地縛霊は帰れない
リウクス
帰りたい
「じゃあ、行くね」
「うん」
春の始まり。桜は開花していない。
私は故郷を離れ、新天地へと赴いた。
夢を叶えるために。
親友を一人、置き去りにして。
「また、帰ってくるから」
「……うん」
「その時はまた遊ぼう」
「……」
最後に見た彼女の顔は、寂しそうで、嬉しそうだった。
彼女は子どもの頃からずっと私の夢を応援してくれていた。
女優になるという、無謀な夢。
上京して、大きな事務所に所属して、ドラマの仕事もCMの仕事もひっきりなしで。
そんな大それた妄想。
実を言うと、私が今回東京に引っ越すのは、とある事務所のちょっとしたオーディションに受かったからなのだ。
最初の大きな仕事は有名監督の新作映画の準主役。
田舎で育った私は今でも夢なんじゃないのかと思っている。
オーディション合格の報せを受けた時、親友のあの子は私以上に喜んでくれた。
彼女が私の夢を自分事みたいに感じてくれるのには理由がある。彼女がもう彼女自身の夢を叶えられないからだ。
彼女の夢はアイドルになることだった。ドームを人で埋め尽くす、文字通りのトップアイドル。
けれど、今の彼女は地縛霊なのだ。
私以外の誰も見ることのできない幽霊。
どこへも行けない亡霊。
人々に認知されるべく舞台に立つアイドルとは正反対の、認知されない存在。
彼女は12歳の頃、学校の4階から落ちて死んだ。
なんてことない事故だった。
空いている窓に寄りかかっていたら、バランスを崩して落っこちた。それだけ。
どれだけの大望を抱いていても、それが消えるのは一瞬で、因果関係も何もないものなのだと、思った。
今私が乗っている電車が事故を起こす可能性だってある。私の意思とか、過去とか、関係なく。
……結論から言えば、事故は起こらなかった。
前に契約を済ませたアパートに何事もなく着いて、翌日荷解きをして、数日後には所属事務所に顔を出した。
そこからはトントン拍子に進んでいった。
いくつかの研修を終えると撮影はすぐに始まり、それと同時にSNSアカウントの運用、各種プロモーションなどなど。プレス向けのイベントに参加したりもして、それが全国放送の朝の番組で取り上げられたりもした。
地元の知り合いからはたくさん連絡が来た。親、友達、名前しか知らない人。
親友のあの子だけを除いて。
地縛霊の彼女には、私が直接出向かない限り現状報告をすることができない。
映画の諸々が終わった後も、しばらく忙しない日々が続いた。
自分のラジオ番組も持たせてもらえるようになった。
ただ、ずっと喋り続けていると、段々自分の声が他の人の声みたいに聞こえてきて、何をやっているのか分からなくなる。
活動を始めて1年ほどで、ゴールデン帯ドラマの主役を演じることにもなった。
撮影の都合で朝5時には家を出なければならないことが多々あった。未成年だから夜遅くまで撮影が続くことはなかったけれど、予定が遅れること自体はざらにあった。
実家に帰る暇なんてなかった。
自分の中に自分がいない毎日。
けれど、ある日、ふと帰りたいと思った。
あの子に会いたいと思った。
空っぽになった何かを埋めたいと思った。
何かがあそこにあると思った。
慣れてしまうと、何も特別なことなどなくなって、労働をしているという感覚だけが残るようになった。
夢のような感覚というのは幸せではなく惰性と疲労なのだ。
それがなんだか窮屈で、寂しくて、全部投げ出せたらと願ってしまった。
私は急遽予約した夜行バスに乗って、眠らない街から逃げ出した。
今もあそこで眠り続ける彼女に会いに行くために。
荷物は何も持ってきていない。
目が覚めて、バスを降りると、あっという間に見慣れた景色の中にいた。
少し遠くまで出かける時はいつも使っていた駅。商業施設が併設されている。
今はシャッターが降りていて誰もいない。あと4時間経っても開かないかもしれない。
白っぽい朝日がやけに眩しい。
ここから路線バスで終点まで向かい、5分ほど歩くと私の実家がある。だけど、今日はまずあの子に会いたいから、彼女の魂が縛られている小学校に向かった。
当然今はもう敷地内には入れないから、二人で会う時はいつも柵越しに話していた。
たまに学校側から許可を取って、中に入れてもらうこともあったけれど。
私はプールがある校舎裏の方まで回り、挨拶代わりの拍手をゆっくりと3回鳴らした。
ここがいつもの待ち合わせ場所だ。
今まで通りなら、10秒かそこらで彼女はすぐに現れる。
風が吹いて、プールの汚れた水面が揺れているのが見えた。
……もう、1年以上経ったんだよね。
結局、去年も、今年も、桜を見る余裕はなかった。
桜って、終わりと始まりって感じがするから、それだけで自分の中で時間の区別がつく気がする。故に、それを見られなかった私は中途半端になった。どれだけ前に進んでも、心は停滞したままだった。
本当の地縛霊は私なんじゃなかろうか。
……もう、10秒経った。
なのに、あの子は現れない。
12歳の姿のまま、あどけない顔で、久しぶりって言ってほしい。
ああ、全部本当に夢だったんだって、思わせてほしい。
私をここに帰らせてほしい。
夢は夢のままでよかったんだって、納得させてほしい。
けれど、どれだけ呼んでも彼女は現れなかった。
時間が経って、私のことなんて忘れてしまったのだろうか。
なかなか帰ってこないから、合図が聞こえても空耳だと思ってしまっているのだろうか。
ねえ、どこにいるの。
私の帰る場所はどこ。
結局、2時間待っても彼女は姿を現さなかったから、私は実家を訪ねることにした。
私は帰ってきたんだって思いたかったから。
チャイムを鳴らすと、母親が出てきて目を丸くしていた。
今ちょうどCMに映ってたところだよって。お仕事はどうしたのって。
おかえりは言ってくれなかった。
とりあえずシャワーを浴びて、父親が簡単に用意してくれた朝ご飯を食べると、私は自分の部屋にこもってアルバムやノートを漁った。
とにかくあの子の顔が見たかったから。
当時学校側が気を遣ったからなのか、卒業アルバムにはあの子の写真がたくさんあった。そして、そのほとんどに私も一緒に写っていた。
なぜだろう。今よりも、未来よりも、過去の方が現実という感じがする。
もうそこにはないのに、かつて観測されたからというだけで、それが本当だったんだという気がしてくる。
過去なんて個人の解釈でしかないのに。
ページをめくると、各クラスの紹介コーナーにみんなの将来の夢や、好きなものが書かれていた。
私の夢は女優で、あの子はアイドル。
お互いの好きなものはお互いだった。
それを見て少し笑みが溢れた。
……だけど、気がついてしまった。
私はあの子がアイドルになることを願って、あの子は私が女優になることを願っていた。
私たちは二つ夢を持っていたのだ。
自分事みたいに、相手の夢が叶うことを切望していたのだ。
死んで地縛霊になった彼女が唯一叶えられる夢は、私が女優になるということ。
じゃあ、それが叶った今、彼女はどうなる。
彼女を縛るものは何もないのではないか。
あの場所で私を待つ理由なんてないんじゃないか。
彼女はもう、消えてしまったのかもしれない。
私を独り、置き去りにして。
私の夢は叶って、あの子の夢も一つ叶って、最高のハッピーエンドを迎えられるはずなのに、心の器には何も注がれなかった。
きっと私が女優になった時点で、器は倒れてしまっていたのだ。だから何も注げない。
……夢なんて本当に叶えるべきだったんだろうか。
夢なんて叶えなければ、私はずっとあの子と一緒に楽しく過ごせたのに。
幸せだったはずなのに。
夢を叶えたら、その先がずっと幸福で満ちているなんて、そんなはずはないのに、どうしてそうであるはずだと思ってしまったのだろう。
叶えることよりも、いつか叶うかもしれないねって笑ってる方がずっと良かったのに。
私は力無くアルバムを見つめ続けた。
もう、何もしたくない。
けれど、時計の針は進み続ける。
チクタクと音がして、ポケットのスマホが震え始めた。
……誰も私を帰してくれないんだな。
結局、その日の午後には東京に戻って仕事を再開することにした。
地縛霊は帰れない リウクス @PoteRiukusu
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