<第二章>実録!蘭学事始

本所の麒麟児、蘭書に挑む

――時は少し戻り、明和八年三月五日(1771年4月19日)



「長崎はいかがでございましたか」

「とても得る物が多い毎日でした。その分、仕事もせずに遊び歩いておると同僚には陰口を叩かれておったようですが」


 年が明け、前野良沢さんが江戸に戻ってきました。


 豊前中津藩主、奥平昌鹿公は蘭学に理解があり、そのおかげで長崎留学を果たせたようで、口ぶりから充実したものだったことが覗える。


「それで、本日の御用向きは」

「実は長崎でこれを手に入れまして」


 前野さんが見せてくれたのは、オランダ人から手に入れたという書籍だった。


 この時代、西洋では既に活版印刷が実用化されており、本の大量製本で一般市民層でも知識を得る機会が格段に増えた。ルネサンスの三大発明の一つであり、後の産業革命の礎になったわけだね。


 一方我が国では、未だ本は木板印刷。木の板に文字や絵を掘って、インクを付けて紙に写す、要は木版画である。


 漢字、ひらがな、カタカナと、西洋に比べて使う文字数が多すぎるし、草書で文字と文字がくっついている和文に活版印刷が不向きなのは分かるが、木版画では大量印刷は難しいし、版木が壊れたら一からやり直し。物によってはそこで絶版、後は写本するしかないということになってしまうので、本は非常に貴重で高価なものだった。だからこそ貸本屋なる商売が成立したわけでもある。


「これは……骨、人の絵でございましょうか」

「左様。人体を解剖した絵図と、その部位の解説書にございます」


 ああ……これは間違い無く、ターヘル・アナトミアってやつですね。歴史の教科書でしか見たことがないけど……へえ~、実物はこんな感じだったんだ。


「しかし、何故これを私に?」

「実はこの解読を始めることになりまして」

「なんと……」




 前野さんは昨日、千住にある小塚原刑場で罪人の腑分けを見聞したそうだ。


 そこに立ち会ったのは、前野さんのほかに杉田玄白・中川淳庵の両名。杉田さんも同じ本を持ってきたらしく、そこで本に描かれている図が、解剖された内臓の実物と見比べて寸分の互いもないことに感銘したようで、是非翻訳してみないかと提案を受けたそうだ。


「杉田殿は三人で翻訳を始めようと申しておったが、二人は全くオランダ語を解さないものですから少々不安で……」


 前野さん以外の二名はオランダ語を読めない。よくそれで翻訳しようと決意したものだと思うが、もしかしたら前野さんをアテにしていたのかもしれない。


 実際は前野さんも単語を少し知っていただけだから、苦難の連続だったようだが、聞く限りこの世界の彼の語学力は史実を遥かに超えているはず。簡単ではないだろうが、上手く行くのではないかと思う。


 蘭学事始に書かれた最初の場面だね。


「そこで徳山殿にも参加してもらえないかと」 

「私がですか? 私は医者では……」

「ご謙遜なさらず。その語学力、長崎の通詞も驚いておりました」




 長崎に留学した前野さんは、昆陽先生と同じように出島の通詞たちに教えを請い、話を聞くくらいならと会ってくれた通詞がその知識に驚いたとか。


 彼らは江戸にオランダ語を解す者などいないと思っていた。それがどうだろう、文章の解読こそ覚束ないが、平易な単語の意味だったり初歩の文法を前野さんが理解していることを知り、誰に教わったと聞かれ、昆陽先生、そして俺の教えのおかげだと言ったらしい。


「それが元服前の子供と聞き、さらに驚いておりましたよ」

「ですがそれは、私の功績ではございませんでしょう」

 

 俺もオランダ語が読めるわけではない。覚えていた英語やドイツ語の知識がヒントになればと、それとなく推論したフリをして、として披露しただけだ。前野さんの語学力が俺の知る歴史よりはるかに上をいっているのは、その後の彼個人の努力によるものだと思う。


「されど、その道筋を付けていただいたのは徳山殿の教えのおかげにござる」

「そこまでのことは……」

「昆陽先生亡き今、江戸で蘭学と申せば徳山殿以外になく、何卒お知恵をお借りしたい」

「……そこまで仰せならば、どれほどお役に立てるか分かりませんが」

「ありがたい! 早速明日より我が家にて翻訳を始めますゆえ」

「明日から!?」


 いや急でしょ。今日の明日からって……




「ほほう、蘭書を和訳するか」


 結局押しの強さに負けてしまい、その日のうちに田安邸へ向かい、顔を出す回数が減ることをお知らせすると、賢丸様が興味深そうに話を聞いてきた。


「もし和訳が成れば医術の向上に寄与することになりましょう」

「出来るのか」

「早くとも数年はかかります」

「それほどか」


 賢丸様も吉宗公が蘭語習得を命じたことは知っている。ただ、それが今どこまで進んでいるかは知らないから、年単位の時間がかかると聞いて驚いているようだ。


 実際解体新書も、三年とか四年くらい、もっと長かったか……とにかく数年かかったはずだし……


「医術自体が難しきものにて、難解な言葉も多くあると思われます。我が国の言葉で書かれた医術書ですら読み解くのに時間がかかるのですから、異国の言葉で書かれているとなると……」

「たしかに難しいな。まあ、そなたであれば上手く成し遂げそうな気もするが。何しろ今や江戸で一番の蘭学通だからな」

「そう簡単にはいきませんよ」

「なんだなんだ、本所の麒麟児と呼ばれる男が随分と弱気だな」




 本所の麒麟児。旗本の部屋住八男坊でありながら、昆陽先生に師事してその才を賞賛され、さらには田安公や堀田公の知遇を得て甘藷の栽培を認めさせた天才少年……と世間では俺のことをそう呼んでいるらしい。


 あれだ、未来でも期待される人にあだ名を付けることあるじゃん。〇〇の巨大怪獣ごじらとか〇〇の二刀流おおたにみたいに言うやつ。〇〇二世とか〇〇王子みたいな言い方もあるよね。


 他には婆州ばあすの再来……は若手じゃないからちょっと違うか。むしろアレは呪いの言葉だな……とにかく、そういうフレーズを付けるのが好きなのは今も昔も変わらないってことよ。


 言われる方はむず痒いんですけどな……

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