2-1 『回想』
『ユーザー名:Z様
ユーザー認証コードを入力して下さい』
誰かに名前を呼ばれたような気がして、まぶたを開く。視界に広がったのは、足が地に着いているかすらわからない虚空。その中でブルーライトが光を放つ。目の前に置かれたのは、ホログラムのタブレット端末。他には何もない。できることと言えばユーザー認証コードを入力するだけ。
(ユーザー認証コード? そんなこと誰かが言ってたな……)
画面をタップすると3分の1がキーボードで埋まる。ABCタイプのタイピングキーボードだ。
『私の名前は、マスターがくれた名前です』
あ、、
思い出した。意識が途切れるまえのこと。冷たい機械ナビゲーション音声のバイクの彼女。ユーザー認証は、彼女の名前だったはず。なるほど……俺が彼女に名前をつけるとしたらどう名付けるか考えればいい。センスは記憶がなくても、一緒だろう。
そうだな……機械だから外見とかで名付けるものだろうか。適当に入力をして、予測変換を探っていく。
t_
例えば
茶
▶チャリ
人差し指が真ん中の鍵盤に触れる。『チャリ』 自転車の略称にも使われる言葉だ。予測変換でよく使われるということは、答えに近いのか……?
彼女はバイクでありながら、流暢に人間らしい喋り方をして、時にバイクらしく荒々しい仕草の機械に似合わないAIの子。
チャリO_
(チャリオット……)
意味は戦車……だったか?だが、人生の大半を失った俺の頭では、これが正しいのかすらわからない。ピンと来なさ過ぎて間違いとすら思えてくる。
観点を変えてみよう。外見じゃなくて、性格で決めたとしたら?
彼女が人間の女の子だったら、おしとやかな雰囲気の中にどこか天然が入ったかわいい女の子だっただろう。
(そんな勇ましい名前な訳ないか。彼女を見た人は、もっと人間らしい名前をつけそうだ)
あ、、クリアしようしたんだが、送ってしまった。『ユーザー認証が違います』 赤い警告マークをつけて、やり直しを要求される。怒った顔文字も添えて。
どうやら、怒らせてしまったらしい……。申し訳ないけど、ヒントぐらい教えてくれないか……俺は
『オレは君のことを覚えていない』
嫌なことを思い出した。あんなに元気にエンジンを震わせていたのに、震えたのは彼女の音声だ。その気持ちは俺にはわからない。わからないから、悲しい。俺は彼女と築いた関係も感情も本当に全部なくしてしまったんだと罪深く思う。
彼女が可哀想じゃないか。
彼女は人間の心を持ってたんだぞ……。彼女、俺に向かってなんて言ってたんだ
『マスター!!ご無事ですか!!』
『前も今も変わらないマスターで安心しました』
『あのパラドックスは、まだ未確認ですが、私達ならきっと!』
あのびっくりマークが盛んに飛び散る信頼の目。きっと記憶がなくなる前の俺はさぞ善人だったんだろう。すまない、俺。俺は、お前の相棒の信頼をいとも簡単に裏切ってしまったよ。
「きっと、って……
機械の癖に、そんな表現するのかよ。せめて、勝率35%とか数値化すればいいものを」
きっっっっっっっっっっっっっっっっっと_
tの鍵盤に指が埋まる。あまりにもピンと来なさすぎて、やけになってしまった。『きっと』っていうのは普通、人間が使うものだと思っていたもんだから、彼女の音声からその言葉が出たことに驚いた。
はッ____
自分とはかけ離れた人間らしい彼女を思い出して、ため息にも似た渇いた笑い。血も涙もない機械はどっちなんだか……。
思えば俺もシスターやあのバイクの彼女に近い種族だと……身をもって感じる。
根拠その1は、このホログラム。
ユーザー認証画面の他に自分の
いや、錯覚なんかじゃない。俺は機械なんだ。そうじゃなかったとしたら、そもそも生きている根拠がない。
根拠その2は、俺の心臓。
俺の心臓はドクンドクンと鼓動が聞こえるほど動いていないが、血液を循環させる働きはするらしい。背部から見える心臓に繋がっているコードはシスターや頭部や手足に通じているとか。心臓と手足を直接、接続するその理由はわかる。穴だらけの体ではもう繋ぐものがないからだ。
なんだか俺はまるで機械が人間の身体を動かしているだけの人形に聞こえてきたな……どこか納得してしまうだけに、空っぽの自分が嫌になった。
だけど、この心臓は例の
『奴らは、未来を滅ぼす敵だから
速く奴らを倒せ
俺達の復讐を成し遂げろ。』
このプログラムを仕込んだ奴は、相当真面目な復讐者だったらしいな。これでは奴らを滅ぼした後のことは何も考えちゃいない。
どうせ自分には破滅しかない。
自暴自棄になって、駆動している心臓の熱に侵されていると、こっちまでイライラしてきてしまう。そんな中、自分を保っていられたのは、やはり美桜のおかげかもしれない。
ふと、やれることを思いついた。ひたすらに、自分の脳内のフォルダをタップする。不安だった自分が懐かしい。真っ白だった頭は記憶で埋まり、それはぜんぶ昨日のように覚えている。そのフォルダの中は、美桜との記憶がいっぱいで……つい、そっちに気を取られてしまうな……
知ってるか?耳を隠すぐらいの黒い髪ショートヘアの俺っ子系美女こと美桜さんなんだが、コーヒーを飲むとあら不思議!眉間にしわを寄せまくるリアクション芸人に変身するのさ!ショートヘアなんだが、毛量が多く重たそうな髪は彼女を落ち着いた雰囲気にする。けれど、風でなびいたり、食事をする時に髪をどかすと隠れた横顔と耳が露わになり、その感情豊かな表情を目にすることができる。普段のボーイッシュな言葉遣いと相まって、男の俺でも負けたと思うぐらいにかっこよくなるんだ!
言語化というのは難しい。いざリポートをしようとすると、ただただ長くなってしまう……。
俺が言いたいことは美桜はどこまでもかっこいいということだ。美桜は、俺の恩人で……俺を救ってくれたのも人助けの一環などとできすぎた精神構造の持ち主。
だから、俺もそうなりたいと思った。ひな鳥が一番最初に見た鳥を親と認識するように、俺も初めて出会った人間が美桜だから美桜みたいになりたいと思った。
つまりは、出会ってなかったのが美桜じゃなかったら……俺は逃げていたかもしれない。あの場で、まっすぐに美桜を助けたいと思ったのは美桜のおかげなんだ。
だから、いくつもの
「そうだ、だから」
せめてもの恩返しに美桜が望むヒーローになりたい。
君が俺を助けたことを後悔しないように。
再び、ユーザー認証画面を開く。
どうにか、現実の彼女達に希望を届けたい。気休めでも、俺は助けになりたい。少しでも寄り添えるように……機械だけど人間らしい彼女にコミュニケーションをはかる。
あえて、『認証コードを間違える』
認証コードが弾かれ過ぎたら、彼女のセキュリティが反応するはずだ。
指に熱がこもる。画面を滑る指は素早く、正確にメッセージを入力する。
ぜったい_ _ 「思い出さなきゃいけない」
おもいだして_ !
彼女の名を、復讐に昂ぶる心臓の謎を。主人らしく、信頼してくれている彼女のために。
「美桜との今を思い出にしないために!!」
過去にするには、まだ早い。だから、今を守らなければならない。
俺は必ず戻ってくる。それまで待って……
「あ」
メールが来た。バイクの彼女からだ。やっぱり、このユーザー認証は彼女と通じているのか。
名前を何度もまちがえて申し訳ない。わざとです。でも、『きっと』君は冗談が通じる子だと思ったよ。
『こちらはなんとかしますので、記憶の再生はゆっくりお願いします。でないと、負荷でまた記憶喪失になりますので。こちらの心配は無用です。
私達はマスターの帰りをお待ちしております。
追記
フォルダの順番を古い順にしておきました。』
「相棒、有能すぎるだろ」
先輩風をふかせるバイクには、俺は敵わない。やっぱり、バイクは風になるのが上手いな!
『ありがとう!』
エラーを吐いたユーザー認証画面を最後に、フォルダ画面を開く。確かにフォルダは古い順になっている。最初の日付は『0000/8/27』
西暦がボケていて、わからないがこの日付はなんだか見覚えがある。見覚えがあるということは、なんだか嫌な予感がする……。
最古のファイル名は『Asahina Mizakura』
彼女との最初の記憶だった。
「ハハハ……、これはまた懐かしいのが出てきたな。」
絶刀、最初の記憶だ。本来なら感慨に浸っていたい。しかし、俺はもっと古い記憶が見たい。スクロールを実行しようとしても、画面は動くことはない。これ以上、過去はないというように天井を示している。
俺は機械らしく削除されたデータは戻らないって言いたいのか……
いや、感傷に浸っている場合じゃない。事態は一刻を争う。別の方法を考えるべきだ。
当てずっぽうで『あいうえおあかさたな』と何パターンも打ち込んで彼女のユーザー名を引き当てるか?嫌われて鍵をかけられて……ご主人様お帰りくださいなんて言われなきゃいいけどな。そんな呆れた考えがよぎる。
そう俺が過去を思い出すことを諦めた時だ。
『ダウンロード完了』 の通知が来た。
何かを取り込んだ覚えはない。確認のため、その通知の詳細を探れば、それは意外な人物からのメールだった。
『送信主:秋山美里
きっと君が探しているのはこれだろう?早く未来を救ってくれよ、Zくん。
添付ファイル:Akiyama Misato』
それはファミレスで会った女子高生、占い師・秋山美里からのメール。俺のことを知っていると妄言を言い放つ女だが、俺の知らないことまで知っているもんだからその言葉には説得力があった。
その女があの時、メールを送信したというのだ。ファイルのダウンロード時間も予測し、前提として俺の正体がコンピューターであるということも知っていた。
(そういえば、ぐうぜん美桜と合流できたのもコイツを追ってたからだったか……)
いや、偶然じゃなさそうだ。メールの文面といい、俺の望みを知っている……!秋山美里。つくづく謎な女だが、その俺への奉仕はありがたく受け取ろう。
送られてきたファイルの日付は『0000/4/19』、ビンゴ!俺にまだ春はやってきていないんだ。
初対面の占い師を疑うことなく、そのファイルを開く。読み込みマークがぐるぐると回っている。
さっきまでオフラインの自分のファイルを開いていたからか、なんだか長く感じるな。オンラインにしても、遅い気がするけれど
「どんだけどでかいファイル、送ってんだよ。デジタルは初めてか?」
▶ 0:00:00/24:00:00 ダウンロード完了
そのファイルは24時間の記憶。ダウンロードに時間がかかったのは、明らかにこのでかい容量のせいだ。
図ったんだか、デジタルに疎いんだか……もうちょい編集してくれよ……。だが、今は感謝する占い師。
頭がデジタルな現代っ子の俺なら、動画の全容を
「現代っ子をなめるなよ?ロードなんざ、秒で終わる!」
まぶたを閉じて、瞳に投映されたのは真っ暗な虚空とはほど遠い電球の明かり。俺の思考が薄れ行くに連れ、映像の解像度も鮮明になっていく。
(しかし、眠りの中で眠るとは……時間感覚は俺の体感で合っているのだろうか?)
しかし、俺の意識は消えていく。
今さら生まれた不安も置き去りにして、体感24時間の回想が始まった。
❙ ❙ 0:00:01/24:00:00 Now Loading……
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます