第27話
「ぼ、僕も協力するよ! いざとなったら戦って――」
言い終える直前、ケレンは何者かに前襟を掴まれ、勢いよく投げ飛ばされていた。
ああ、自分はレベッカに投げ技を見舞われたのだ。。
「よく聞けクソガキ、もしお前の親父の言うことが本当なら、未だかつてない大規模戦闘になる。こうしてここに突っ立っているだけでも十分危険なんだ。お荷物を増やすな」
「お荷物? それって、僕のことなのか?」
「他に誰がいる?」
そう言われて、ケレンはレベッカの腕を振り払った。そのままレベッカの首元に頭突きを見舞う。
ケレンはもう、理屈では反論できない。それでも感情が昂ってしまったのか。
そんなことを思いながら、ゴンは自身が驚いていることに気づかされた。
あの好奇心旺盛な、しかし気弱な少年が、レベッカを相手に喧嘩腰になっている。どうやら自分たちは、この少年を見くびっていたらしい。
「いくぞ、レベッカ、ケレン」
「ふん……」
ゆるゆると互いに距離を取る二人。
「もし何某かの化け物がこの街を襲うなら、さっさと迎撃体勢を取らなくちゃな。さあ、二人共」
※
エレベーターに揺られながら、ケレンは自身の足元を見下ろしていた。
博士を置き去りにしてしまったが、大丈夫だろうか。
いや、あいつは自分の思想に耽って、多くの人々を不幸に陥れようとしている。情けをかけてやる必要はない。
ぎゅっと拳を握り締める。さて、自分はどうするべきだろうか。
ケレンが考え込んでいた時、ガタゴン、と足元が不気味な揺れ方をした。
「化け物はもう姿を現したようだな。俺たちも戦闘準備を」
レベッカは無言で散弾銃に弾丸を込め、がしゃり、と初弾を装填した。
ゴンも背負ったサーベルの柄を握り締める。
ケレンは少し悩んだが、深呼吸を繰り返すことにした。一人だけ丸腰というのは気になるが、今できるのはこれだけだ。
やがてエレベーターは地上に到達し、レベッカを先頭に三人はエレベーターを出た。夕陽が西から差してくる。その先には、街中に配された高層ビル群が――。
「……あれ?」
なかった。いや、何もなかったわけではない。
瓦礫の山があった。人間の死体があった。血だまりがあった。――ここは地獄、なのか?
ケレンが周囲を見渡し、恐怖心を新たにしていると、舌打ちが聞こえてきた。
「マズいな、レベッカ」
レベッカは再度、舌打ちして応じる。
ケレンも慌てて視線を遣ると、何やらひょろ長いものが見えた。
ひょろ長いといっても、巨大であることは確かだ。太さは直径一、二メートルはあるだろうか。
ケレンはそれが、巨大な生物の尻尾なのだと気づいた。同時に、足が勝手に動き出した。その化け物のいる方へと。
「おい待て! 危険だぞ、ケレン!」
後ろからゴンの叫び声がする。だがそれに関わっていられるほど、ケレンは落ち着いてはいられなかった。
精々、レベッカが他人の心配をするのは珍しいと思うだけだ。
もしリーネスト・アライリアンや父親の言っていたことが本当なら。
すなわち、科学派と魔術派の対立が再燃してしまったら。
今度こそ人類は滅びきってしまうかもしれない。
「それを黙って見てろっていうのか……!」
ケレンに戦略があったわけではない。作戦もなければ戦術もない。
ただ、人類の未来が自分の双肩にかかっている。そんな過剰な自己意識に囚われていた。
今、化け物はこのビルの隙間を曲がっていった。せめて一目でも見ておきたい。あわよくば、自分で発せられ得る魔弾を叩き込んで倒してやりたい。
角を曲がると、化け物の全体像が目に飛び込んできた。
ほぼ同時に、ケレンの全身に鳥肌が立った。
この化け物は、かつて恐竜という古代生物の一種として学術研究が為されていたはずだ。強靭な体躯、頑丈な骨格、鋭利な牙と爪。
名前は確か、ティラノサウルス。
何千万年も前、地上を我が物顔でのし歩いていた、食物連鎖の頂点の一角。
それが今、ケレンの目の前でかぶりを振って、こちらに向き直ろうとしている。
これでは、殺られる。
そう思った直後、凄まじい強風が吹き荒れた。悲鳴を上げるも、すぐさま風によって切り刻まれてしまう。
そのまま竜巻に揉まれていると、ここ一番という上昇気流に尻を押された。ぐんぐん地面が遠ざかっていく。
「うわああああああ!!」
ようやく自覚できる程度の音量で、自分の悲鳴が耳に捻じ込まれてくる。
なんとかティラノサウルスからは遠ざかることができた。でも着地は? 衝撃はどうなる?
「まさかここから落とされるなんて……?」
そのまさか、だった。
一瞬の浮遊感。世界の全てがスローモーションに見える。バタつかせている四肢の感覚が曖昧になる。
ついには時間が流れを止めた。そして――。
またもや強烈な勢いで、ケレンは上昇気流に押し上げられた。
といっても、それは大きな気圧差の中を落ちていくから感じられるもの。
だが、そんなことはお構いなし。ケレンは自分が落下していることにすら気づけなかった。
同じ年頃の少年が同じ目に遭っていたら、絶叫し続けるなり失神するなり、パニック状態になっていただろう。
ケレンが冷静さを取り戻せたのは、この竜巻が魔術によって引き起こされたものだと察しがついたからだ。
誰かが僕を助けようとしている? でも、一体誰が?
(ケレン・ウィーバー、わたくしの声が聞こえますか?)
ケレンははっと目を見開いた。
(この声は……! え、えっと……)
(この街の魔導士の統括役を担っております、リーネスト・アライリアンです。ご安心ください、今、あなたをお助けします)
(この竜巻はあなたが――)
(歯を食いしばって!)
その指示に従わない道理はない。ケレンは歯を食いしばり、ついでに目もぎゅっと閉じきった。
聞こえてくるのは、外気が鼓膜を震わせていく風音のみ。
それから数秒と経たないうちに、ケレンは瓦礫の山に落着した。正確には、瓦礫の上に魔術で展開されたクッションの上に、だ。
(あとは我々魔導士たちにお任せを)
(あ、ちょっ!)
ケレンの呼びかけも空しく、リーネストの気配は一瞬で飛び去ってしまった。
※
「ケレン! 無事か!」
大股で地面を震わせながら、ゴンはケレンに歩み寄った。
しかし、ケレンはぼんやりと瓦礫の山の上に佇み、気の抜けた表情を浮かべるのみ。
「この馬鹿! ガキのくせに独断専行するやつがあるか!」
ゴンの広い掌が、べしん、とケレンの華奢な背中を打ちつける。
「おっと、あ、ああ、ゴン……。それにレベッカも……」
「お前、一体どうしたんだ? 吹っ飛ばされて落ちてきて、声をかけたら無反応。俺みたいに、心配する方の身にもなってくれ!」
「話し中悪いな」
そう言って割り込んできたのはレベッカだ。散弾銃を背負い直した彼女は、身を低くして拳を握り、勢いよくケレンの鳩尾に叩き込んだ。
「ッ……!」
今度こそ、ケレンは倒れ込んだ。ゴンが支えてやらなければ、瓦礫の山を転がり落ちていただろう。
「おおっと、お待ちくだされ、レベッカ様。仲間割れしている余裕はないようですな」
どきり、としてゴンが振り返ると、そこにはジンヤが立っていた。
「お、驚かせないでくれ、爺さん……。さっきの恐竜はどうなったんだ?」
「わたくし共の魔弾攻撃と、科学派の高性能爆弾を用いた射撃で、海中へと追い返しました。しかし、致命傷と言えるような負傷はしていない模様。またすぐに、この街にリベンジを仕掛けるでしょうな」
「そいつぁいいぜ!」
不謹慎なことを言い出したのはレベッカだ。
「このまま皆、食人獣に食われっちまえ! けっ!」
「お、おいレベッカ! お前、自分が何を言ってるのか分かって――」
「ああ、分かってるよ。こんなガキをつれて世界を救おうとしたあたしらが間違ってたのさ。皆、皆、みーーーんなそうだ! とんだ茶番だったぜ」
「ふむ……」
「真に受けるなよ、爺さん。こいつの口が悪いのは昔っからでな……」
腰に手を遣るゴン、瓦礫を蹴りつけるレベッカ、再び胃液を垂れ流すケレン。
「お三方にご覧いただきたいものがあります。お疲れのところと存じますが、ご同道願えますかな?」
こんな状況でも笑顔でいられるのか……。一種の才能だな。
ゴンは癖になってしまったように、やれやれとかぶりを振った。
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