六日目

六日目:ダモクレスの剣

 結局胃痛は収まらず、まともに眠れやしなかった。それでも学校に行かねば、と、ゾンビが唸るような声を上げて体を起こしたが、その体は床へと吸い込まれていった。

 部屋から出ることも叶わず、私は家族のグループに一言連絡を入れて、布団へと戻った。しばらくして、誰かが上がってくる音が聞こえた。その音は私の部屋の前で止まり、地面に何かを置いて去っていった。

 そっと扉を開けてみれば、そこには温かい朝ご飯が置いてあった。メモが着け添えられている。


──食べたいときに食べて、元気になったら学校に行きなさい。


 母親の字だ。私のことを心配してくれているらしい。それはとても嬉しいことだけれど、それを嬉しいと捉えられるほど私には余裕が無かった。いや、寛容ではなかった。

 私の母親はいつもそうだ。弱っている私には優しいけれど、そうでない私には厳しい。こういうとき、騙されそうになってしまうけれど、私の両親はこんな人間ではない。いつだって「優等生」であることを勝手に期待して、勝手に心配している。それが、どれだけつまらないことなのかを知らずに。

 だから私はいつだって小説に逃げてきた。だから私は──

 朝食を机の上に置いて、再び布団を被る。今日は学校を休もう。一日中眠っていよう。それが現実逃避になるのかは、分からないけれど。



 背中が痛い。頬が冷たい。体を起こせば、そこは文芸部室だった。服はいつの間にか制服に変わっている。

 どうやらまだ誰も来ていないらしい。胃の痛みは過ぎ去っていて、なんとか動けそうだ。私は一人、暗い学校を探索してみることにした。

 空き教室以外にも教室はあり、ウヅキが落ちた階段からは下に向かうことができる。試しに一つ教室に入ってみると、そこは真っ黒であり、上も下も分からない空間が広がっていた。


「何、これ……」


 目眩がして床に足を着けば、なぜか廊下に戻っている。そのまま階段へ向かっても、何度踊り場を経ても下へは行けず、上に戻れば四階の空き教室の前へと戻ってきてしまった。空間がループしているのだ。まるで、空き教室以外の空間なんて無いかのように……

 放送室は二階だ。このままでは向かうことはできないだろう。私はおとなしく空き教室へと戻ってきた。

 冷たい空気、薄暗い空間。誰もいないと、まるで箱庭に一人ぽつんと置かれた人形みたいだ。不思議の国のアリス症候群みたいに、周りのものがやけに大きく見えるような気さえした。

 すると、キーン、とハウリングが聞こえてきた。スピーカーから音が鳴っているらしい。ヨルの放送だろうか。私は耳を澄ませた。


『御機嫌よう、ツクヨミマキ。ワタシからの誘いを断り続けるなんて、良い度胸じゃない?』


 その言葉に、最初はぱっと思い出せなかった。しかし、すぐに思い至る。彼からの誘いといえば、放送室の手紙だ。


──御機嫌よう、文芸部諸君。この手紙を読んでいるってことは、放送室までご足労いただいたのかな? 残念だけど、裏切り者以外に興味は無いんだ。どうしても会いたいなら、裏切り者は一人でおいで。それでは、また今夜お会いしましょう!


 ヨルに会う、という行為が完全に頭から離れていた。ヨルは私からの返答が無いのを見て、酷いなー、と呟いた。


『ワタシもオレも、ぜひ裏切り者には会いたいと思ってんたんだよ?』

「あれは私に対する誘いなの?」

『ううん、裏切り者二人に宛てた誘いだよー。ハヤトとマキ、二人に会いたかったの。このまま最後までワタシに会わないで、ゲームを終えるつもり?』

「……含みがある言い方じゃん」


 ふふん、とヨルは嬉しそうに鼻を鳴らした。そして、独り言を言うようにこう言った。


『マキはヨルに会いたいと思ってたんだけどなー。だってワタシ、マキから生まれたんだよ?』

「……ッ、それは、どういう──」

「今日はツクヨミさんが一番乗りだったんだね」


 私の声を遮るように、ヒイラギ君の爽やかなバニラの声が聞こえてきた。ぶつりと放送は途絶え、何も無かったかのように静かになった。

 咄嗟に身を固める。今の会話を聞かれたか、と思ったが、カリヤとヒイラギ君は何事も無いような顔で扉をスライドした。そのまま二人が隣同士で着席する。

 少し遅れて、リリカが部屋に入ってくる。彼女もまた、さきほどの放送には触れない。誰にも聞かれていないようだ、ほっと一息をついた。

 リリカは私の隣に座るが、浮かない顔をしている。まるで考え込んでいるようだ、ずっと俯いている。

 マイクがハウリングする。ヨルの放送が再び始まったのだ。リリカ以外は皆、スピーカーに顔を向けた。


『昨日はおめでとう! 残る裏切り者は一人になったね。いったい誰なのかな? オレも気になっちゃうなぁ!』

「おいゲームマスター、ルールを確認するぞ。裏切り者は一人だ。最後に裏切り者と二人になったらゲームオーバーなんだな?」

『お、そうだよ。言い忘れてたけど、そういうこと。つまり、キミたちに残された日にちはあと、今日も含めて二日だよ! わぁ、もう短くなっちゃったね』

「僕たちは今日中に裏切り者を処刑すれば良いんだよ、ルールの確認は以上だ」


 カリヤがそう言い終わると、ヨルは愉しそうにクスクスと笑い声を上げた。何がおかしい、と口を開くカリヤに、ヨルは嗤ったまま続けた。


『すっかり他人の不幸が美味しくなっちゃったかな? 皆で殺し合いなんて、野蛮だよねー。裏切り者がここで名乗り出て、もう終わりにすれば良いのにね!』

「強制してるのはお前だろ」

『うわー、正論キッツーい。まぁ良いや、さっさと話し合いを始めちゃってね!』


 ヨルが強引に放送を切る。その音を合図に、話し合いは始まった。

 カリヤは足を開き、少し前屈みになって話し始めた。


「僕は裏切り者じゃない。だから、ヒイラギ、クルミ、ツクヨミのうちどこかに裏切り者がいることになる」

「それは暴論でしょ。だってカリヤが裏切り者の可能性は残ってるんだから」

「それもそうだね……この中で一番裏切り者に近い人、か……」


 ヒイラギ君が辺りを見渡す。顎に手を当て、うーん、と呟いている。まるで品定めをするみたいだ。

 私が疑われないようにするには、別の人が怪しいと証明しなくてはならない。いったい誰にすれば良い? 組織票から梯子外しされたリリカを疑わせるのは非常に難しいし、ヒイラギ君にも今のところ怪しいところは無い。カリヤに至っては、この中ではハヤトを見つけたヒーローだ。私は皆の目に怪しく映っているだろうか? きっと何の印象も抱かれていないに違い無い。誰が死ぬべきかなんて、分からない。私は死にたくないけれど、この中では私が死ぬべきだ。私が諸悪の根源なのだから……

 名乗り出るか悩んでいると、ヒイラギ君が不意に口を開いた。


「──俺はさ、カリヤが怪しいと思うんだよね」


 カリヤが目を見開く。私も驚いて言葉を失った。リリカが、ふっ、と顔を上げる。

 仕切りはするけど、普段は口を開かないヒイラギ君が、率先して発言した。しかも、友人のカリヤを疑うという旨の発言だ。当然、カリヤは少し怒りを滲ませた赤い声で返答する。


「なんでだよ。気でも狂ったのか? 昨日裏切り者を見つけ出したのは僕だぞ!」

「いや、それが不自然だと思ってさ。だって、あの部誌、カリヤが見つけ出したわけじゃないでしょ?」

「それは、そうだけど……机の上に置いてあったんだ!」

「それなのに、この場を仕切ろうとしている。本当に裏切り者を見つけたのは、別の人なんじゃない?」


 ヒイラギ君は真顔でそう詰めていく。カリヤの表情が強張り、明らかに怒りを示し始めた。


「じゃあなんで僕が裏切り者を検挙してんだよ、おっかしいだろ! 味方を売ったとでも!?」

「そう、俺はそう思うんだ。一つ、ツクヨミさんが昨日言っていたとおり、もしかしたら裏切り者同士は統率がとれてないのかもしれないということ。一つ、自分が生き延びるために別の裏切り者を炙り出したこと。そうすれば、今日も主導権が握れる、そして生き残ることができる……そう思わないかい、クルミさん」

「え、わ、私は……」


 ヒイラギ君の目が奥でぎらりと光ったような気がした。その鋭さに、私でさえも怯む。口元は笑みを浮かべているのが不自然だった。

 リリカは目を逸らし、私もそう思う、と小さな声で答えた。私はその返答に驚く──今まで能動的に人を疑おうとしなかったリリカから出てきた発言だからだ。


「この状態で絶対狙われないのって、カリヤ君だと思うから……そこに裏切り者がいると思うと、怖い、かも……」

「ツクヨミさんはどう思う?」


 今度目を向けられたのは私だ。ヒイラギ君は穏やかな笑みを浮かべている、この状況で。ムカデが背中を這うような、そんな気味の悪さだ。

 今カリヤが疑われるのはおかしいのではないか? そんな正常な思考と、このままカリヤが疑われていれば私が生き残ることができる、という異常な生存本能が心の中でせめぎ合う。どう考えたって、身内を切るような真似は危険すぎる。私は身内を売った結果、精神的に負担を抱えることとなった。

 でも、リリカの一言は確かかもしれない。似たようなゲームでも、怪しい人を売るというのは戦略としておかしくはない。何より、このままいけば押し切れる。

 私の中の悪魔が、天使を窓から突き落とした。


「私も同意。絶対に死なない位置に位置してると思う」

「お前ら……お前らッ、絶対おかしいだろ! なんで僕が処刑されなきゃならねーんだよ! 確かに何人か犠牲にはしてきたけど、裏切り者を見つけたのは僕だぞ!?」

「ヨザクラ先輩のこと、『ヨル』って名前が入るから殺したよね。あれ、実はスケープゴートだったんじゃない?」

「なっ……!」


 ヒイラギ君は少し顎を上げ、足を組んだ。カリヤの顔は赤から青へと変わっていく。怒りを通り越して抱いた感情はきっと、絶望だ。それでもヒイラギ君は追い打ちを続ける。


「マナミ先輩、完全に理由無く処刑されたよね。アレ、本当に必要だったの? ちゃんと部誌を読んでれば、一人死ななくても済んだんじゃないかなぁ」

「そ、それは……僕が見つけられなかったからで……!」

「何もしてない俺が言えた口じゃないけど、組織票なんて考えたのも、生存意欲が強いからだと思うんだけど」

「お前! お前あのとき僕に賛同したじゃねーかッ!」

「だって、そうしないと殺すって脅されたから……」


 カリヤがついに立ち上がって、ヒイラギ君の胸ぐらを掴んだ。ヒイラギ君は、ほら、と大きな声を上げた。


「すぐこうやって脅す人なんだよ、カリヤは。二人とも、怪しいと思うでしょ!」

「お前……ッ、ふっざけんなよ! 脅してなんかねーよ!」

「ツクヨミさん、梯子外しされたクルミさんを殺されたくないから組織票に参加したんでしょ。だったら、分かるんじゃない?」

「……マキちゃん……」


 リリカが揺れた目でこちらを見てくる。嗚呼、やめてくれ、私のことをまるで信じるみたいな。私は裏切り者だというのに。

 そんな卑怯で最低な裏切り者にできることはただ一つしか無かった。


「──カリヤ。今日はあんたに投票する」

「ツクヨミ……ッ!」

「分かるでしょ、ヒイラギ君もリリカもあんたのことを疑ってる。ヒイラギ君の説得の勝ち。これが、組織票なんて、独裁なんてことを考えた代償だよ」

「お前ら全員おかしいよ! もっと冷静になれ! ヒイラギに騙されてんだよ、お前らは──」

『話し合いは終わったかな? って、面白いことになってるね! じゃあ、投票いってみよう!』


 画面が投票画面に移り変わる。私が押すのは、カリヤだ。ここでヒイラギ君かリリカを選んでいれば、同数投票にはできたかもしれない。そしてカリヤはきっと、話を聞けば私が正気の選択をしてくれると信じているはずだ。

 だが、その努力は虚しく散る。だってこの中で一番狂っているのは、私なんだから。

 席に戻ったカリヤは、がくり、と肩を落とした。そしてスマートフォンを握り締め、小声で、死にたくない、と繰り返している。嗚呼、独裁政治の終わりなんてこんなものだ。信じていた側近に裏切られ、その首を刈られる。過度な恐怖政治は国民の不満を高める一方だ。その有り様は、可哀想にも見えた。

 カリヤに罪は無い。あるとしたら、この場を支配しようとしたことだ。

 投票終了の合図が聞こえてくる。ヨルの声のトーンが高い、機嫌が良さそうだ。ヨルもこの状況を愉しんでいるのだろうか。


『投票終了! ということで、今回最多票を獲得したのは──カリヤマサユキ、キミだよ!』


 カリヤの頬に一筋の涙が流れる。それが地面へと落ちたそのとき、何かに撃たれたように体を揺らしてカリヤは地面へと倒れ伏した。

 ヒイラギ君がゆっくりとその死体に歩み寄る。スマートフォンを摘み上げると──チッ、と舌打ちをした。


「……んだよ、違うのかよ……」


 私は確かにその小声を聞き取った。ぞくり、息が詰まる。ヒイラギ君は一瞬真顔になったけれど、すぐに困ったような笑顔に戻った。


「……『残念! 裏切り者ではありませんでした!』だって。カリヤ、裏切り者じゃなかったんだ」


 リリカは何も言わず、藍色の暗い面持ちで、掠れた声を出した。


「……もう止めようよ、こんなの……」

「クルミさん、キミの気持ちは分かるけど……あと一日、頑張るしか無いね」


 あと一日生き延びれば、私の戦いは終わる。でも、リリカを殺すことになる前に、なんとかしなくてはならない。なんとかできるのか、分からないけれど。


──マキはヨルに会いたいと思ってたんだけどなー。だってワタシ、マキから生まれたんだよ?


 カリヤの惨めな死体に背を向け、私たちはただ黙り込んでいた。

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