第27話 パーシーの気紛れ或いは不幸な花嫁
そんな気まぐれが、パーシーの短所にして、長所でもあるのだ。
「ま、待て!」
ジークローヴ子爵が、パーシーを呼び止める。
「何だい?」
何処か不機嫌そうな声色でパーシーは振り返った。
「本当に、事件を解決して呉れるのだろうな」
「当たり前さ。解けない謎なんて、存在しない。それは君だってわかっている筈だろう?」
「本当に、この行き場のない怒りを、鎮めて呉れるのか?」
その言葉には、嗚咽すら垣間見えた。
「約束しよう。マイケル・ジークローヴ君」
己よりも遥かに年上の相手に、パーシーは答える。
そうして、再び踵を返した。
「ふぅ、疲れたね」
アンソニーが部屋の扉を閉めた途端、パーシーは天高く身体を伸ばした。
「宜しかったのですか?」
「何がだい?」
すっかり冷めたハーブティーを口に運びつつ、彼は首を傾げる。
「ジークローヴ子爵の事です」
空になったティーカップに二杯目のカモミールティーを注ぎ、アンソニーは言った。
「あぁ! 大丈夫だよ。もう、誰も死なせやしないさ」
「その自信は何処からやってくるのですか?」
「愚問だね」
パーシーはハーブティーを込みこんだ。
「犯人の目星は大抵ついている。認めたくはないけれどね。後は翌日日が昇ってから証拠を見つけに行くだけだよ」
そう言ったパーシーの目は、何処か寂しげだ。
「そう言えば、パーシー様」
アンソニーは口を開いた。
「先程ハーブティーを頼みに使用人用の食堂へと向かう際、窓から茂みへと駆けて行く影を見たのですが」
「ほぅ」
ティーカップをサイドテーブルに置いて、パーシーは頬杖をついた。
「それは、どのようなものだったのかい?」
「男性だか、女性だか判りませんが、肩程迄の髪の毛でした」
「そう、か」
ヴァレットの言葉に、主人は何かを察した様子で、深い溜息を吐いた。それから立ち上がると、
「証拠が消されるかもしれない。今のうちに向かおう」
手蝋を手に、己から自室の扉を開いた。
廊下には既にジークローヴ子爵の姿はなく、冷たい風が吹いている。その場所を、速足で通り過ぎ、パーシーは迷いなく歩いて行く。
「お待ちください!」
アンソニーが慌てて後を追いかける。目指しているのは、裏口のようだった。
「このような場所に仮にも屋敷の主が入るべきではないかと」
使用人用の勝手口の前で、アンソニーは言った。
「ヒルダには秘密にしておいて呉れ給えよ?」
パーシーが勝手口の扉を開く。晩秋の夜風が、彼の前髪を揺らした。
そこには、暗くて良くは見えないが、何やら草原を両断している焦げた跡があった。パーシーはしゃがみ込み、その跡に残る端切れのような物を手に取った。
「成る程……トリックも解けた。後は追い詰めるだけだ」
「パーシー様、これは?」
謎がさっぱり判らないヴァレットは尋ねる。
「シーツを割いて作った、簡易な導火線だろう。少しの油を含ませて……ほら見てご覧? それが草むらまで続いている」
パーシーは彼方の場所を指差した。
月明かりの元で見るそれは、確かに草むらへの轍が伸びている。
そこは、今朝方アンジェリカが殺された場所だった。
「さて、証拠も揃った」
端切れを慎重にハンカチに包み、パーシーは言った。
「今日はもう遅い。眠ろう。君も、夕飯を取っていないだろう」
「そうですね」
まだ、使用人用の食堂は空ではないだろうか。そんな事を、不意に思考していた。
「後は僕一人で帰る事が出来る。君は使用人用の食堂に向かい給え」
「いいえ、あなたが眠りに堕ちるまで見守っているのが私の仕事です」
前を歩くパーシーに、アンソニーは言う。
「律儀だね。前のヴァレットは喜んで食堂に向かったのに」
「以前のヴァレットは、代々お屋敷に勤められていた者ではないのですか?」
浮かんだ疑問を、口に出していた。
「子供が出来ないまま、死んでしまったからね」
パーシーが、言葉を吐き出した。
「子供?」
オウム返しにアンソニーは問う。
「僕の両親を行動を共にしていてね。“事故”が起きた際に、共に死んでしまったのさ」
「す、すみません」
ヴァレットの言葉に、主人は軽く首を捻った。
「何がだい?」
「いえ、ご両親の話をさせてしまって……」
「気にする事はないよ。まぁ……発作が起きてしまったら、すまないけれどね」
手蝋を揺らしながら、パーシーは笑った。
「はぁ」
それは何処か他人事のような物言いで、アンソニーは少し不安になった。
呼び出しのベルが鳴る事は気にしていない。ただ、パーシーが辛い思いをする事が、耐えられないのだ。
やがて、先程出ていったばかりの自室に辿り着く。天蓋付きの寝台に敷かれた布団の、その上にかかる羽毛布団をめくり上げると、アンソニーは手蝋を受け取り、布団に潜り込む主の姿を見ていた。
「お休み、アンソニー君」
白い枕に頭を預け、パーシーは目を閉じる。
「お休みなさいませ、パーシー様」
間もなく聞こえる微かな寝息を耳にすると、アンソニーは静かに部屋の扉を閉めた。
幾度も通った道を、踏みしめるように歩いて行く。パーシーとの日々は、忘れる事なく覚えている。それ程迄、彼は大切な主人で、愛おしい硝子細工。
そうして、彼のものと言う永遠の称号を己は得ている。
なんて、幸せ者なのだろう。
これは、本当は夢ではないのか。そんな事を思う時がある。これは夢で、目覚めれば、イーストエンドの安アパートメントの、汗臭い黄ばんだシーツに身を横たえているのではないだろうか。
「……これは、現実だ。いい加減消えろ」
かぶりを振って、声を潜める。拳はわなわなと震え、早く誰かに逢わなければ、おかしくなりそうだ。
使用人用の食堂が近付いてくる。明かりが漏れている事に、アンソニーは安堵の溜息を吐いていた。
「失礼します」
扉を開けつつ、ノックをする。いつものメンバーが、そこにはいた。
「アンソニーさん! あたし、待ってたんですからね」
すっかり食事を食べ終えたキャサリンが、喜びの声を上げた。
「早く寝ろって言ったんだけどねぇ」
煙草を燻らせながら、ジェイクが苦笑した。
「だって心配じゃないですか。エメリーさんが父さんを連れて行って帰って来たと思ったら殺人事件があったって……」
「大丈夫ですよ。明日にも事件は解決するでしょう」
キャサリンの隣に腰掛け、アンソニーは言った。
「それは、アンソニーさんの勘ってやつですか?」
好奇心が旺盛なハウスメイドが、耳元で囁いてくる。
「いえ。先程パーシー様と共に証拠を見つけまして……何かを悟られたようです。とても、哀しい顔をされていましたが……」
「そうなんですね! 兎も角、殺人事件はもう終りって思って良いんですよね?」
「恐らくは」
エドワードが慌てて運んできたパンをスープに浸して口に運び、アンソニーは答えた。
「キャサリン、良い加減食べさせてやりなよ」
ジェイクが再び笑った。
「スカラリーも朝が早い。君もそうだろう?」
「え、えぇ。まぁ……」
キャサリンは頭を掻いて、立ち上がった。
「それじゃあ、お休みなさい。皆さん」
そう言って、食堂を後にした。
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