第7歳 -6月- (1)

「────でね、生活の授業で家にあるアルバムを見せてもらうことになったんだけど、アルちゃんの自画像が載ってたんだー」

「どんなのだったの?」

「馬の上で九頭身で勇ましいポーズを取ってたの、顔だけはそのままだから面白かったー!」

「ボクも見たかったなー」


 両親が在吾を絵師に描かせたモノだろう。その絵は余りにも美化されており、脚手達にはお口に合わなかったらしい。

 さて、ここはいつもの帰り道。躊破達にとってはなんとはない日常である。しかし、今日は非日常が混ざっているようだ。


「ねー、あそこに人がいっぱいいるよー、行ってみよー!」

「あ、ちょっと待って!」


 好奇心旺盛な躊破は脚手の腕を引っ張って人混みの中を突き進む。恐れる物を知らない、躊躇を破棄しているようだ。

 人混みの中に七歳児が二人。周りには彼等より大きな人がウヨウヨといる。

 小さな握力ではその流れに逆らうことができなかった。躊破は脚手と離れ離れになってしまった。


 

「あれ?キャッチー?キャッチー!」


 脚手とはぐれた躊破は脚手のあだ名を叫ぶ。が、届かず。脚手からの返事はこなかった。


「迷子になったら……えーっと…………」


 躊破は主人公の如しトラブルメーカーだ。迷子になるのだって慣れっこである。だからこそ、トラブルを起こした時の対処法を耳にタコができるほど花美露に教えられてきたのだ。


「迷子になったら────動かない!」


 どうやら、花美露の魂の教えは躊破に届いたようだ。躊破は人混みの先にあったマンション群の一つに入る。なぜかエントランスが開いていたそのマンションの中は台風の目のようにいでいた。


 ◆


「おい!俺に近づくなよ!近づいたらこうだからな!」


 そう言って飛び降りるポーズを取る男性。その様はまさにデンジャラスだ。そう!彼の名前は危険デンジャラス赤マムシ。俳優兼コメンテーターであるポイズンかめむしの一人息子。知名度はそこそこにあるが、親の人気を超える為日々精進中である。

 そんな彼は今観衆に取り囲まれていた。


「……人が一人飛び降りようとしてるだけじゃないか……!何が悪いんだよ…………ほっといてくれよ」


 危険デンジャラス赤マムシは小さくぼやく。誰にも聞こえないように発したこの言葉は、心が籠り存外大きな声となる。その声は手が届きそうな位置にいる警察の交渉役にも聞こえてたようで。


 

「みんな、君が笑かしてくれることを心待ちにしてるんだ、だから早まっちゃダメだ」

「五月蝿い!俺のことを目障りだと思ってる奴ばっかだ!親の高名で蜜を吸うだけとしか思ってない。誰も俺のことなんか見ていないんだ」

「‘むし親子のお散歩日和’や‘でんぽい’等のテレビ番組は人気だよ」

「それは実のと笑顔で楽しむポイズンかめむしが人気なだけだッ!俺のことを見てる奴なんていない!」


 交渉員の言葉は届かない。それだけではなく理想とは真逆のベクトルに動き出す。更に身を乗り出す男性。その様はまさにデンジャラスだ。


「分かった、一人にさせてくれ」

「周りを見てみ────」

「一人にさせろ!」


 癇癪を起こした子供な態度を目撃した交渉員は諦めて引き下がる。そして、包囲している警察官も下げさせる。


「有名人だかけど時間奪うなよ」


 警察官の一人が言った。


 


 始まりは何気ないいつもの言葉だった。華々しい仕事の自分と一般的な生活の自分とのギャップ。別人な二人なはずなのに向けられる批判は両方に襲いかかる。

 

 

 屋上に一人残った危険デンジャラス赤マムシ。身体は熱いが頭は冷静に現状を分析していた。

 

 時間はちょっとさかのぼり平日の昼間。いつものように悪夢を見た男性。殺される夢でも見たのだろうか。暴れた形跡がベッドの上に残っている。重い足取りで洗面台に向かう。顔を洗い、眼鏡をかける。そのまま歯を磨く。豪華な装飾の施された洗面台の鏡から覗く目は覇気がない。廊下を歩けば右手には腕時計のショーケース。左手にはジュアンミロの絵画が飾られている。

 無気力に居間に行き、寝転がる。テレビをつけるわけでもなく、無音の世界の中天井を眺める。絢爛な照明を手にしようと腕を上げる。されど掴めない。

 

 ここまではいつもの流れだった。次に男性は興が乗りエゴサをした。生産性の無いことだと分かっていても怖いものみたさである。そして数分後、案の定男性は後悔していた。自分では無い誰かに向けられたナイフは何故か自分に刺さる。心の内から溢れ出る憤怒。それは破壊衝動へと変わり、舌端に火が上がり、言葉となった。「死にたいや」


 自殺を堰き止める最大の要因は恐怖である。死んだ先の未知や痛み苦しみを経験し、生きた意味を見つけられないまま途上の道で途絶えることに恐怖を覚える。だからこそ、人々は“英雄的死”を望む。その時に体は動くのかの議論は置いておいて、生きていた意味を見出せる故の妄想である。人一人助けるためのこの命だったと、ある種罪のなすり合いだ。


 いつの間にか来ていた屋上で黄昏る。高さ30階からの景色はいつ見ても綺麗である。飛び降りても即死。いいじゃないか。だがしかし、足は鉄の重りを付けられたかの様に動かない。


 彼は本当に自殺することはできなかっただろう。だが、それは周りの影響で塗り変わる。人に迷惑かけるよりも自分の死を選ぶだろう。自殺志願者は自分の命の優先度は高くないのだ。

 数分後、警察が到着する。そしてそれと同時にも到着した。いや、してしまった。


 警察は誰かが通報したのだろう。死にたいと口にしたし、現に出入り禁止とされてる屋上にいる。通報されても文句は言えない。


 記者を見て人はたかる。忌々しい同調を持って寄ってくる。レンズの先にあるのはただのイジメだ。普通の人をサンドバッグにしたてあげ憂さ晴らしでリンチする陰惨な現場だ。

 


 僕だって普通の人だ。普通の人なんだ。皆んなのように酒は飲むし、可愛い女がいたらつい目で追ってしまう普通の人なんだ。アイドルの和訳が偶像とはよく言ったものだ。テレビの先にあるものを羨んで妬んで距離を置いて考える。アイドルだってクソをする。僕だって、同僚と飲みに行って愚痴ったりする。


 僕だって、陰口を言われたら傷付く。


 人が集まり、交通規制もされて、何も知らない人にさえ迷惑をかける。死ぬこともできない不肖ふしょう者である。けど、今ならもう今後迷惑をかけずにいられそうだった。

 


「ここはどこ?」


 誰かが声をかけてきた。それにしても白々しい。マンションの屋上にたまたま迷い込む奴なんているか。どうせ警察の差金だろう。


「分かってんだろ、ここは俺の墓場だ」

「???」


 異常に幼いその声は悪意や真意を持っていないような雰囲気だ。純粋に心の底から今の自分の発言を疑問に思っているのだろう。キザな発言をした自分が恥ずかしくなり、弁明する。


「ここから、飛び降りるってことだ」

「それって楽しいの?」

「え?」

「やりたいことなのに好きじゃないの?」


 詰問されて面食らう。自分を殺すことは楽しいことなのだろうか?好きなことなのだろうか?望んでいるのぞんでいることなんだろうか?


「大人は嫌なことだってしなきゃいけないんだよ」

「なんで?」

「生きる為のお金を稼ぐには嫌な事だってしなくちゃいけないんだよ」


 あー、これだから餓鬼は嫌いなんだ。どうでも良いようなことを聞き返してくる。駄々っ子みたいに食い下がる相手と会話するのは骨が折れる。


「じゃあ、早く飛び降りようよ」


 相手は無邪気な声で言う。これも純粋にそう考えているようだ。嫌なことは早く済ませるの精神だろう。

 思わず振り返るとそこには一人の子供がいた。子供は真っ直ぐ自分の目だけを見ていた。


「じゃあ、飛び降りよう?」


 聞こえなかったのだろうと勘違いして再度繰り返してくる。その通りだ。別に一歩を踏み出すのなんていつでもいい。


「確かにな……」


 声をどうにか絞り出しながら、下を覗き込む。皆んながカメラを構える。だからって下に見えるコンクリートの恐怖は変わらなかった。

 そっか。自殺の恐怖から、現実の恐怖から逃げようとしてたんだ。現実の恐怖からの逃避が自殺とするのなら自殺の恐怖からの逃避が生存。その二つが相反して、この場に留まっているのだ。


「逃げることが好きなら逃げたらいいんだよ」

「え?」

「ボクも逃げてきたよ?じゃあ、一緒に逃げよーよ!楽しいよ!」


 そういって目の前の男の子は柵に乗り上げる。人の群れはスマホを彼に向ける。ちらほらざわめきが広がっている。けど、この男の子は何一つ目に入っていないように笑顔だった。


「何をしている!?」


 後ろから先程の交渉員が入ってきた。


「うわ、来ちゃった。ほら!」


 そう言ってこちらに手を伸ばす。それに呼応して握りかえ────せなかった。目の前の男の子はそのまま飛び降りた。その顔は笑顔だ。


 慌てて男性も飛び降りる。その様はまさにデンジャラスだ。決して“英雄的死”を求めての行動ではない。希望を求めて恐怖に突っ込むのだ。この子は死なせたくないと思った。ただそれしか頭に残っていなかった。


 どうにか追いついた男性は躊破の頭を守る。自分がどうなるかなど考えていない。

 衝突まであと二秒前。


























 柔らかい衝撃が二人を包む。男性は思わず笑みが溢れる。

 視界にはこんな状況さえ楽しんでいる男の子が満面の笑顔で笑いかけているからだ。


「楽しかったでしょ!」

「フッ」


 憑き物が取れたような笑顔を見せ返す男性。その様は人を虜にさせそうな、まさにデンジャラスだ。

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