五日目

五日目:アイハラハヤトの「ヨル」

 外の景色を眺めながら再び回想する。

 二年生に上がった頃、私がまだ一人だった頃のことだ。友達とはクラスが離れてしまい、新しいグループ作りにも乗っかることができなくて、私は一人で本を読んでいた。別に一人でいることにストレスは無いけれど、何かと見た目で損をすることが多い。あの子は友達を作れなかったのだ、などと見られてしまえば、哀れを止めるどころか周りから浮いてしまう。

 そんな私に話しかけてきたのが、リリカだった。


──マキちゃんって、いつも何読んでるの?


 きらんと輝く瞳、悪意無き笑顔。私はそれを最初、眩しくて鬱陶しいものだと思った。私に話しかけてくるなんて変わり者だな、と思いつつ答えた。


──江戸川乱歩だよ。

──えどがわ、らんぽ? あ、歴史の授業でやったね。どんな小説を書くの?

──まぁ、ミステリーかな。


 私の話にも耳を傾けてくれて、聴いているだけで楽しいといった様子だった。最初こそ、生徒会にも入っていて、運動部に入っているような陽キャが何の用だろう、と訝しんでいたけれど、そんな会話が毎日続くうちに、私も心を許して良いかな、という気になった。

 そうしているうちに、彼女の幼なじみであるウヅキとも話すようになった。こっちはリリカとは反対に根暗でさばさばしていた。リリカの天然ボケに鋭く返す様はまるで漫才のようで、見ていてさほど退屈しなかった。

 ウヅキは私のことを幼なじみが友達と呼んでいる人だという程度にしか考えていなかっただろうし、私も結局はリリカ越しにしか彼女とは仲良くできなかった。でも、それなりに楽しい時間を過ごせていたつもりだ。

 リリカはそういう意味でも特別な友人だった。きらきらしているけど、どこか抜けている。優等生なのにそれに驕ることは無い。私のことを奇異な目で見たりはしない。人と関わるのが面倒で、ちょっと真面目で、その裏で娯楽を求めている本性があるのを、笑ったりはしない。


──マキちゃんっていっつも怖い本読んでるよね。

──まぁね。怖いのが好きだから。

──わぁ。私は怖いの苦手だから読めないけど、きっと面白いんだろうね!


 そんな会話をしたな、と、頭を過った。その時の彼女の笑顔は、煌めく一等星のようだった。

 そうしていると、電車が目的地に着く。鉄の棺桶から、人がわっと出ていく。皆死んだ顔をしている。私たち高校生であれど、つまらない顔をしてしまいそうなのをなんとか隠しているだけだ。

 嗚呼、つまらない、もっと刺激が欲しい──デスゲームが始まる前は、ずっとそう思って過ごしていたことを思い出した。

 当たり前のように登校して、当たり前のように授業を受けて、そんな中に一つ咲いていた、莉々華リリカという花。それですらも枯れてしまいそうになっている。私はそれを守るために、多少頑張らなくてはならないようだ。

 教室に辿り着いても、始業のチャイムが鳴っても、リリカの姿は無い。今日は休むことにしたのだろうか。精神的に不安定になるのも当然だ、昨日あれだけ脅されたのだから。だとしたら、昼の間は一人ぼっちで作戦会議をしよう。それまでは、普通を守っていよう。

 今日もペンを取る。私が一人戦っていることを、このつまらない生徒たちは誰も知らない。



 お昼の時間になった。素早く昼ご飯を食べて、一人文芸部に向かう。きっと何か手がかりがあるだろう、そう信じて。

 だって、ヨザクラ先輩のことを「夜」という名前が入ったペンネームだから疑うような、雑で浅い思考しかしないのだから。適当にでっち上げれば、それを信じてくれるだろう。

 文芸部の冊子のバックナンバーを流し読みする。ウヅキとリリカ、ヨザクラ先輩のイラスト、カリヤのライトノベルじみた短編、ヒイラギ君の短編がある。マナミ先輩は本当の幽霊部員だったから、ほとんど作品を提出していなかった。そして続くのが、あまりにも重厚な私たち三人の小説。ミカン先輩のちょっと奇妙で爽やかな物語、ハヤトの綺麗で脆く不安定な物語、そして私自身の物語。これについて語るのも、いや、語ったことも、もう無くなってしまった。

 少し感傷に浸っていたそのとき、まるで物語が私を見つけたみたいに、私はある言葉を見つけた。そう、私が見つけに行ったのではなく、物語が私を見つけてくれたくらいに唐突だった。

 「ヨル」の文字が書かれている、その物語。背の高い、モノクルをした青年。無数の本の中、インクの匂いが立ち込める中、彼は真ん中のテーブルでコーヒーを飲んでいる。そんな彼の元に、コツコツ、足音が寄ってくる。飲みかけのコーヒーから顔を上げ、黒い目で私のほうを見つめる──

 この物語の作者は、相原アイハラ隼人ハヤト、その人だった。

 どうして忘れていたんだろう。そういえば、ハヤトはこの「ヨル」というキャラクターが出てくる物語をよく書いていたじゃないか。


「見つけた……」


 私は思わず、そう呟いていた。

 私たちの前に現れた「ヨル」とは似ても似つかないけれど、これはカリヤを揺るがす大きな一手になるはずだ。カリヤは部誌を読むのが浅かったらしい。きっと普段だって私たちの物語を真面目に読みやしなかったのだろう。

 この部誌を片手に、私は教室を出ようとする。すると、どすん、誰かとぶつかってしまった。尻もちをつく私がその姿を見上げれば、そこには赤い瞳があった。白い髪に赤い瞳──ハヤトだ。


「あれ? マキもここに来てたの?」

「……ハヤト……!」

「もしかして部誌を読んでたの? ってことは……気がついちゃった?」


 スカートを叩いて立ち上がれば、ハヤトは目を細め、にやりと笑っていた。

 彼を振り切ろうとして、ハヤトに腕を引かれる。細い腕だとはいえ、女子の私には敵わない力だった。


「離して」

「いいんだ、オレも聞きたいことがあったからさ。っていうか、物語を読み合う仲じゃん、ちょっと話そうよ」

「話すことなんて無い!」

「──あの赤い髪飾り、今マキが持ってるんだよね?」


 びくっ、と心臓が跳ねた。掴まれた先から、彼の冷たさが伝わってきて広がっていく。

 まさか、気づかれていた? だとしたら、どうして昨日言わなかった? 私がそんなことを言おうとしていると、ハヤトが先に口を出した。


「あの髪飾り、マキのだよね? ああいう和柄のアクセサリーが好きなの、知ってるよ」

「……分かった。私のことを脅したいんでしょ?」

「脅すなんて、そんな悪いことしないよ。それにオレ、そのことを言うつもりは無いし」


 ハヤトが手を離す。ぶらん、と投げ出された腕が振り子のように揺れる。

 一歩、二歩と後退りすれば、彼はへらっと笑って手を胸の前で振った、何もしないよ、と言いたげに。


「でもさ、一つだけ確認させてほしいんだ。それくらい良いよね?」

「……何?」

「裏切り者ってさ、キミだよね、マキ?」


 ぎろり、とハヤトを睨みつけた。それが私にできる精一杯の抵抗だった。けれど、意味など無いのだろう。ハヤトは顔色一つ変えない。

 ここで、はいそうです、と言ってしまえばおしまいだ。だが、彼はすでに勘づいている、私が髪飾りを回収し、これ以上話題に上げまいとしたことを。

 確かにあの髪飾りは私の物だ。だから隠した。あそこでカリヤがいなかったのは幸運と言って良いだろう、彼だったら絶対に話題として取り上げただろうから。でも、言い訳を言うならば、私はあんなところに自分の髪飾りを置いた覚えは無い。


「大丈夫大丈夫、本当に言うつもり無いからさ。言って良いよ、『ヨル』のこと」

「何それ、見返りが無いじゃん。自分のこと晒して殺してくださいって言ってるようなものじゃん」

「うーん、まぁ、そうかもね。でも──そっちのほうが面白くなりそうじゃない?」

「はぁ?」


 私が目を見開いたところで、予鈴が鳴る。そろそろ行かなきゃ、とハヤトは言って、私に手を振って歩き出した。あっさり去ってしまったのだ。逃げようとしていたはずの私のほうが取り残される。

 スカートの裾を握り締める。何が何でも、ハヤトが何かを言うより前にヨルの話をしなくてはならない。そうでなくては、私が殺される。でも、私が話してカリヤがハヤトの情報より私の情報を重視するだろうか──

 ふと、そこで思い至る。いや、私が話すべきではない。部室に戻り、部誌をこれ見よがしに置いておく。

 これを手に取るのは、カリヤでないと。カリヤが気づけば良いのだ。そして我が物顔で話してくれれば良い。そちらのほうがより私に有利だ。

 期待を胸に、教室へと戻る。人を利用して別の人を殺そうだなんて、まるで殺人教唆だ。だが、不思議と心臓はドクドクと踊っていた。

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