第41話 フィリップス医師

「どちらにしろ、我々の診断に任せて頂きたい」

 アンソニーの後ろから声が聞こえる。彼が驚いて振り向くと、モノクルをつけた、薄汚れた白衣姿の男が立っていた。

「君は?」

 パーシーは尋ねる。

「今迄の現場にはいなかったと記憶しているけれど? それは正解なのかい?」

「えぇ、パーシヴァル侯爵様。お初にお目にかかります。医師のフィリップスと申します。以前の事件よりかかわっておりますが、現場ここでお逢いするのは初めてかと」

 男のモノクルが日に刹那煌めく。

「成る程。よろしく、フィリップス君」

 パーシーは手を差し出した。

「はい、宜しくお願い致します」

 フィリップスも手を握り返す。そうして、その手に若干の力を込めて、

「余り現場を歩き回られては困ります。スコットランドヤードの鑑識官が嘆いておりましたよ」

「ははっ、すまないね。僕自身の調査の為さ」

 硬い握手を交わした二人は、冷たい目線の儘手を離した。

「で、君の見立てはどうなんだい? フィリップス君」

 パーシーの興味は、警察ではなく、検証に来た医師に向いたようだった。

「今迄で最も酷い。特に、テーブルに腸が置かれているなど」

「ナンセンスだ。目の付け所が同じだね。君とは気が合いそうだ」

 彼は笑った。

「余り、懐かれても困ります」

 フィリップス医師が苦笑する。

「私にとっては、あなたも現場を荒らす迷惑な存在ですから」

「手厳しい事を言うね」

 パーシーは言った。

「僕は君の事を気に入った。また、何処かで逢う機会もあるだろう。その時は宜しく頼むよ」

「物好きな……」

 フィリップス医師は溜息を吐いた。

「まぁ、この“レディ”がメアリーだった場合、事件は別の方向に向かってくる」

「それはあなたの憶測に過ぎないでしょう」

 パーシーの言葉に、ケースリー巡査部長は答える。

「切り裂きジャックは他にいて、メアリーは只の被害者かもしれませんぞ」

「それを知っているのは加害者だけだろうね」

 惨状を見渡し、パーシーは言った。

「しかし、どうも引っかかるのだよ、ケースリー君」

「何がですかな?」

 ケースリー巡査部長は眉を下げた。

「何故、今回の切り裂きジャックは被害者の顔をここ迄破壊したのだろうね」

「何故でしょうね。いずれにしても、犯人が判れば判明する事柄でしょう」

「例えばだよ、ケースリー君」

 と、パーシーはステッキを床に打つ。


「犯人には、被害者の顔が判らなくさせなければならない理由があった」


「ほう」

 ケースリー巡査部長が相槌を打つ。

「その理由は?」

「先程言っただろう? このレディはメアリーではない」

「根拠は、あるのですかな?」

 隣にいたフィリップス医師は問いかける。

 するとパーシーは踵を返し、

「まぁ、どちらにしろもう少ししたら判明するだろう。僕の、台本通りならば、ね」


「台本?」


 ケースリー巡査部長が怪訝に言った。

「それは、もう、犯人は判っておられると?」

「どうだろうね。あ、そうだ」

 パーシーは足を止めた。

「メアリーと共に写っている男の名は何と言うんだい?」

「ジョー・フレミングと言います。石屋の左官を生業としておりまして……」

「成る程。段々と解けてきた。やはり、事件は数学のようなものだ。後は僕の推理を電話で伝えよう。では、僕達は行くよ、アンソニー君」

「あ、はい!」

 突然名を呼ばれ、今迄の三人のやり取りに気を取られていたヴァレットは慌てて主人の後をついて行った。


「事件は、終わるのですか?」

 馬車迄戻る道すがら、アンソニーは思い切って尋ねてみた。するとパーシーは、

「恐らくね。今夜にでも判るだろう」

 と、少し得意げに言った。やがて馬車が待つ場所迄来ると、御者に向かって言った。

「今日の夜遅くに、ロンドン港に用事がある。向かってくれるかい?」

「あなたの頼みならば。パーシー様」

 御者はぼそりと言った。


 玄関に入ると、ヒルダが仁王立ちをして待っていた。

「遅いお帰りで。パーシー様」

「ただいま、ヒルダ」

 ハウスキーパーの言葉の言葉の心理を理解していないのか、はたまた無視をしているだけなのか、パーシーは気軽に言った。

「昼食はまだあるのかな?」

「私達使用人は食べ終えてしまいましたが、コック達が待っていますよ」

「では、頂こうか」

「畏まりました」

 ヒルダが膝を折る。するとパーシーは、

「そうだ、ヒルダ。アンソニー君の食事も、まだ残っているかい?」

「勿論用意してございます。パーシー様の食事のサーブが終わり次第、食べる事になりますが——宜しくて? アンソニー」

「はい、大丈夫です」

 アンソニーは頷いた。

「よし、食堂へ行こう」

 歩き出すパーシーを、彼は追いかけた。


 パーシーが遅い昼食を終えると、アンソニーは使用人用の食堂へと向かった。そこには、誰かいる様子だ。

「エドワード君……」

「こんにちは、アンソニーさん」

 スカラリーは口角を引き上げた。アンソニーが食事を終えるのを待っているのだろう。

「もう、皆さんはお食事を終えてしまわれました。食器も洗い終わっているので、後はアンソニーさんの分のみです」

「すみません」

 アンソニーが謝罪すると、

「いえいえ、とんでもない事です! これが、僕の仕事なので!」

 エドワードは屈託なく笑った。

「今日の賄いはハギスですよ。領地内の牧場から、良い羊が届いたので、その胃袋に、ハーブと内臓を詰めました。とても美味しいです! あ、これはパーシー様には夕食の際に出す予定なので、ご内密に……」

「ハギス……」

 先程の惨劇を思い出し、アンソニーの手が止まった。

「お気に……召しませんでしたか?」

 何も知らないエドワードは問いかける。

「い、いえ。何でもないですよ」

 かぶりを振って、アンソニーは胃袋を切って、肉汁と共に溢れ出た中の肉を口に運んだ。美味いが、やはり真昼の現場は己の中では衝撃的だったのだろう。

 嗚咽を堪えながら、全て食べ終えた。

「ごちそうさまでした。モーリスさんに礼を伝えておいて下さい」

 そう言って、席を立った。

「また夕飯の時に逢いましょうね!」

 エドワードは手を振った。

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