第36話 勤務の浄化 六

 強行突破は論外だろう。背後のガラス戸を開けるか。いや、開かなかったらどうする。バーチャル空間である以上、それはありえる。話を中断させられた田中が怒って敷居をまたげばおしまいだ。


「俺が悪いんじゃない」


 もう一度、田中は繰りかえした。喋っている限りは時間稼ぎになる。このさい田中の真意も知っておきたかった。


「役所とはいえ、バブル時代みたいな楽して仕事がつとまる環境にはないんだ。成果主義が導入され、俺は若手管理職として陰に陽に圧力をかけられた。いや、圧力なんて生ぬるいもんじゃない」

「じゃあなんだったんですか?」


 会話を引きのばすためにも、相手を肯定する形で先を促した。


「暴力だ。嫌がらせですらない。むろん、殴ったり蹴ったりといった暴力ではない。だが、たとえば朝礼の度に名指しで晒し者にされ徹底的に愚弄されるといえば想像できるだろう」

「はい、ひどいやり口ですよね」


 まんざら演技でもない。そうした仕打ちを未然になくすため、渕山は学生起業を選んだのだから。


「俺は、みんなが押しつけあっていた巣出村の振興計画をむりやり任された。退職を真剣に検討していたら、投資家の千島という男が独自に俺に接触してきた」

「ひょっとして、フルネームは千島 広尾といいますか?」


 意外な接点に、つい渕山は口を挟んだ。


「ああ、そうだよ。千島は俺に巣出村の山伏達を紹介した。奴らに企画を手伝わせる見返りに、俺は地主の老婆から土地を取りあげるようはからった」

「ええっ!?」


 ということは、山伏達は世話役でもある老婆を裏切ったことになる。


「それから一時的には企画がうまく進んだ。だが、俺はストレス発散で通いつめたキャバクラの女に入れこみ、金を貢ぐために企画の予算を横領した」

「そ、そんな……」

「女は際限なく俺に金を要求し、ついには帳簿をごまかしきれなくなった。俺は役所の追及から逃げだし、女を殺してから自宅に隠れた」


 そこだ。そこでどうやって警察をかわし、妻を殺害したのか。


「自宅では、妻はなんでも俺のいいなりだった。さらに、俺には絶好の隠れ家、古い地下室があった。出入口はコンクリートで完全に封印しているが、いざとなれば封印ごと梃子で外して出入りできる。警察は、出入口の封印だけ調べて見落とした」


 先入観といえばそこまでだが、そんな仕かけを見破られたら世話はないだろう。


「警察の捜査が一段落し、俺は当分地下室で暮らすつもりだった。しかし、キャバクラ嬢の殺人事件を知った妻が俺の浮気をなじった。いいなりだと思っていたのに、嫉妬だけは一人前どころか二人前だった」


 田中は薄く笑った。渕山は軽蔑と嫌悪で眉がひそむのを隠せなかった。


「だから妻も殺した。駄目元で山伏達にかくまってもらうよう頼んだら、ここを紹介されたというわけだ」


 腐っている。なるほど、ハエがたかるほど腐りきっている。初めは多少なりと同情できる境遇だったのに。


 サイレンが壁をびりびりけいれんさせ、ガラス戸ごしにでもはっきりと車のドアを開け閉めする音がした。どかどかと靴を踏み鳴らし、ガラス戸をあけて三人の警官達が渕山の両脇を抜けた。いずれもピストルをぬいている。


「指名手配犯、田中 昌士だな? おとなしく投降しろ!」


 警官の一人がピストルを田中につきつけながら命じた。


「誰かと思ったら山伏達か。お前らにはもうつきあいきられんよ」


 田中は自らの太鼓腹をゆらゆらさせて笑った。


「黙れ! さっさと両手をあげろ!」

「お前らこそ死ね!」


 田中が一言口にしただけで、警官達はいっせいにピストルを自分のこめかみに当てて引き金を引いた。三つの銃声がたちまち三人を即死させた。


「ふんっ。千島から博尾に乗り換えたついでに俺を売ったんだろうが、俺が一枚上手だったな」

「そうか。読めたぞ。あんたは博尾にそうした力を授けられたんだな。バーチャル空間だからこそできる技だ」

「むっ……まあ、的外れとまではいえんな」

「ようやくあんたの謎がほぐれてきたよ。千島は山伏達とともに呪宝如来を手にしたかったが、地主の老婆が邪魔だ。それで、あんたを味方につけてまず彼女を処理した」

「ほほう。それで?」

「問題はそこからだ。千島と山伏達は、土地さえ手に入ればあんたの企画なんてどうでもいい。むしろ邪魔だった。おあつらえむきにあんたがキャバクラ嬢に金を貢ぎ始めたから、企画をサボタージュした」

「だから?」

「腹をたてたあんたは山伏達をむりやり共犯にして役所の金をごまかしつづた。山伏達はころあいを見て情報を役所に洩らす。そうすれば、あんたも企画も終わりだ」

「そんなことをしたら山伏達も有罪になるだろうが」

「初犯なら執行猶予くらいつくだろう。資産家の千島が味方なんだから、腕のいい弁護士でも雇って。ほとばりが冷めてから、じっくり呪宝如来を探せばいい」

「千島は破産して自殺したじゃないか」

「させられたんだろう、博尾に。山伏達はあとからやってきた博尾に扇動され、千島をも裏切って呪宝如来を自分達で独占しようとした」


 田中は鼻で笑おうとしたものの、渕山からすればなんら威圧感を覚えなかった。


「あんたは博尾の言いなりになって『神捨て』に参加せざるをえなくなった。博尾はさらに、利用価値を失った山伏達の処理をあんたにさせた。そんなとこだろ」

「それだと、千島や博尾はどうやって呪宝如来を知ったんだ。それに、博尾はどうやって千島を破産させた?」

「あとで本人に聞く」

「ワハハハハハ。とんだ名探偵だな。俺があと一歩踏みだせば、拘束リングを使って今度こそお前の負けだ」

「知らんのか」


 渕山は、安楽椅子で虚しく宙を見つめている……はずの……田中の妻を横目でちらっと見た。


「なにをだ」

「呪宝如来は、犯罪の被害者に慈悲を施すんだとさ」


 確証はない。外れたら、田中は渕山を殺害して『神捨て』が成立する。動画でメイが呪宝如来にほどこしていた点滴を知っておかなかったらとても思いつけなかったろう。


「たわごとを。慈悲が施されるのは、この……」


 安楽椅子をぎいぎいきしませ、死んだはずの田中の妻が膝を伸ばした。首に巻きついていた夫のネクタイを自ら外し、右手に下げて彼に歩みよった。あいかわらず白眼をむきかけたままなのが、渕山には気絶させられそうなくらい恐ろしかった。


「馬鹿な! 死んだはずだろう! 止まれ! 止まれーっ!」


 田中がいくら絶叫しても無意味だった。今度は彼が恐怖のあまりへたりこむ番だった。田中の妻は、彼の正面にしゃがんでネクタイを首に回した。


「ゆ、許し……うぐぐぐっ……むぐぐーっ!」


 もがくことすらできず、田中は死んだ。同時に、田中の妻は頭からどろどろに溶けだした。警官達の死体も、田中のそれも一様に溶けていく。それらが混じりあって海水となり、バーチャル空間を満たしていった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る