閑話 朝 真
1987年1月7日。日本がバブル経済に入りたての頃、貧しい夫婦の元に一人の男の子が誕生した。朝真である。外気と繋がった狭い室内に暖かい小さな命が誕生したのだ。
彼の両親はどちらも仏教徒であったが、二人が信仰していた宗派は他の人から見れば明らかに信仰心を利用した金儲けの為だけの宗派であった。つまり、仏教と名乗り、教えも仏教に基づいているものの、本質は全く違う宗教であったのだ。そして二人もまたその宗教で結婚したのであった。
その宗派では、信者が稼いだ金は全額その宗教の元へ送らなければならない。そして、大元が献金分を差し引いた額を信者の元へ返す仕組みがあった。だから信者の手元に残る金は生きるのがやっとの金額のみ。これは信者ほとんどにとっては教えに従った、いたって当たり前のことであり、苦とは一切感じていなかった。しかし、まれだが、この教えに疑問を持ち、抗おうとする者や脱会しようとする者が現れることがある。真の父、
真が3歳になり物心が付いてきた頃、宗教から一通の手紙が来た。赤い紙に文字が書かれたそれは赤紙と呼ばれいるのだが、それは子供を出家させろという命令のものであった。もちろん夕賀達二人もこの赤紙の元親から出家に出された経験を持っていた。とうとう自分の子にもそれをするのかと夕賀は思った。
これはこの宗教特有のもので3歳から6歳までの間その宗教に染め上げる為、洗脳教育を行うものだった。
「母さん、真を教祖様の元へ預けるのよさないか?」
夕賀は仕事が終わり、真も寝かせ、夫婦二人でくつろいでいる時に前から思っていたことを提案した。
「…なぜ?私たちもやったじゃない。あのお清めの3年間があったからこそ私たちの今がある。あれなしには真は成長しないし、これからの人生も不安定にさせてしまう。どうしてそんな提案するの?」
妻のまっすぐな瞳を見て夕賀は説得が不可能なことを悟った。夕賀は元々妻と同じ考えだった。そして同じくらい熱心な信徒であった。しかし、真が生まれ、夕賀は考えが変わったのだった。父として真を教育していくうちに真をもっと自由に生きさせてあげたいと思うようになった。これは真へ教育しているうちに自分達がどれだけ制限されているのかを思い知ったことからその思いが芽生えた。そしてそれは徐々に違和感を増大させる。夕賀は一人でこの宗教がおかしいのだと気づくに至ったのだった。しかしそれを周りは普通と捉えているため言い出せない状況が続いていた。
時期が過ぎ、夕賀の提案も受け入れてもらえないまま真は出家し、6歳になってまた帰ってきた。その時にはもう教えをスラスラと言え、毎日の儀式もこなせるようになっていた。母は喜んだが夕賀は毒されてしまった我が子を可哀想に思った。
また歳月が経ち、真が13歳になる少し前の1999年12月17日。朝家に事件が起きた。それは真が友達で集まって行う来週のクリスマスパーティーに参加したいと言い出したことから始まる。小学生の頃は友達も家族でクリスマスパーティーを行う家庭が多かったため真にそのような影響は無かった。しかし、中学生になり、友達との遊びが公園などではなく食事や買い物などと金銭の絡むものへと変化したことにより、クラスメイト皆でクリスマスパーティーをしようという企画が持ち上がり、真にも話が回ってきたのだった。自分の家が貧しいこと、遊ぶ為の金がないことを薄々理解していた真は今までそのような遊びを断っていた。けれどもそんな真でも今回のクリスマスパーティー企画は友達、クラスメイト全員参加することから是非とも参加したいイベントであった。
「お父さん、お母さん、僕クリスマスパーティー誘われてて、それに参加したいんだけど参加費がかかるんだけど…」
夕飯時、そう言いながら真は恐る恐る二人を見た。今までそのような我儘は言ったことがなかった。またそのような我儘は私欲に値し教えに反するものだった。断られることなど重々承知していたが、"もしかしたら"に賭けてみようと思ったのだ。
夕賀はその息子を見て全てを理解した。今まで我儘など言ってこなかった自分の息子がそんなことを言うというということはよっぽど参加したいのだろう。そして今まで我慢してきたのだろう、と。自分の配慮の至らなさも痛感した。家が貧しいのを幼いながらに理解し、真は金のかかる遊びは断ってきたのだろう。小遣い、お年玉などまったく渡してこなかった。真は持ち金はずっとゼロ円だった。もっと早く気づくべきだった。結局自分の息子を制限の内に閉じ込めてしまっているではないかと。
夕賀はすっと立ち上がりタンスの中から箱を取り出し、食卓の上にそれを置いた。
「行ってこい。この箱に3000円ある。全部お前の金だ。しっかり遊んでこい」
真は瞳を大きく見開き、父を見てありがとうと伝え箱を抱えようとした時、その箱が真の前から消えた。母が取り上げたのだった。
「どういうつもり?何よこのお金は。それにクリスマスパーティーなんか参加させるわけないじゃない!」
怒り狂う妻を夕賀は応戦する。
「これは俺が真の為に少しずつ貯めたお金だ。君の為でも、教祖様の為でも、神様仏様の為でもない!」
「あなた一体何を言ってるの?!教えに反してるわよ!」
「その教えが根本的に間違えているんだ!」
そう夕賀が怒鳴ると部屋は沈黙に包まれた。
「…背教者」
長い沈黙を破ったのは妻だった。ボソッとそれを口にして家を出て行った。
夕飯は夕賀が片付けた。卓上の箱には真も夕賀も触れなかった。
そして二人で静かに眠りについた。
ドタバタと激しい物音が聞こえ真は目が覚めた。起き上がり1歩歩くと湿っていた。思わず飛び上がった真はそのままバランスを崩して転倒。びちゃっと液体の上に尻もちを着いた。頭が混乱していると電気が点いた。電気の紐を引き電気を点けたのは母だった。そして液体の色は赤色。自分の元で倒れているのは父だった。真はまた視線を母に戻した。
母は膝をつき真に目線を合わせて言った。
「彼は貴方の父じゃない。ただの背教者。いい?教えを守ってこそ幸せになれるの。教えを破ったり、献金を怠るなんて許されない。わかってくれる?」
真は頷くことしかできなかった。
「クリスマスパーティーなんて行かないわよね?」
また真は頷いた。よろしい、じゃあ寝ましょうと言って母は布団に入って寝た。真は呆然としていた。
真は15歳になった。
真は父が殺された日以来、この宗教を一切信じてこなかった。
母が教え、教えと言いながら父を殺すという大罪、教えに反する行為をしたことが気になり、いつか世話になっている僧侶に尋ねたことがあった。僧侶は背教者を殺すことは罪では無いと答えた。また、母は家を出て行き、宗教側に全てを報告してわざわざ殺しの命令を貰いに行ったのだとも教えてもらった。
これは真が奇怪な宗教だと確信する大きな原因となった。
それからも教えを絶対としている母に真は育てられた。しかし、あの日以来扱いは酷いものだった。背教者の血が入っているからだ。
耐えられなくなった真は母を殺した。
動機は母の重圧的なものによるものなのか、宗教に毒される母を見ていられなかったからなのか、父の仇を取ろうとしたものなのか、はたまたそれら全てなのか。真は虚無の中母を解体し、処分した。
教義の中に生きる真はこう言った。お前は背信者だと。父と同じ背信者だと。愚かな父に育てられた愚息である。お前には生きる価値もないと。
家族の中に生きる真はこう言った。唯一残った家族も死んだのだと。
母の
もう戻れない母と同じモノに身を
真は仏教の禁忌、五逆の内のひとつ、殺母を犯したのだった。
親も身内も金の宛もない真はそうして闇に身を堕とした。
そして現在、2011年3月7日。神への不信感、揺らいだ信仰心を持っていた真は真の神は躊破であると見出し、躊破教を創設したのだった。
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