神捨て場

マスケッター

一 まずは会場へ

第1話 巣出村(すでむら)への案内 一

 渕山ふちやま たかしにとって、絶対の信条が二つだけある。一つは、自分が鍛えた筋肉は裏切らない。もう一つは、金はあるところにはある。


「ひぇっ!」


 彼みずから運転している中古の軽四自動車……青いペンキがところどころ剥げている……が、静岡県の山道で大きくうねった。昼下がりの明るい陽射しにさらされ、桜の舞い散る美しい山道だったのに。路上に横たわるカラスの死骸で台なしになってしまった。


 どうにか態勢をたてなおした渕山は、助手席にちらっと視線を送った。身長九十センチ足らず……彼の身長の約半分……くらいのコットン人形が、お行儀良く座ってシートベルトをつけている。現実味を追求した造りではなく、デフォルメされた三頭身美少女だ。桃色の長い髪をハーフテイルに巻いて、ぱっちりした目元のメイクに小さく引きしまった唇。衣服は水色のブラウスに赤い吊りズボンを身につけている。


「スゴイワちゃんは無事か」


 自らを励ますように、渕山はつぶやいた。


 彼は人形大好き人間というわけではない。あくまで商売の一貫として、いわば宣伝のつもりでこの人形……スゴイワちゃんをわざわざ助手席に乗せている。名前は彼が自分でつけた。街中まちなかでは悪めだちするので場合によっては外すが、恥ずかしがってはいられない。目だってこそだ。

 

 大学……関東と東海の地方境にある中堅公立大……の同期生達は、就活に全力を尽くしている。彼としては、一足早く実現したつもりでいた。こうして車を運転しているのもドライブではない。仕事だ。


 就活や会社勤めを否定する気は毛頭ないが、自分にはむいてない。だから、去年起業した。フリーのボディビルトレーナーとして。むろん、学業とも両立している。


 顧客を絞るかわりに相場より高い報酬を要求するのが彼の経営方針だ。むろん、金持ちを狙う。指導はつきっきりの出張マンツーマンで、顧客にあわせてどんなタイプの筋肉でもつけていくことができる。大学の授業に影響しないようもっぱら夜間の訓練になるが、どのみち大抵の顧客は夜しか時間が空かなかった。


 渕山の外見は人並みだが、身だしなみには気を遣わねばならない。自動車を運転しつつ、誰とも会わないのをいいことにバックミラーで何度も自分の顔をたしかめた。ツーブロックにまとめた髪には一分の隙もない。白いポロシャツに黒い長ズボンも糊パリだ。


 背丈は平均より少しあるくらいだし、ボディビルダーとして超人的な筋力があるのではない。かわりに、顧客の要望を細かくすくいとるのは得意だ。


 むろん、最初のうちは鳴かず飛ばずだった。しかし、苦し紛れに自作自演したネット動画……『金持ちこそ筋肉』、略して『かねきん』が彼を成功に導いた。パートナーの美少女ぬいぐるみ『スゴイワちゃん』を相手にトレーニングのパフォーマンスをする演出が話題になった。


 そんな渕山を悩ませているのは、道のりだ。山に入ってかれこれ一時間近くになるが、単調な二車線道路が延々と続くばかりで目印もなにもない。わかっていることといえば、静岡県は静岡県でも東海地方の東端にいるくらいだ。


 経営が軌道に乗っているとはいえ、まだまだ資金は不十分。愛車にカーナビをつけることさえできない。スマホはとうに圏外になっていた。念のためにと購入した紙の地図は助手席に乗せているものの、目的地の近辺は漠然とした記載しかない。


 今度の依頼は、半年前にきた。千島ちしま 広尾ひろお、三十代で株師をしている男性だ。巣出村すでむらという山村に住んでいる。打ちあわせはすべてメールで、地図も受けとっていたが紙の地図と同じくらいの内容だった。


 千島を訓練する仕事は、大学の春休みを利用してかなりまとまった期間を拘束される。そのかわりに莫大な報酬がある。実のところ、寝泊まりまでせねばならない。宿泊費や食費はすべて先方持ちだ。だからこそ、苦心して日程を調整した。


 問題は、指定された住所が聞いたこともない山奥という点にあった。まだたっぷり時間はあるが、この道で正しいのかどうか。気がつくと、渕山はハンドルを右親指で軽く叩いていた。一度やめてもしばらくするとまた叩きだす。


 またカラスの死骸があったら……という不安もあった。卒業が見えてきた大学生であり、また凡人よりはずっと優れた筋力を持つ彼は、夜道を怖がり小動物の死体に仰天する。それもまた、渕山の人格だった。


 ふもとの町で下調べした限りでは、ぼつぼつ三叉路があるはずだ。枝道に進んで登り坂を数十分進めば目的地につく。


 そんな渕山にとって、望み通りに分岐点が見えたのはまさに生き返った気持ちだった。さらに、道路に挟まれた格好で民家がある。洗濯物を吊るした物干し竿があるから人がいるのはすぐわかった。


 念には念を。分岐点を曲がり、渕山は少し距離をとってから愛車を路肩に寄せて止めた。エンジンを切ってから民家を訪問する。


 玄関には表札がなく、呼び鈴もなかった。平屋の木造建築で、庭先はきれいに掃除されているが車は見あたらない。自転車すらなかった。


「ごめんください」


 渕山は、ドアを軽くノックしてから少し大きな声をだした。


「はい」


 しわがれた女性の声がかすかに聞こえ、足音が少しずつ大きくなってくる。


 ドアが開かれ、声にふさわしい背の曲がった老婆が現れた。薄い白髪が頭にへばりつくように残っており、シワだらけの小さな顔には微笑が散らばっていた。


 奇妙な違和感があった。すぐに心の中で納得した。目鼻だちが、どこかスゴイワちゃんに似ているものがある。


「突然申し訳ありません。ちょっと道をお尋ねしたいのですが、よろしいでしょうか?」


 推察がどうあれそれはそれ、この上なくさわやかな愛想笑いを備えて渕山は聞いた。


「どうぞ」


 老婆は、すくいあげるように渕山を眺めた。微笑したままなのが、かえって異様な圧力をもたらした。


「巣出村というところにいきたいんですが、この道で大丈夫でしょうか?」


 ついさっき愛車を止めた道路を指すと、老婆も顔をそちらへむけた。


「そうだね」


 一言だけ老婆は答えた。


「ありがとうございます」


 もう一回笑い、渕山は頭を下げた。道がはっきりしたなら退散に限る。


「あんた、巣出村にどんな用があるんだい?」


 きびすを返しかけた渕山に、いきなり老婆は尋ねた。

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