第36話 不愉快なサロンにて

「アンソニー君は、何処か適当な場所に座っていて呉れ給え。すぐに終わる用事だ」

 物凄い勢いで文字を使ってページを埋めつつ、パーシーは言葉を継いだ。書庫の中は、光が射していていて温かい。もう11月に入っている。季節の移り変わりは、早いものだ。

「はい」

 アンソニーは相槌を打ち、書の海を見渡した。めくるめく情報の波に、くらりと眩暈すら覚える。


 これを、パーシーは全て記憶しているのだ。


 己ならば、すぐに投げ出してしまう程の量だ。

「大変な人を主に持っちまったな……」

 埃の立たないソファに沈み、パーシーに聞こえない程のスラングで、アンソニーは呟いていた。


「終わったよ、アンソニー君」

「うわっ」

 不意に声をかけられ、アンソニーは飛び上がった。

「珍しいじゃあないか。君が驚くなど」

 ヴァレットの意外なる失態に、主人は何処か楽し気だ。

「本に酔ってしまったのかい? この僕に仕えている限り、この先慣れないといけない場所だよ?」

「はぁ」

「まぁいい。午後はジークローヴ子爵邸でのアフタヌーンティーだったね。この事は、モーリスも知っているのかな?」

 どうだろうか。アンソニーは若干不安になった。しかし、フットマンのジェイクの事だ。恐らく伝わっているだろう。

 食事が、キュウリサンドくらいになる。そんな具合だ。

 アンソニーは懐の懐中時計を見遣る。時刻は、昼食の時間——午後一時を示していた。

「結局午前の時間を全て使ってしまったね。やはり、文章を書くのは大変だよ」

 書庫から出ると、パーシーは肩を竦めてみせた。

「しかも、今回は僕——書き手が当事者だ。少し、気負ってしまった」

 あえてスチュアートの事を出さないようにしているのか、パーシーには珍しく、口数も少ない。

 気負う、この一言に、全てがかかっているように思えた。


 予想通り、昼食は紅茶とキュウリサンドのみだった。

「後は、ジークローヴ子爵様宅のキッシュやケーキをお楽しみください」

 滅多に顔を見せないコック長のモーリスが、養子にあたるエドワードと共に、パーシーを迎えた。

「エドワード君と言ったかな? モーリスと何か関係があるのかい?」

 屋敷の事を全て執事に任せている主人は、首を傾げる。

「エドワードはゴールディングと名乗っていたり、未だ見習いのスカラリーですが、将来のコック長候補です。パーシー様。私が、養子として孤児院より連れてきました」

「改めて、宜しくお願いします!」

 エドワードは頭を下げる。

「初めて知ったな。アンソニー君、君はどうなんだい?」

 共犯者を求めるような声色で、パーシーはアンソニーを見た。しかし、嘘を吐く事は出来ない。

「……既に、知っておりました」

 それだけ言って、後はだんまりを決め込むつもりでいた。

 するとパーシーは、

「そんなに気にする事はないよ、アンソニー君。別に、犯罪が起きた訳でもない」

 そう言って、手を伸ばしてアンソニーの頭に手を乗せた。

「行こうか。この服装で大丈夫かな?」

 彼は立ち上がる。

「この度の犠牲者を弔う為と言えば、印象も良くなるかと」

「君は良い事を言うね。そうしよう」

 馬車に向かいながら、パーシーは言った。


 ジークローヴ邸に着くには、五分程の時間を費やした。

「流石隣の領土。案外早く着いたね」

「そうなのですね」

 パーシーのヴァレットとなって、初めて訪れる場所だ。己が緊張している事に、アンソニーは気が付いた。

「ジークローヴ子爵とは仲が余り良くないからね。僕も、数度しか顔を合わせた事がない」

 ステッキを叩き、パーシーは答える。

「まぁ、悪いようにはならないだろう。安心し給え」

 これは、自信から来るものか、または不安を和らげるための作戦か。


 己は、未だに主人の全ての顔色を知らない。


 馬車が止まり、アンソニーは先に出てパーシーに手を差し伸べる。約束事のように、彼はその手に己の掌を乗せ、馬車より下りた。

 初めて見る、ジークローヴ邸の門は白亜に染まり、秋の終わりの午後に輝いていた。パーシーが獅子のドアノッカーを叩く前に、玄関の扉が開き、喪服のような濃紺のドレスに身を包んだ女が彼を迎えた。

「ようこそいらっしゃいました、パーシヴァル様」

 彼女は膝を折る。

「あなたが、僕に招待状を出した?」

 パーシーが白い封筒を差し出した。

「はい。セーラ・ジークローヴと申します。この度は、誠にお世話になりました」

「僕は何も出来なかった。謝られる資格など持っていないよ」

 パーシーは些か困惑気味だ。

「アフタヌーンティーの準備が出来ております。傍らのフットマンさんも、一緒にいらしてください」

「彼はフットマンではなく、ヴァレットだよ。セーラ夫人」

「あらまあ! 失礼致しました」

 夫人は再び頭を深く下げた。

「兎も角、会場迄案内して呉れ給え」

「はい」

 セーラはスカートを翻す。床まで裾が付きそうな、古風なスカートだ。

 そうして、パーシーはアンソニーと共に、ジークローヴ子爵邸へと足を踏み入れた。


「こちらです」

 と、セーラが会場へと案内する。そこには、数名の貴族らしき紳士淑女がソファでくつろいでいた。

「皆、殆どジークローヴ子爵家の身内のようなものばかりです。お逢いするのは、初めてかと」

「成る程」

 そう言いながら、パーシーはアンソニーの手を求めていた。それに従って手を添えると、強く握り返された。

 もともと社交的な性格だが、パーシー自身も、今回の事件の事では、やはり恐いのだろう。

「あなたが……グレースの死を突き止めてくれた?」

 一人の男が立ち上がる。そうして、握手を促した。

「僕はノーマン・トムソン。爵位は伯爵だ。グレースを花嫁に迎えるつもりだった」

 と、ノーマンと名乗った男は言った。

「本当は、今日は結婚二日目の筈だったのだけれどね」

「君は僕を恨んでいるのかい?」

 握手を交わしつつ、パーシーは死神の花婿に問いかける。

「いや、最後にグレースの言葉を聞いたのはあなただ。彼女は、何と?」

「……残酷な質問をするね」

 危ない。いち早くそれを察したセーラが、アンソニーよりも早く、二人の間に入った。

「早く、冷めないうちにどうか紅茶を召し上がって? ショートケーキやサンドイッチもあってよ?」

「有難う、セーラ夫人」

 ノーマンはそう言って、パーシーの腰を抱いて、己の隣に座らせた。何があるか判らない。アンソニーは素早くその背後に回り込んだ。

「さて、もう一度聞こう。グレースは、何と?」

「いやぁ……まだ死にたくない……。そんな事を、言っていたよ」

「——そう、か」

 それを聞いたノーマンの瞳から、大粒の涙が零れ落ちた。例えそれが、グレース自身に向けた言葉だとしても、花婿には、死ぬ逝く花嫁の最後の言葉は、二人の幸せを願うように思えたのだろう。

「あ、あぁ、失敬。やはり苦しみをかき消す事が出来ない……」

 ハンカチで涙を拭い、彼は言った。

 丁度、蓄音機の音が止まる。セーラはレコードを取り替えた。ショパンの、別れの曲だ。


 改めて周りを見回すと、サロンに集まった殆どの者が、喪服に似せた深い色の衣服に身を包んでいる。もしかしたら、午前中に二人の葬儀が行われたのかもしれない。時間の少し早い招待状の意味は、気紛れと言う訳ではないようだった。

「語って下さらない? 侯爵様」

 ジークローヴ家のパーラーメイドが、客達のティーカップに紅茶を注ぐ。セーラが、頃合いを見て話を切り出した。

「——これは、とても悲しい事件だったよ」

 パーシーが口を開く。

 もう語りたくはないだろう事実を、再び蘇らせるのだ。幾ら犯罪者と言えども、何度も親友の死を伝えるのが、辛くはないだろうか。

 そんな事を、懸念してしまう。

「そうして、犯人はその妻に殺され、妻も自害した。これで話は終いだよ」

 パーシーは話を締めくくる。


「素晴らしい!」

「正義は良いものですな!」

「自殺という罪の元、罪人が裁かれるのはなんと清々しい事か……」


 拍手が湧き起り、冷たい顔をしたパーシーを包んだ。

「僕は、これで帰っても宜しいかな?」

 怒りを堪えたイギリス人特有の、冷めた声で彼は言った。

「もう帰られてしまうのですか?」

 立ち上がるパーシーに、セーラは顔を上げる。

「少し、靴が汚れてしまったのに気が付いてね。すぐにフットマンに磨いてもらわなければ、紳士として僕が存在できなくなってしまう。行くよ、アンソニー君」

「まぁ、それはどのような汚れ?」

 セーラが尋ねると、

「傲慢と野次馬と言う、ヘドロのように汚い汚れにね」

 それだけ言い残し、パーシーはアンソニーを伴い、アフタヌーンティーの会場を後にした。背後がざわめくのが判る。

 それを無視して、彼は玄関へと歩を進めた。

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