま頭を下げた。

 その様子を見て、

「結婚の挨拶にでも来たのか?」と言われた。

「えー? そうなの?」となぜか嬉しそうに母親が声をあげる。

「え…あの」

「お父さん、いじめないで。せっかくご飯食べてるのに。奏太は荷物が重いから運んでもらったの」

「ケーキ買ってきてくれたみたいだから、後で食べましょう」と言って、ケーキの箱を冷蔵庫に入れる。

 自分の父親とは全く違うタイプで、しかも遼子を溺愛している空気を隠さず出していて、僕は警戒されていると言うことがはっきりわかる。僕はケーキはいらないので、速攻でこの家からお暇したくなった。

 そこから尋問のような時間が始まった。

「学校では何を勉強しているのか?」

「就職は決まったのか?」

「アルバイトは何をしているのか?」

 あまりうまい回答はできなかったと思う。見かねたのか、母親が出した味噌汁が冷めたままだったらしい。それに文句を言う父親に、冷たい声で言った。

「奏太君のご飯もあなたのせいで冷たくなっちゃったから」

 ようやく黙って、ご飯を食べる時間になったが、それはそれでなんだか重苦しい時間になる。

「ねぇ、私が奏太と結婚したら、嬉しい?」と遼子が言った。

「え? あら、そうなの?」と母親が笑う。

 当然、父親は無言だし、僕は何も言えない。食器の音だけがやたら響く。

「お父さんは?」と遼子が回答を促す。

 僕の方を睨んでから、「そういう話は就職ができてからにしなさい」と言った。

「おっしゃる通りです」と心から思った。

「でも君は…遼子には勿体無い」

「えー?」

「そうねぇ。遼子ちゃん、お料理もできないし」

「いや…あの、…とんでもないです」

 聞き間違いかと思ったけれど、僕以外の反応もそんな感じだし、驚いて父親を見た。

「君の誠実なところは分かったから。こんなお転婆より、もっといい人と結婚しなさい」

 はいとも、いいえとも言いずらくて、「はぁ」とだけ息を漏らした。

「そういえば、遼子ちゃんの夢って、昔はお嫁さんとかって言ってたわよね」と急に思い出したように母親が言う。

「恥ずかしい。っていうか、お父さん、私、お転婆じゃないから」

「お父さんは遼子ちゃんが可愛いからそう言ってるだけよ。私は奏太君だったら、大歓迎よ。こんな息子だと嬉しい」

「後…、酒が飲めたらいいな」とポツリと言うので、遼子と母親は嬉しそうに笑った。

「ビール飲める?」と母親が言うので、「はい」と言った。

「じゃあ、飲んであげて。いつも一人だから面白くないのよ」

 冷蔵庫から冷えた瓶のビールを取り出して、グラスに注いでくれた。二人しかいないので、乾杯をする。ようやく肩の力が抜けた気がした。ケーキも食べたりして、いい時間になったので、お暇することにした。

「泊まっていったら?」という言葉をなんとか辞退して帰ることにする。

「朝から牛乳配達があるので、帰ります」

「あら。そうだったわね。じゃあ、タクシー呼びましょうか」

「いえいえ。お構いなく」と言って、逃げるように玄関に向かう。

 背中から「また来なさい」と言う声が聞こえて、僕は振り返り、礼をして、急いで靴を履いた。

「奏太、駅まで一緒に行くから」

「近いし、大丈夫」

「自転車でいくから。待ってて」

「あ、じゃあ、遼子ちゃん、ついでにコンビニで牛乳、買ってきてくれる?」

 結局、二人で自転車を押しながら、コンビニに寄って、駅まで歩いた。

「最初はどうなるかと思った」と僕が言うと、遼子が笑った。

「お父さん、奏太のこと気に入ってたね」

「僕は怖かったけど…。でも遼子が仲良し家族だなって、思ってた通りの家族だったなって思った」

「奏太なら、いつでもウェルカムだから」

「そう言ってもらえてよかった」

 商店街のシャッターはほとんど閉められていた。駅から戻る人たちとすれ違う。駅に着くと、自転車を止めた。

「ここでいいよ」と言っても「改札まで行く」と言って、駅の階段を降りてくる。切符を買って、改札をくぐる。

「また明日ね。ランチ作っていくから」

「ありがと。楽しみにしてる。今日も…楽しかった」

 玄関口で別れるより、駅の改札で別れる方が、淋しく感じるのはどうしてだろう。遼子はずっと手を振ってくれていた。僕も何度も振り返りながら、ホームに降りる階段に向かった。

 

 家に帰ると、女帝千佳と父親に無断外泊について激しく怒られた。今日、帰らなければ、警察に連絡されるところだったらしい。「無断外泊はともかく、連絡一つないとは何事か」と父親に言われ、千佳には「今夜の晩御飯、あんたが食べるか、食べないかわからないのに作ったんだから」と怒られた。父親の言い分はともかく、千佳は晩御飯を珍く作ったのに、と少し不満に思った。いつも作ってくれていたのなら、僕だって連絡してた。

「土曜日はこれから毎週帰らないから」と僕は二人に言った。

 別に遼子と過ごすとは決まっていないけれど、この家にいるのが限界だった。カプセルホテルでもどこでも泊まればいいと思った。二人は顔を見合わせて、それから僕を見た。

「は? 彼女ができたの?」と千佳が言う。知らない顔して、二階に上がった。

「反抗期かしらね?」と言う声が後ろから聞こえた。

 シャワーを浴びると、文字通り泥のように眠った。夢の中で階下で電話が鳴る音がしている。うっすらした意識の中で今日は誰かがいるはずだ、と起き上がる力もなかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る