第7歳 -1月- (2)

 試験の翌日、1月3日。和恵果樹園附属學園の第一次選考の合否結果が通達される日である。

 合否の結果は学校側から家へ直接電話が掛かる。それは合格の場合も不合格の場合も掛かってくるため、電話口で学校側から結果を伝えられるまでわからないものだった。


 時計の針の音だけが響く龍凰院家。暁美も千疾も椅子に腰掛け、静かに躊破の合格を祈る。当の本人は花美露と死体ごっこという、どちらが長く死体になってられるかを競っていた。


 その静かな空間にいきなり着信が鳴った。受話器を手元に置いていた暁美はワンコールで出た。

「はい、龍凰院です」

 はい、はいと暁美の返事だけがその空間に響いた。千疾が合格、不合格どっちなんだと目線を暁美に送るが、暁美は電話に夢中だった。

「はい。ありがとうございます。失礼します」

 そう言って受話器を起いた暁美は千疾の方を見た。

「ど、どっちなんだ?」

 千疾が恐る恐る暁美に聞く。

「今日の夕飯はお寿司よ」

「それは…よかった…!」

 千疾が涙とよだれを拭う。

「躊破ーーー!合格よーーーー!」

 暁美は椅子から立ち上がり死体ごっこ中の躊破の元へ駆け寄る。千疾はテーブルに顔を伏せ、泣きじゃくっている。

「躊破!流石よ!よくやったわー!」

 死体ごっこで負けたくない躊破は微動だにしない。

「何してるのよ!あなたの合格よ!喜びなさい!」

 躊破を起き上がらせようと揺さぶるが躊破は頑なに動かなかった。

「躊破ー!よぐやっでぐれだー!自慢のむずごだあー!」

 千疾は子供のようにわんわん泣く。

 一応補足しておくがまだ第一次選考が突破しただけである。



「え?かーくん落ちちゃったの?」

「うん……。はぁ、いったい、一体どこに問題が…」

 公園で集合して結果を報告したところ蚊火加以外が第一次選考を突破していた。

「でも次はくじ引きだから何がどうなるかわかんないね」

「そうだねー」

 第一次選考突破に喜んでいたのは躊破の両親だけで、躊破を含めた仲良しグループ、またその親たちはまだ不安の中にいた。

 第二次選考は合格発表日の翌日に早くも行われた。くじ引き会場である体育館に受験生とその親が集まり、ステージ上でくじ引きが全員の前で行われる。くじ引きのやり方は至ってシンプルで、商店街の景品コーナーでよく見かける回転式抽選器、通称ガラガラの巨大版が使われる。中には名前が貼られたカラーボールが入っており、ガラガラで出てきたカラーボールに自分の名前が貼られてあれば第二次選考突破、つまり正式に合格となるのだ。學園側としてはイベント感があり盛り上がると思ってそのやり方を採用しているが、保護者としてはたまったもんじゃない話である。今回第一次選考を突破したのは約100名。それに対し定員は70名となっており、約30名が落とされる概算となっている。


「それでは早速回していきましょう!」

 運営係と思われるスーツを着た人がゆっくりとガラガラを回し始めた。

 コロンと沈黙の体育館にひとつのカラーボールが現れる。

「まず1人目は──」

 マイクを持った人がカラーボールを拾い上げ、名前を確認する。その様子は後ろの巨大スクリーンに映し出されており、受験生側も同タイミングで確認できる。

 

「龍凰院躊破くん!おめでとうございます!」


「キャー!おめでとう!」

「さすがちゅーくん!」

 躊破の周りにいた幼馴染が温かい言葉を送る。

「躊破!よかった!流石だ!」

「すごいわ!なんて強運なの!」

 両親も声をあげて安堵した。

 躊破自身も合格を実感し、ひと息ついた。


「それでは2人目!──佐藤さとう勇太ゆうたくん!」

「3人目!──坂本さかもとかおるさん!」

 2人目、3人目と次々呼ばれていくに連れ、躊破の周りにいた幼馴染の不安も強くなっていった。


「54人目!──肩肘脚手さん!」

 いきなり名前を呼ばれ脚手はハッとする。そしておめでとうと両脇にいた親に抱かれ、周りの躊破達からも拍手で祝ってもらい、脚手も不安から解き放たれ、親の腕の中で泣いて喜んだ。

 

「よし!私たちも続くわよ!」

「そうだね!きっと大丈夫だ!」

 羅利琉と在吾は脚手の合格に奮起され、自分の名前を呼ばれるのをじっと待った。



 ──が、68番目が終わっても名前は呼ばれなかった。


「あと、二人…」

 羅利琉も在吾も不安でいっぱいだった。

「大丈夫よ…。羅利琉、大丈夫…」

 ぎゅっと娘の手を握り、娘と、そして母である自分を安心させるように「大丈夫」と繰り返した。


 在吾の母、在和も在吾の合格を手を合わせて祈っていた。


「69人目!──学愛まなまな真奈まなさん!」


 羅利琉、在吾、どちらか一方の落選がここで決定した。

 それをここにいる幼馴染とその親達は理解した。そして誰も口を開かず、じっと70人目が呼ばれるのを待った。



 その時だった。プツンとブレーカーが落ちたように点いていた電気が消えた。体育館はこの入学式の情報漏洩を防ぐため、カーテンを締め切っていたのもあって真っ暗になった。

 しんと静まり返っていた体育館は徐々にざわつき始める。この短時間で様々な感情が渦巻いていたのもあって泣き始める子も現れ始めた。この場が混沌カオスな場へ変貌しつつあった。

 これ以上停電時間が長くなれば更に悪化すると思われた頃、電気が復旧した。


「すいません!お騒がせしました!ブレーカーが落ちたようで…。ですがもう復旧作業が完了致しましたので安心して下さい!」

 教頭がマイクを使ってその場を宥める。子供たちが落ち着くまでまた数分かかった。


「それでは、気を取り直して最後の一人を抽選したいと思います!」

 落ち着いてきたと判断した教頭は進行を進め、係員に合図を送る。係はこれまでと同じようにゆっくりとガラガラを回した。

 コロンと一個のカラーボールが出た。その瞬間まだ若干騒々しかった体育館もしんと静まり返った。係が出てきたカラーボールを拾い上げる。

「最後の70人目は──金並在吾くん!おめでとうございます!」

 後ろのスクリーンにも在吾の名前が貼られたカラーボールが映し出されていた。

 在吾は目を見開きそのスクリーンをまじまじと見てガッツポーズをして喜んだ。在和も思わず在吾に抱きつく。

 在吾は躊破達と喜びを共有しようと後ろを振り返るが、そこで在吾はハッとする。羅利琉は落ちたということに。しかし、羅利琉は在吾が思っていたより平気そうだった。

「アルくんおめでとー!私落ちちゃったー。この前友達に嘘ついたことがここでバチが当たったみたい。やっぱ嘘はダメだね!」

 羅利琉はニシシと笑った。


 第二次選考はこうして幕を閉じた。合格者はその後入学説明会の為、別の教室へと移動となった。羅利琉一家は体育館を出たらそのまま校門へと向かった。そして校門を出た羅利琉は今まで抑えていた涙をボロボロ流した。

「よく我慢したね。偉いよ、偉いよ羅利琉」

 羅利琉の母は腰を下ろし、羅利琉を抱き締めた。母だからわかる、この子が初めてついた嘘。友達に嘘をつくような子ではない。けど、あの時はきっとそう言うしかなかったのだろう。人を思いやれる優しい子、自慢の娘だと母は思い直した。



 その晩、料亭『鶴羽華つるっぱげ』では、ある二人が会合していた。


「すいません、遅くなりました」

 女将が開けた襖から頭を下げながら入室したのは和恵果樹園附属學園の校長だった。

「なに、構いませんよ。そちらも受験の後始末で忙しかったのでしょう。先生達と打ち上げとか本当はあったんじゃないですか?」

 校長を労いながらどうぞと座るように促したのは在吾の父、在我だった。

「いいんですいいんです。金並さんと交わす酒の方が上手いに決まってますから。そちらこそ息子さんの合格、祝わなくてよかっんですか?」

 おしぼりで手を拭きながら、女将が在我のさかずきに注ぐ酒を見ながら在我に返答する。

「そうですね。でも家はそれが普通なんですよ。私が忙しくてね、もう何年も3人で飯など食べてませんから。在吾の記憶では私とご飯を食べた記憶は一切ないでしょうね」

「またまたそんなことを」

 そう言いながら杯を持ち、女将に自分の酒を注いでもらう。

「とりあえず今日はありがとうございました。妻が、在吾が合格したと嬉しそうに伝えてくれましたよ」

「おや、奥さんは知らなかったんですか」

「これは二人だけの密約です。妻にも言うはずがありません」

「そうですな。では改めて、息子さんの合格おめでとうございます」

「ありがとうございます」

 二人は杯を合わせた後、ぐいっとひと呑みした。



 受験会場で起きた停電。それは学校側が故意にしたものであった。場が騒々しくなっている間にガラガラの中のカラーボールを全て取り出し、"ガラガラ"の音を前と同じくらいにする為、取り出した数と同程度の「金並在吾」の名前が貼られたカラーボールを投入。こうして70人目に確実に在吾が選ばれるガラガラが完成した。69人目までのガラガラにももちろん在吾のカラーボールは入っていたが、それが複数回出てくるようなことはあってはいけない為、一個しか入っていなかった。そして不運にも69人目までに在吾のカラーボールは出てこなかった。だから学校側はその策を実行したのだった。


 乾杯後も二人は美味しい酒を交わしながら談笑した。


「いやー、本当に成功してくれてよかったです」

「そりゃ、失敗なんか、れきませんよ。失敗なんかしたら、どうなってたことやら!」

 校長はもうすっかりできあがっていた。在我からお礼にと多額の現金が入った箱を渡されたのもあり、余計ご機嫌だった。

「そうですね、こちら、見てみますか?」

 在我がそう言い、一冊の雑誌を机の上に置いた。

「何れすかこれは」

「それは週刊誌『甲乙社会』。ご存知ありませんか?」

「あー!もつろん知ってますとも!芸能スクープとか、汚職暴露とか、とにかくびっくり仰天ネタてんこ盛りの雑誌れすよね!」

「はい、そうです。ご存知頂き光栄です。この雑誌は金並グループと深い関わりのある【黒厭社こくえんしゃ】が出版している雑誌でしてね、今お手元にあるのは来週分です」

「はぁー!これはどうも!……ん?なんか、表紙にうちの学校名書いてない?」

「『和恵果樹園附属學園、学校側が自らの失態を隠蔽』ってやつですかな?」

「はぁー?へー?」

 酔った校長は頭が回らない。

「この前の烏田君の件のことです。問題文が白紙だったことをどこにも公表せず、隠蔽し、そして、不合格処理した。全て、そこに書かれてます」

「…は!?これは!どういうことだね!?」

 ページをパラパラめくり、自分の学校のことが書かれている記事を見つける。在我が言っている通り、全て書かれていた。校長のイニシャルまでだ。

「安心して下さい。それはもう世の中には出ません。私の息子を合格にしてくれたのですから、違う記事に差し替えておきましたよ」

「あ、在吾君を合格にしなかったら、こ、この記事が世の中に出回っていたのか…」

 ブルブルと震える手を必死に抑えながら雑誌を閉じ、机の上に戻す。

「まぁ、そういうことです。おや、酔いが醒めてしまわれましたかな?もう一度乾杯といっときましょうか」

 在我が先程の機嫌の良さが嘘のように唖然としている校長の杯に酒を注いでやる。

「いや、もう、乾杯したじゃないですか」

 校長はもうこの男と関わりたくないと思った。乾杯する行為さえも怖かった。

「何度したっていいじゃないですか」

 在我が自分の杯に酒を注ぎながら言う。

「は、はは、そうですね」

 在我が注ぎ終えた杯を持ち上げる。校長も震える手でなんとか杯を持ち上げた。

「では改めて、私達の良好・・な関係に乾杯」

 思うように動けない校長の持つ杯に在我は手を伸ばして杯を持っていき、チンと杯を合わせてから、ぐいっとひと呑みした。

 校長は関わってはいけない人と関わってしまったと後悔した。しかし思い返せば最初から拒否権などなかった。主導権はこれまでずっと、この男、金並在我が握っていた。そしてこれからもずっと握られるのだろうと自分が写った杯の酒を見ながら悟った。

「さぁ、遠慮せず呑んで下さい。やっぱりここのお酒は最高ですよ」

 在我に声を掛けられ我に戻った校長は手に持った杯をぐいっとひと呑みした。


 

 

 四月、躊破、脚手、在吾は和恵果樹園附属學園に入学した。蚊火加、羅利琉はそのまま不合格と処理され、地元の小学校に入学した。

 こうしてそれぞれの小学校生活が幕を開けたのであった──。

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