第18話 ヴァレットとして

 ふと、彼は思う。そういえば、この屋敷の使用人とは、限られた人物以外、あまり話す事がなかった。

 それはアンソニーが接触を避けていた所為でもあるが、やはり、ヒースコート邸を守る使用人達も、パーシーが自ら選んだと言えども、外部からの突然の侵入者に警戒していたのだろう。


 そうこうしている間に、一年が過ぎてしまったと言う事だ。


「君は、何処までパーシー様を知っている?」

 部屋の鍵を閉め、オズワルドは尋ねた。

「一応、ピーターさんから少し幼い頃の話をお聞きしました」

 肩を並べて歩きながら、アンソニーは答える。

「ご両親が、旅先で亡くなられたとか」

「あとは? パーシー様からは聞いているかね」

「――それは、影の警視総監と、怪人録の話でしょうか?」

「それが判っていれば、私から話す事は少ない」

 オズワルドが真っ直ぐにアンソニーを見た。

「パーシー様のお心は、未だ先代が亡くなられてから止まっていられる。頭や身体は年を重ねられておられるが、たまに、発作のように昔の記憶が蘇られて混乱される事もある。君の前のヴァレットは、それに参ってしまってね」

「そうなのですね」

「君も、ヴァレットとしての洗礼を受けたと言う事だ。名誉な事だぞ」

「判りました」

 食堂へと歩を進めながら、二人の使用人は話した。


 食堂の扉を開けると、既に集まっていた下級使用人達が、一斉にこちらへと視線をやった。まだテーブルの上には、何も置かれてはいない。

「おはようございます! アンソニーさん」

 キャサリンが鈴のなるような声で言った。他の貴族の屋敷では、ハウスメイドやフットマンなどの下級使用人は食事の際も、上級使用人に話しかける事は禁断とされる。

 しかし、ヒースコート家では、同じ扱いを受けている。


 それが、誰もが屋敷を離れない理由の一つかもしれない。


「昨日は一人、今朝はオズワルドのおやっさんと一緒か。何かあったのか?」

 目ざとくピーターが言った。

「ま、まぁ……」

 アンソニーが苦笑した。

「いやね、アンソニー君がパーシー様とより距離が近くなったと言う話さ」

「何があったのですか?」

 興味深げにキャサリンは聞いてくる。ドット柄がプリントされた生地のワンピースに、麻のエプロンを付けている。若干汚れているのは、暖炉の掃除でもしてきたのだろう。しかし、この年頃の娘は、好奇心を抑える事ができないようだ。


 これは、隠さなくても良いだろう。アンソニーは己の中で答えを見付け、唇を開いた。

「実は昨日、深夜に私を呼ぶベルがなりまして。急いで向かったら……」

「もしかしてヒースコート邸での秘密事項ですか?」

 すかさず、ハウスメイドは言った。

「知っているのですか?」

 アンソニーは驚いた。

「あたしは未だ両親の元にいた頃ですが、聞いた事がありまして」

 キャサリンは続ける。

「旦那様の、お心のお話ですよね」

「よくご存じで。Ms.キャサリン」

 オズワルドが軽く咳払いをする。そうして、ちらと手前に座るヒルダを見た。ヒルダは、

「教育の必要があるようね」

 と、若いハウスメイドに目を遣った。


「ヒッ」

 キャサリンの息を吞む声が聞こえる。

「大丈夫ですよ、余りお気になさらずに」

 アンソニーは彼女を庇うように言った。

「私達の間の問題なので」

「迷惑ではないですか?」

 恐る恐る彼女は問うてくる。

「私は全く。パーシー様は、ご自分では余り理解されていないようなので、話に出さないようにして頂ければ」

 その言葉に、キャサリンは言った。

「大丈夫です。私達ハウスメイドは主人の目に触れないように行動します。話しかけるなどという事は、滅多にありませんから」

「成る程。そうでしたね」

 アンソニーは苦笑した。


「おいそこ、いちゃついてないで早く飯を食おうぜ」

 と、ピーターが言った。待ちきれないのだろう。

「あぁ、すみません」

 アンソニーが椅子に腰かけると、オズワルドもその目の前の席に座った。エドワードが料理を運んでくる。余程味を占めたようで、昨日の余ったパンをコンソメスープに浸してチーズを乗せてオーヴンで焦げ目をつけたグラタン風のスープが運ばれてきた。

「これは初めて見るな」

 ジェイクが、指を髭を剃ったばかりの顎に滑らせて言った。


 どうやら、これは厨房だけの秘密の味だったらしい。


「もしかして、これがモーリスのおっさんが言っていた特別な料理か?」

 美味そうだな、ピーターは唾液を飲み込んだ。

「ここ最近の賄い飯の力作だ。スペインの郷土料理をトマトではなく、コンソメ風味にアレンジしたものだ。お前たちの意見で、これをパーシー様に出すか決める」

 何と言う無責任な言葉だ。アンソニーはそう思いながらも、未だにぐつぐつと音を立てる表面のチーズを見る。この前食べたものはチェダーチーズだったが、今回はモッツァレラチーズを使っているようだ。


 これは、本格的にパーシーの食事に出そうと考えられているものだろう。スプーンでチーズを掬い上げると、モッツァレラチーズの濃厚な香りと共に、炒めた玉ねぎの芳醇な匂いがした。チーズが違うだけでもこんな違いが出るものか。アンソニーは感嘆のため息を吐いた。

「どうだ?」

 モーリスは少し緊張気味に尋ねる。

「美味しいです」

最初に答えたのはキャサリンだった。

「これは、パーシー様の好きな味だ」

 ジェイクが顎髭を剃ったばかりの顎に手を滑らせる。

「今夜のメニュー辺りに出せるんじゃないか?」

「早速お出ししますか? モーリスさん」

 コックのジョージが言った。

「そうだな。この頃は一気に寒くなった。丁度良いかもしれん。貴重な意見を有難う」

 そう言って、モーリスは席を立った。既に目前の食卓は、空になっている。

「朝食の仕上げだ。早く食べた奴から来い。なるべく早くな」

「は、はい!」

 まさかこんなに早くモーリスが食べ終わるとは予想していなかったコック達が、慌てて熱いスープを口に運ぶ。


 最初に食べ終えたのは、エドワードだった。

「お前、舌は火傷していないのか?」

 先輩コックが尋ねる。

「はい、全く」

さっぱりとした表情で、エドワードは答える。

「でも、僕の仕事は皆さんがいないと始まらないので」

 と、若いスカラリーは再び腰を下ろした。慌てたのは先輩のコック達だ。熱さに悶えながら、慌てて完食した。

「じゃあ、行くか」

 ジョージを先頭に、立ち上がったコック達が食堂を出て行く。最後に出たのは、モーリスの次に完食した筈のエドワードだったので、残された使用人達は余りの滑稽さに苦笑を隠せなかった。


「面白ぇなぁ、だからここの使用人は辞められない」

腹を抱え、ピーターが言う。

「確かにそうだ。毎日何処かで喜劇が起きる」

ジェイクがそれに続いた。


 これは、己の心に持つ気持ちも含まれるのだろうか? アンソニーは自問する。しかし、答えは見つかる事はなかった。


 やがて、皆食事を食べ終え、食堂を後にする。その食器を取りに来たのは、エドワードだった。

「本当に美味しかったと伝えといて呉れ」

 ジェイクはそう言って、食堂を後にした。

「有難うございます!」

 エドワードは頭を下げる。

「我々も、行こうか」

 と、オズワルドが立ち上がった。

「そろそろパーシー様を起こす時間だろう」

「そうですね」

 アンソニーはその言葉に頷き、食堂を後にした。

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