可愛くない私と婚約者王子

富升針清

第1話 私、幸せですわ!

 港に汽笛が響き渡る。

 汽笛に驚き鴎が雲へと変わっていくように、船を待ち侘びる人々のざわめきもまた歓迎の音へと変わっていく。

 私、花江塚ホノカもその一人だった。


「凄く大きなお船ね!」


 他行事で見送りには行けなかった私は、汽笛に負けないぐらいの大声で初の大型船に感心してしまう。

 凄く不思議っ!

 何故、鉄のかまりが浮くのかしら?

 手のひらに乗る鉄はどれもこれも水の中に沈んでしまうのにっ!


「ホノカお嬢様、そちらはお嬢様の場所ではございませんよ」

 

 民衆の中で、一緒についてきた使用人のコハルが私の手を引く。

 船に興奮していた私は彼女から見て大層危なっかしいことだろう。


「ねぇ、コハル。何故あんなにも大きな鉄が海に浮いているかご存知?」

「さあ? 機械の力というヤツではございませんか?」


 いつも以上に無愛想に、それていて面白くなさそうにコハルが早口で答えた。

 機械の力なんて、随分と乱暴な言葉だと私は思う。

 いつだって何だって、どんな不思議なことだって、その後ろには絡み合った単純な理屈があるものなのだ。


「コハルったらっ」

「こんな場所で長話をしようとされているホノカお嬢様の方が、如何なものかと」


 横顔美人のコハルの顔がふいっと逆を向いてしまう。

 別に長話なんてしないのにっ。


「まったく、コハルはお堅いわね。人生寄り道も大切よ?」

「もう船が港に入っているのですよ。マコト様のご帰還を特等席で見なくても良いのですか?」

「あら、それは嫌かも」

「それは良かった。マコト様もホノカお嬢様がいらっしゃらなければ悲しみますもの」


 コハルは急がんとばかりに小走りで私の手を引く。

 マコト様、か。


「本当に帰ってくるんだなぁ……」


 私はまだ、お嬢様なのにね。

 そのお陰でこんな素敵で可愛らしいドレスを着ているのだけど、ドレスは好きじゃないの。すれ違う人々は、文明開花の音を聞いてもまだまだ着物を纏った人が多い中、大半の人が中々好奇な目でこの物珍しいドレスを着た私を見てくる。

 そうね、私がこんなドレスを着ても珍獣だもの。

 私も着物がよかったのだけど、今日はそれを許されない。わかっているわ。まだ私、十七になるのに家に住んでるもの。

 嫁いでない妙齢の女の意見は恐らく古い襖紙よりも通りが悪いんだもの。このドレスがいい例よね。

 何人かすれ違うたびに二度見されて、本当、ウンザリしちゃう。見せ物小屋にいる珍しい金色の猿だって、こんなにも人々を振り向かせないはずよ。

 私はため息と一緒に日傘で顔を隠しながら、コハルに引かれて本来の席へと足を早めた。


 本当、つまらない世界なことっ!




「あら、花江塚さん」

「あらっ! 三枝山様ではございませんか。ご無沙汰しておりますわ」


 用意されてた舞台の上の席に座ろうとすると、隣から声がかかる。ふと見たら、氷の女王と呼ばれていた元同級生の姿があった。

 こんなところで女学院時代のクラスメイトに会うとは。

 もっともっと恥ずかしくなってしまうが、それを顔に出さない様に敢えて明るく大袈裟に振る舞う。この技で私、十七年間生き抜いているのよね。

 我ながら凄いわ、私っ!


「ええ。でも、私今は三枝山ではございませんの。今は黛橋墨なのよ」

「まあ! あの黛橋墨家に!? 男爵夫人になられたのねっ! 素敵っ!」


 黛橋墨と言えば、うちと一緒で将軍の代から続く公家の一つじゃない。でも、歴史はあれど男爵の位で三枝山さんの伯爵より爵位は下なはずだわ。

 三枝山さんは引く手数多の才女だったし黛橋墨家に嫁いでも不思議はないのだけど、よく彼女のお父様がお許しになられたわね。


「ええ。けど、少し貴女と過ごした女学院自体が懐かしいわ」


 どうしたのかしら。昔あれだけ氷の女王と呼ばれていたクールな彼女の面影が、今は何処にも見当たらない。見て取れるのは、やや窶れた疲れた横顔だけ。


「あら。どうされたの?」

「いいえ。恥ずかしい悩みなのだけれどね、病気で伏せておられる御前様の願いを叶えずにいることが心苦しくて……」


 あー。なるー。

 みなまで申すな。あれね、嫁ぐとセットになってよく聞く話ね。

 子供がなかなかできないってやつでしょ?

 この歳になれば、周りの多くは女学院の卒業を待たずして結婚して子供をもうけた子が多い。

 私の友達だって、そうだったわ。十四で嫁いで、今では四人の子供がいたりね。彼女は例外かもしれないけど、一人二人は当たり前。

 けど、そんな人たちばかりではないわ。

 中々子宝に恵まれない子だって少なくはない。

 その場合、かなり嫁いだ先のご両親と揉めることが多いのよ。

 黛橋墨の婆さんが床に臥せてるってのは初めて知ったけど、あの上品そうな婆さんだって布団の中で譫言の様に孫が抱きたいとか言っちゃうの想像つくわ。逆にそれがプレッシャーになったりもするのにね。

 気にすることないわよ! いつか子宝に恵まれるって! とか、多い声でビシバシ背中叩きながら笑い飛ばして元気付けてあげたいけど、そんな簡単な問題でもないのよ。そもそも、そんなデリカシー死んでる対応する人間も問題でしょ。世界中全員が元気付けれる魔法の言葉なんて何処にもないし。それぞれの正解を嗅ぎ分けれる程私は傲慢でも全能じゃないわ。


「それは辛いわね。嫁いだことのない私にはよくわからない内容だけど、貴女が奥様を安心させたいって優しい気持ちは伝わるわ。奥様もきっと、貴女の優しさを分かっている筈よ。ただ、今は心細くて心が弱っているんだわ」

「そう、かしら……」

「ええ。そうだわ。奥様に何か気がまぎれるものでもお送りしたら如何? 床に臥せていらっしゃるなら、観劇は無理よね。あ、気を軽くする香はどうかしら? ここは港ですもの。海の外の珍しい物も多くあるはずよ」

「まあ、それは素敵な提案だわ。私、ダメね。自分のことばかりで御前様のお気持ちを察せれなかったわ」

「気に病むことではないわ。長い時間家族になるのだもの。今から少しずつ気持ちに寄り添えば良いのよ」


 と、言うけどね。

 これで再発しなかったら苦労しないんだよね。

 結局、暇だから無駄なこと考えるんだって。暇だから他のことが気になんの。それを紛らわせるなんて至難の業よ。

 これで香に嵌って香が色々欲しい!とか物欲かましてくれればいいんだけど、そんなことが起きる確率恐らく1%以下。百回やっても一回も成功しないでしょ。

 年取った貴婦人って自分の人生観固めてるし、人に勧められたもんでも若い奴に勧められたやつは見下しがち。


「ありがとう、貴女のお陰で少し心が軽くなったわ。そういえば、まだ嫁がれていないとお聞きしたけど、婚約はされているの?」


 かー。

 私の話どうでもいいー。嫁いでないんだー。結婚してねぇーんだー。の認識でいいー。

 でも、大丈夫。

 こんなこともあろうかと、私は最高に適した答えを用意しているの。


「ええ、そうなの。能登回公爵様と」

 

 そう言って私は無駄にキラキラした重たい指輪を、わざわざ手袋を外して彼女に見せつけた。


「え……、能登回公爵様……?」


 引き攣った、彼女の顔。

 そりゃそうか。だって能登回公爵は齢七十二のご老人ですものね。

 でもいいの。


「ええ! 私幸せですわ!」


 これ以上何も聞けないでしょ? 面倒な会話はこれで終了! おつかれーぬ!

 結婚も婚約も、こうやって賢く使わなきゃね?

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