【悲報】安十郎、気付いてしまう

 現時点で日本は、田沼意次の改革が徐々に動き始めたというあたり。


 彼の改革の肝は、享保期の緊縮財政を引き継ぎつつ、米本位の農産による収入構造を改め、資本主義経済を導入しようとしたことだ。


 これまで年貢に頼るしかなかった税収を、様々な商品生産や流通に広く浅く課税して収入を増やす。そのために株仲間を奨励し、商家の安定的な運営によって経済の発展を促しながら、営業権のような名目で幕府に金を納めさせたほか、蝦夷地の開拓だったり、印旛沼の干拓によって農地を増やそうとしていたと記憶している。


 一方で汚職政治家みたいな言われ方もされて……というか現時点でそんな風評が聞こえてきたりしている。


 実際は賄賂なんて以前から横行している話。お願い事の成否は積んだ金の額次第なんてのは、この時代を生きていると小僧の俺ですら嫌でも分かる。田沼が政権を握ってから急に賄賂が増え始めたわけではない。


 おそらくは資本主義経済の推進や下位層からの人材登用など、これまでの常識とかけ離れた政策によって、自身の権益を侵されると危ぶんだ守旧派の妬み嫉みも少なからずあるのだろう。主導しているのが、六百石の旗本から今や二万五千石の大名にまで出世した男であるから尚のことかもしれない。


 新しいことを始めると弊害は必ず生まれる。資本主義が先行しすぎて社会保障が追い付かなければ、貧富の差は益々拡大することになるし、史実では本当にそうなったようだが、やろうとしていたことは概ね間違いではないと思う。


 ただ、時代が悪かったのだ。この後、農作物が軒並み不作になって……そう、天明の大飢饉が発生するんだ。その大きな要因が浅間山の噴火。実はフランス革命の遠因の一つとも言われてるんだよね。




 革命の原因は色々あったらしいけど、折からの凶作で民衆が食べるものに困ってというのも原因の一つ。食料を求めた民衆のデモに対して言った、マリー・アントワネットの「パンがなければお菓子を食べればいいじゃない」は有名だよな。


 実際は"お菓子"じゃなくて"ブリオッシュ"だったみたいだし、さらに言えば権力者の傲慢さを表すための作り話で、本人にとっては謂れの無い風評被害だったようだが、結局国王夫妻はヴェルサイユからパリまで引きずり回され、後にギロチンにかけられることになったわけだ。


 凶作の原因は火山の噴火によって空に舞った灰で、日の光が遮られたことによる日照不足。そんな世界規模で凶作になるような大噴火ってあるのか? と思ったが、その頃は世界の各地で火山の噴火が相次いで発生したらしい。その中の一つが浅間山なのだ。


「それで餓死者が大勢出て……」


 日本ではそれ以前から何年もの間、悪天候や冷害が続いていたらしい。今は宝暦期の飢饉からようやく脱したかに見えているが、実際はそこまで楽観的な状況ではなかったのだろう。そして火山の噴火がそれにトドメを刺すわけだ。


 そして各地の惨状が伝えられ始めると、田沼のやり方に反発する敵対勢力が一斉に噛み付いた。商いにばかり傾注し農業を疎かにしたせいだとして、全て田沼の責任だと攻撃したのだ。


「言いがかりも酷いもんだよな」


 天災は防ぎようがない。強いていうならここ数十年に何度も凶作を経験しておきながら、防災・備荒対策を疎かにした各地の領主の怠惰が原因であり、田沼がそこまで言われる筋合いは無いと思う。


 それでも後世、彼が悪く言われたのは、後に権力を握った者が自身たちを正当化したいがために悪者に仕立て上げたから。政権交代すると前政権を悪し様に言うのは昔から変わらんな。


「しかし……あと10年くらいで浅間山がドカンと……シャレにならんな」


 飢饉の対策はまだまだ研究段階のものが多く、すぐに動けるのは今のところ甘藷とジャガイモ、あとはアワやヒエといった昔からある穀物くらいだ。フランス革命が1789年で今が1771年だから、残り18年。いや、火山の噴火はそれより何年か前だろうから、実質あと10年くらいの間にどうにか……なるかなあ……


「俺の立場も田沼と似たものだし……」


 二代にわたる将軍の信頼を後ろ盾に政治を行う田沼と、宗武公の後ろ盾で色々と試すことが出来る俺。立場は違えど状況は似たようなものだ。


 西洋の新しい技術や考え方と称した俺の提言を受け入れてくれるのは、後ろに宗武公や治察様がいらっしゃるからであって、この先世間一般にその考えを広く流布しようとすれば、虎の威を借る……と思う者も出てくるのは想像に難くない。




「松平定信とかそういうの嫌いそうだもんな……あの人たしか朱子学以外認めなかったし」


 もう少しして蘭学が広まり始めると、いわゆる西洋知識に傾倒する者は蘭癖と言われ、守旧勢力からは忌み嫌われたと聞くし、定信なんかはその最たる者のイメージがある。


 俺なんか蘭書は訳すし、新しい食べ物は導入するし、外国と交流するのもそんなに問題ないと思うし、税収を増やすなら資本主義経済しかないでしょと思っているから、そんなこと知られたら真っ先に嫌われそうだわ。


「たしか陸奥白河の藩主だったよな」


 天明の飢饉で東北諸藩が大打撃を受ける中、その陣頭指揮のおかげで領内では餓死者をほとんど出さなかったとか。その功績を見込まれて老中に抜擢されたんだから、才能はあったんだろう。


 幕府建て直しのための政策、いわゆる寛政の改革があまりに厳しすぎて、『白河の清きに魚も棲みかねて〜』と民衆の評判は今ひとつだったみたいだけどね。”白河の”が治めていた土地にかけて定信のことを指しているんだよな。


「そして白河藩は久松松平家、つまりあの辰丸様の縁戚になるわけだ。嫌われる予感しかしない」


 もちろん辰丸様は養子だから定信と血のつながりは無いわけで、性格が似ているとは……あれ? なんか思い出しちゃったかも……











「もしかして……松平定信って、賢丸様のことじゃね?」


 灯台もと暗し。ずっと一緒にいて幼名で呼んでいたから気付かなかったが、よく考えたらそうだよ……


 松平定信は田安家から養子に入った人だ。治察様は既に跡継ぎと決まっているから、この先養子に行く可能性があるのは賢丸様しかいないじゃん。


 だけど……その後すぐに治察様が亡くなって、田安の跡を継ごうにも養子に入ってしまった自分にはその資格が無くて、一橋から養子が来て田安家は乗っ取られたんだ。だから養子縁組を持ち込んだ田沼を恨んで敵対した……みたいな話を聞いたことがある。


「マジか……」


 これは……もしかしなくても……俺と賢丸様って……水と油? だよな……


 なんか、顔を合わせるのが怖いな……

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