第28話
※
三人がジンヤに連れていかれたのは、例の暗い空間だった。前回同様、誰かが立っている部分の床面からスポットライトが差している。
今ここにいるのは、レベッカ、ゴン、ケレン、それにジンヤだ。
この光景に、レベッカは眉をひそめた。
「他の連中は?」
「ローデヴィス経済特区の中で広がりつつある混沌の芽を摘んでおります」
「混沌……?」
頭上にクエスチョンマークを浮かべるケレン。ジンヤは振り返り、淡々と語る。
「怒りや憎しみといった悪感情、あるいはそれによって引き起こされる暴力、殺人、街一つを飲み込むような暴動。混沌というのは、それらの総称ですな」
「え、えっとつまり……」
「科学派と魔術派の対立が煽られているんだな? さっきの化け物の出現で」
「仰る通りです、ゴン様」
「あーあ、ったくしゃらくせえ!」
そう言って緊張をぶち壊したのはレベッカだ。両腕を後頭部で組みながら言い捨てる。
「あたしの眼球は元通りになったし、ケレンを親父さんに会わせてやるって依頼も果たした。これ以上、あたしがここにいる目的なんざ、ありゃあしねえ。ま、ケレンも災難だったな、親父があんなド畜生だったなんて。どーでもいーけどよ」
「お、おいレベッカ、そんな言い方は――」
「あたしと殺り合うつもりか、ゴン? ああ、だったら殺るまでもねえ、あたしの負けだよ。斬り払うなり締め上げるなり、好きにしてくれ」
レベッカは前髪をがしがしと掻き、ゴンも自らの禿頭をぺたぺた叩くばかり。レベッカには相当手を焼いている、ということだろう。
だが、四人の中でレベッカの本音を見抜いている人間が一人だけ。
魔術を行使して、レベッカの心を覗いている。
そんなプライバシーに関することは、どんな理由があっても禁止である。それは、魔術派の人間にとっては暗黙の了解だった。
だが、魔導士になりたくともまだなれない、半端者がここにいる。倫理観に縛られない人物――ケレン・ウィーバーが。
「レベッカ、嘘をつかないでよ!」
ぴくり、と他三人の大人たちが動きを止めた。
震えながら言葉を発したのは、魔術の専門家たるジンヤ。
「ケ、ケレン様、今、何と?」
「だから、レベッカは嘘をついてるんだよ! 本当ならこの街を、この世界を救いたい。でも、今までの人生がいいものじゃなかったから、いっそ滅びればいいとも思ってる!」
「お前、どうしてそんなことが……?」
ゴンが腕を組みながら、ずいっとケレンの顔を覗き込んだ。しかしケレンの視線には、背を向けたレベッカしか存在しない。
「これは賞金稼ぎのレベッカ・サリオンに対する依頼じゃない。僕の窮地を何度も救ってくれた、ヒーローみたいなレベッカに対するお願いだ。あの恐竜を倒して、世界を救ってほしい。僕も戦うから」
こいつ、いつの間にこんな言葉を覚えた? どうやってこれほどの度胸をつけた?
ゴンにとってはちんぷんかんぷんだ。
またしても、しばしの沈黙が空間を占めていく。
やっぱり駄目なのか。自分のような、幼稚で強くもない人間に発言権はないのか。
悔し涙でケレンの視界がぼやけ始めた、その時。
「メリッサ」
「……え?」
「あたしの相棒だったオートバイだよ。あいつがそばにあれば、まだ作戦の考えようもある。できるならここにメリッサをテレポートさせてくれ。あたしたちが海に出る前に、安宿に置かせてもらったやつだ。もしできなければ、あたしはすぐにここを去る。その時は爺さん、よろしく頼むよ」
「は、はい」
すっと頭を下げるジンヤ。
くるりと振り返ったレベッカは、コンバットブーツの爪先を鳴らしながら、くいっと顎をしゃくってみせた。ケレンを見遣る視線は極めて鋭利だ。
「――分かった。やってみる」
「おいおいケレン、お前、まだまともな修行もしてねえじゃんか? 魔術ってのは、そんな簡単に使えるもんじゃねえだろう?」
「ゴン、悪いけど黙ってて」
すっとケレンは瞼を閉じて、右手の指を開きながら腕を差し出した。
ぎゅっと唇を引き結び、淡い光がケレンの全身を包み込む。
数秒間の僅かな時間が、永遠にも感じられる。
どくん、と脈打つような揺れが、周囲の空気を震わせる。
ケレンはすっと息を吸って、小さな、しかし聞き違いもあり得ないような口調で呟いた。
「来い、メリッサ!」
しばしの間、何も起こらなかった。魔術行使は失敗か。誰もがそう思った。
しかし、ケレンは右腕を差し出したまま動かない。
すると全く唐突に、何かが四人の中心に割り込んできた。それはさながら、オートバイが走行してくるような雰囲気だ。
「マジかよ……」
そう言葉を漏らすゴン。目の前で再構成されていくメリッサ。それを飽くまでも冷静に凝視するレベッカ。ジンヤに至っては、驚きのあまり顎が外れた状態だった。
時間にして十秒ほど。
そこには、完全な状態となったメリッサが顕現していた。おまけのつもりなのだろうか、盗難防止に付けられた特殊チェーンがきらきらと輝いている。
これはレベッカにしか気づかれなかったことだが、安宿に入る前の塗装や僅かな泥なども、寸分たがわずついて来た。
これには流石のレベッカも、驚きを隠すのに必死だった。
「こ、これほどの魔術を、何の訓練もなしに……?」
「そうだよ、爺さん。治癒魔法やら何やら、他にも使い道はありそうだが」
ゴンから回答を得たジンヤ。彼は胸に手を当て、大きく深呼吸をしてから、ケレンの前に立った。
「ケレン様、身体にどこかおかしいところはございませんか?」
「あ、えっと、大丈夫です。ちょっと疲れただけで」
「それはそれは……」
ジンヤはケレンの手を取り、何かしら呪文を唱えて引き下がった。
「これまでの我々のご無礼、どうかお許しください。だが、わたくしはこの街を守る者の端くれとして、一番厄介なお仕事をお三方に委ねなければならない」
「あの化け物を倒せ、ってところか?」
「ゴン様の仰る通りです」
三人の中で一番冷静であろうゴンは、顎髭に手を遣りながら考えた。
これはもう、主役からOKを貰うしかねえな。
「ケレン、この仕事、頼まれてもいいか?」
この期に及んで言葉は不要。ケレンはぐいっと、勢いよく首肯した。
「お頼みした上で申し訳ないのですが……。次回、あの化け物が出現する前にわたくし共ができるのは、精々治癒魔法をかけるくらいしかございません。それでも……?」
ケレンはキッと音がするような勢いで眼球を動かした。ジンヤに決意を表せるように。
「僕はやります。父さんみたいに、人を騙してどうこうするのは嫌です。絶対に」
「畏まりました。魔術関連の作戦立案はわたくし共にお任せを。レベッカ様、ゴン様には、物理的、科学的な作戦立案をお頼みしたい。いかがでしょう?」
突然に期待のこもった視線を向けられ、二人は思わず顔を見合わせた。
しかし、ゴンが頷き、レベッカが口をへの字に曲げたことで、ケレンやジンヤには状況が丸わかりだった。
「では今晩中に、お三方に作戦概要をお伝えします。テレパシーで、ということにはなりますが」
「手段は問いません。皆さんが正しいと思うことをなさっていただければ」
「はい」
ケレンの目は爛々と輝き、魔力が満ち満ちているように見える。
「では、テレポートを施します。どうぞゆっくりと、休息をお取りください」
深々と頭を下げるジンヤ。まるで本物の安宿、いや、ホテルのような対応だ。
「そう言ってもらえると助かる」
ゴンは相変わらず落ち着いた態度。
だがこの場には、心穏やかならぬ人物が一人、紛れ込んでいた。
※
目の前にある扉は、ひどく遠くにあるように見えた。実際には、簡単にノックできるのに。
ここは安宿の二階の廊下、レベッカの部屋の前。その木目を視線でなぞりながら、ケレンは腕を上げたり下げたりしていた。
「おい、廊下で何をやってるんだ?」
「うわっ!」
ケレンは思わず飛び退いた。
「ケレンだろ? 入って来い。せっかくあたしが呼びつけたのに」
「そ、そんな言い方、乱暴だよ……」
ノックする意味もないな。ケレンはゆっくりとノブを捻り、レベッカの部屋へ上がり込んだ。
「お邪魔します……」
「おう、ケレン。適当に座ってくれ」
レベッカは、デスク前の椅子に座っていた。さっぱりとした灰褐色のノースリーブシャツに、迷彩柄のゆったりとしたズボンを着用している。
僅かに見えた胸の谷間に、ケレンはどきりとした。しかし立ち止まってはいられない。
ケレンはすっと視線を逸らしながら、反対側のベッドに腰を下ろした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます