第21話 楽園崩壊への序曲 ~最高神に創造された天人種『完全な人間』~

 アニマは一人給仕室で新たに訪れた客人のために追加のお茶を用意し、再びティートロリーをカラカラと押して応接室へと戻ってきた。ちょうどその頃、ルキフェルは招集した楽園崩壊の真実を語るオフ会メンバー達との、事前打ち合わせを済ませたところだった。


 ルキフェルは戻ってきたアニマに気付くと、細工は流々と言った面持ちでにこやかにアニマを迎えた。彼女が念のために行った事前打ち合わせは、多少の認識の齟齬はあったものの、天使達がみなルキフェルに協力的である事も助け、情報共有及び相違点のすり合わせの成果は上々だったのだ。

「こっちはもう準備できているぞアニマ。」

 ルキフェルの言葉に、アニマはティーセットを並べてポットに湯通ししながら応えた。

「うん。私はお茶の準備をするけど、気にせず始めちゃっていいよ。すぐ済むから。」

 ルキフェルはこれに頷くと、テーブルに座った一同の顔をぐるりと見回してから、静かに語り始めた。

「それじゃあ始めるとしようか。これは、人間が楽園エデンから地上に降下する要因となった、原罪に関する物語だ。」

 ルキフェルにとって人間が楽園を追い落とされた事件は、特段気に掛けるほどの事ではなく、彼らの自業自得で勝手に落ちて行ったとしか考えていないのだが、外ならぬ人間を相手に当時の話をするのであれば、それなりに雰囲気を出しておくかと、なんとなく重苦しい空気感を纏って話し始めたのだった。


「そうだな、まずは楽園に人間が産まれた理由を軽く話そうか。あれは今から二百万年程前の事だ。その頃、この世界には寿命を持たず個々の力が強い代わりに、繁殖力は低く個体数が少ない天人種と、寿命を持ち個々の力は小さい代わりに、繁殖力が高く個体数の多い亜人種という、大別すると二種類のヒト種族が存在していた。これら種族は現在でもその有様を大きく変えずに存続しているから、説明の必要は無いか。」

 ルキフェルが勇者とその一行に目配せすると、魔法使いのゼニスがなぜか気まずそうに目を逸らしたのを除いて、他の者達はみな一様に頷いていた。

 ゼニスがなぜ気まずそうにしているのかと言うと、彼女は正体を隠して人間社会に紛れているが、実は天人種のエルフであるため、自身の正体に言及されるのではないかと気が気でなかったのだ。なお、ルキフェル及び他の天使達やアニマは、ゼニスがエルフであると、彼女の発する魔力の性質から分かっていたが、彼女がその事実を隠している事自体知らないので、これまでは特に気にしていなかったのだ。


 ルキフェルはゼニスの態度を多少訝しみながらも、エルフであればなおの事、当時の種族事情は知っていて然るべきなので、深く考えずに話を続けた。

「亜人種は女神アリアが産み出した種族で、代表的なところでは獣人族、そしてドワーフやハーフリングと言った小人族がこれに当たるな。」

 言葉だけでは伝わりづらいと判断したルキフェルは、世界地図を出した時と同様にして、今度は大きな白紙を取り出し、再び羽根ペンを手に取りインク瓶に浸した。そして各種亜人種達の名前と、それに付随して彼らの特徴を表した全身像をサラサラと手早く描き出したのだった。例によってその絵は下手だったが、なぜか特徴だけはしっかり捉えられていたので、芸術性を加味しなければわかりやすい挿絵となっていた。

「これでよし。」

 ルキフェルは満足気にやり切った顔をしてから話を続けた。

「次は天人種についてだが、こちらは創世神イルの子供である数多の神々が、それぞれ自分の似姿を与えて産み出した、神の姿を象った種族だな。例を挙げると、海神ヤム・ナハルが自身の似姿である、海棲生物の特徴を持った魔人の姿で創造したのが海魔族だ。同じく冥界の主モートは冥府の巨人族オルクスを創造した。そして少し変則的だが、暴風と慈雨の神である魔王バアルゼブルは、妻アナトの似姿から風と樹を司る半精霊人エルフを、同じく妻アスタロトの似姿からは水と樹を司る半精霊人ニンフを産み出しているな。その後、オルクスは武骨であまり見目がよくない種族と呼ばれていた事から、エルフの美しさに嫉妬したモートがエルフを真似てダークエルフを創造したなんて逸話もあるが、神々の小競り合いについて話すと長いから、今は触れないでおくぞ。」

 ルキフェルは話しながらペンを走らせ、亜人種に続いて天人種についても、同様に種族名とそれに付随した全身像を描いた。そのつたない絵を勇者達が興味深く眺めていたので、ここで一旦話を区切ろうとしたルキフェルだったが、ふと何かを思い出した様子でさらに続けた。

「ああ、最後にもう一つだけ例、と言うか特例を挙げておくか。女神アリアの眷属たるアンデッド群団の中に吸血鬼が居るが、彼らはアリアの似姿を持った不老の存在であり、亜人種に比べて遥かに強い肉体を持っている等、特徴から言えば天人種の様だな。ただアンデッドの吸血鬼は神に創造された種族ではなく、死の女神アリアの加護を受けて、血の洗礼によって不老不死の怪物となった存在だから、厳密にはヒト種では無いし、もっと言えば生物ですらないな。ただし、真祖ノスフェラトゥと呼ばれる産まれついての吸血鬼ヴァンパイアは、天人種に分類される歴とした種族で、アンデッドの吸血鬼とは別存在になるから余計に紛らわしいんだよな。まぁ真祖は他の天人種と比べても個体数が極めて少ないし、大概は小さな支配領域を作ってそこから出てこないから、人間が目にするのはアンデッドの方の吸血鬼だと思ってまず間違いないぞ。」

 ルキフェルは二種類の吸血鬼についても同様にして描き終えると、そこで一旦話を区切り、アニマが新たに淹れた紅茶に手を伸ばした。少々情報量が多かったので、勇者達に考えを整理する時間を与えるためである。ルキフェルが紅茶を飲みつつ状況を確認すると、勇者達が未だ彼女の描いた種族図について、仲間内で軽くやり取りを交えながら見直しているところだった。そこでルキフェルは、今度はアニマが新しく焼いてきたスコーンへと手を伸ばし、しばしの小休止を挟むことにしたのだった。


 およそ1分後、スコーン1個を食べ終えたルキフェルは、勇者達の様子を再度確認したが、情報整理はつつがなく済んだ様子で、またここまでの話で特に質問は無い様子だったので、紅茶を一口飲んで、口内をリセットしてから再び話し始めた。

「さて、人間が創世神イルの似姿を象り創造された種族なのは知っての通りだが、ここまでの話と合わせれば、人間が元来天人種であったことが推測できるだろう。」

 ルキフェルは新しい白紙を取り出し、今度は人間の全身像を描きながら話し始めた。

「その推測は正しく、人間とは元々は天人種として創造された種族だ。天人種の人間が創造されるに至った経緯だが、先に話した通り、創世神イルの子供達である神々は多くの天人種を産み出し、互いにその種族の美しさや力強さを褒め合ったり、仲のいい神同士であれば種族間で交流を持たせてさらなる友誼を図ったりと、自らの分身も同然である天人種を寵愛し、自慢し合う文化が産まれていた。それに興味を示したイルが子供達の仲間に入ろうと、遅ればせながら流行に乗って創造したのが天人種の人間と言うわけだな。ここで人間を実際に創造したのは、イルに命じられた天使だな。」

 再びペンを滑らせたルキフェルは、楽し気に交流する神々と、それに興味を示す創世神イルの絵図を描き、続いてイルが天使に命じて人間の男女を創造させた絵を描き出していった。そして、その男女の絵には、それぞれアダムとリリスの名が付記されていた。

「こうして産まれた人間の一組の男女。それが最初の男アダムと、最初の女リリスだ。改めて紹介する必要はないかもしれないが、このリリスが、そのリリスだな。」

 ルキフェルはテーブルを囲んで一緒に座っていたリリスに視線を送りつつ、絵に描いたリリスを指さした。

 ルキフェルの紹介を受けたリリスは起立して一礼すると、再び席について話し始めた。

「ただいまご紹介に与かりました通り、私リリスと申します。元人間で、今は女淫魔サキュバス、有り体に申しますと悪魔をやらせていただいていますわ。人間である勇者様方には、あまりよろしくない私の風聞が伝わっている事と思いますが、これからお話しする内容は、あなた方の知る歴史とは異なるものになりますので、その点は予めご了承くださいな。と言いますのも、私なぜか女神サンナ様に嫌われておりますので、あのお方がお創りになった聖典の記述では、それはもう悪し様に描かれておりますわね。ですから、創作物と現実の私は別人と思っていただければ幸いですわ。」

 リリスが女神の聖典は創作であると包み隠しもせずに揶揄したため、大神官の二人が少しばかリ憤りを示したが、それに気づいた大天使ガブリエルがジトッとした視線を彼らに送ったため、先だってのやり取りからガブリエルに対して委縮していた彼らはすっかり黙ってしまった。


 リリスの軽い自己紹介を経て、再び語り部の役割はルキフェルへと渡された。

「ちょっと長くなったが、ここまでが前置きだな。そして、ここからは人間が楽園で暮らし始める、いよいよ本題の部分へと物語は突入するぞ。……っと、その前に、少し長くなったから休憩を挟むか。」

 ルキフェルの仕切りで、ひとまずお話がひと段落したことが示されたので、アニマは客人に紅茶のおかわりを注いで回った。そして各々トイレに行くなり、これまでの話について意見を交わし合うなり、思い思いに休憩時間を過ごしたのだった。


―――補足説明 天人種の種族ごとの特徴―――

1.帰属神・海神ヤム・ナハル

・多数の触腕を持つ怪人 海魔族

 ヤム・ナハルの本性は海蛇の様な海龍の姿だが、タコ頭の人型形態に変身できる他、棘皮きょくひ動物の触腕を生やしたりもできる。

 海魔族はヤム・ナハルの人型形態を象った天人種で、ヒトデやイソギンチャク、クラゲ、イカ、タコなど形状は多岐にわたるが、概ねたくさんの触腕を生やした姿を持つ、少々気持ち悪い外見の人型っぽい種族である。知能が高いため言語自体は理解しているはずだが、恐ろしい見た目の通りあまり会話にならず、本能のままに捕食行動に移るので、捕食対象となる亜人種からは深海に棲む魔物として恐れられている。


 通常、海魔族は深海にあるコロニーでゆらゆら漂っているが、時折海流に流されて浅海域へと漂着することが有る。浅海域は亜人種である魚人や人魚の生息域であるが、海魔族にとっては亜人も普通の魚と変わらないただの食料と見なされているため、両者が出会ってしまうと惨劇に繋がる。天人種である海魔族は亜人種よりかなり強いので、一対一では勝負にならないのだ。しかし魚人や人魚は数の利を生かして徒党を組んで戦うため、たまたま漂着する程度の少数の海魔族であれば彼らでも十分に撃退可能だ。

 

2.帰属神・冥界の主モート

・地底に棲む心優しき巨人 オルクス

 モートの似姿を与えられた種族。男しか産まれず、体格に恵まれて力も強いが少々顔が悪い。不細工と言うわけではなく、武骨で老け顔なのだ。オルクスがたくさん集まると、何もしていなくても迫力がある。

 男だけの種族と言うことで、繁殖には異種族のメスが必要になるが、天人種は繁殖意欲がそもそも低いため概ね紳士的であり、気に入った相手が居ても女性側の意思を尊重し、無理強いすることは決してない。外見で恐ろしい種族と勘違いされがちだが、気は優しくて力持ちの内面イケメン種族だ。


 帰属神であるモートは過去に幾度も妹のアナトの怒りを買い、その度にボコボコに叩きのめされているので、アナトを苦手としている。モートの特性を色濃く受け継いでいるオルクスは、アナトの似姿を持つエルフが苦手である。


・闇と土の精霊人ダークエルフ

 バアルが創造したエルフの美しさに嫉妬したモートが、その姿を真似して創造した種族。外見は真似たが、属性や性格はモートの司る属性の影響を強く受けており、本家のエルフから大きく変化している。

 金属加工や宝石細工が得意で酒好きと、まるでドワーフの様な特徴を持つ。また美しく神秘的な外見にそぐわず、豪快で細かい事は気にしない所もドワーフに似ている。さらに斧や大槌と言った、重量武器を好み、弓よりも重火器に精通しているなど、エルフとは似ても似つかない特徴を持つ。モートは死と乾季を司る謂わば不作の神なので、ダークエルフには当然ながら植物を育てる能力はないし、むしろ彼らが下手に手を入れると植物が枯れる。


 ダークエルフの創造に際しては、無断でモデルにされたアナトが怒り、冥界にあるモートの居城に殴り込む事件が起きているが、末妹である太陽の女神サンナの仲介により和睦が成り立ち、モートが数発殴られる程度で手打ちとなった。


3.帰属神・暴風と慈雨の豊穣神バアルゼブル(魔王バアル)

・風と樹の精霊人 エルフ

 バアルによって創造された種族で、愛と殺戮の女神アナトの姿を与えられた種族。アナトの特徴を受け継いでいるため、エルフは美しく強い。またアナトは狩猟と豊穣の女神でもあるため、その権能を一部受け継いでいるエルフは、目や耳が良いことに加え、風の魔法を使った探知能力にも優れ、同じく風魔法を併用した弓の扱いに長けている。そして豊穣の加護を受けた種族なので、植物の生育を助ける力も持っている。

 天界の大樹海アルフヘイムに住み、ほとんど外界や地上には出てこない。彼らの森に異種族が入る事を嫌い、かなり排他的で、予め許諾を得ている天使以外は急に訪れても追い返す。見かけによらず気が短く、口より先に手が出るのは、殺戮の女神であるアナト譲り。


 森から出るエルフは少数だが、行商や吟遊詩人の真似事をしながら旅するのが趣味の、異種族に友好的な変わり者が一定数存在する。人間社会に紛れて精霊魔法使いエレメンタルソーサラーをしているゼニスもその一人。


・水と樹の精霊人 ニンフ

 バアルによって創造された種族で、海と多産の女神アスタロトの姿を与えられた種族。

 アスタロトは多産の神で、母としての特性が強いため、ニンフには女性しか産まれない。またエルフより幾分幼い顔立ちで、美しいと言うよりは可愛らしい。高潔で気が強いエルフとは異なり、戦いを好まず襲われたら反撃せずに逃げてしまうくらい臆病。地上にある聖地となっている泉や湖、森などに住む。聖地には彼女達の力で、害意あるものは近寄れない惑わしの結界が張られている。

 ニンフ達が自らの意思で聖域から出ることはほとんどないが、迷い込んだ善良な異種族に悪意なく連れ出されてしまう事が稀にある。


 ニンフは基本的に異種族に友好的、と言うか無警戒だが、アスタロトが嫌っている海神ヤム・ナハルと、彼に帰属する海魔族だけは生理的に受け付けない。また彼らを想起させるタコやイカ、その他軟体で多数の触手を持つ生物が軒並み苦手である。

 逆に海魔族側はニンフを求めて這い寄る特性を持つが、基本的に生息域が深海と陸で被っていないため、両者が自然環境下で出会うことはまずない。

 海魔族がニンフに惹かれる理由は、過去にヤム・ナハルがアスタロトに惚れ込み、求婚した事に由来している。なおアスタロトからは即座に拒絶され、それ以来口を利いてもらえなくなった。


4.帰属神・死と月の女神アリア

・夜を統べる貴人 真祖ノスフェラトゥ

 神秘的で秀麗な容貌は見る者を魅了し、蝙蝠の様な翼は風の如く闇夜を駆ける。その腕力怪力無双にして、魔法に於いても並ぶ者なし。さらには様々な学問にも精通し、まさに万能の種族と呼ばれる、恐るべき夜の支配者だ。なお、特に太陽が弱点とかではなく、生活スタイルが夜型なだけである。

 天人種の中でも異質で、本気になれば上級天使や爵位持ちの悪魔と渡り合えるほどの、極めて高い戦闘力を有する。またほぼ不老不死で、たとえ全身を吹き飛ばされても、血の一滴でも残っていればそのうち再生する。その特性から神の様な存在として扱われ、亜神と呼ばれることもあるなど、名実ともに天人種の枠を少々逸脱している。


 基本的には人が寄り付かない辺境に居城を作り、個々人ごとに内容は様々だが、魔法や錬金術、薬学などの研究をしている。ほとんど居城から出てこない上に、俗世に興味が無いため、こちらから彼らの居城に攻め込まない限りは敵対する心配はない。

 アンデッドを操る死霊魔術ネクロマンシーに長け、また低位の動物を従属させて使い魔にする魔物使いテイマーとしての能力も高い。真祖は基本的に単独で居を構えるため、こうしたアンデッドや使い魔を従僕とし、身の回りの世話をさせているのだ。


5.帰属神・創世神イル

・万物、霊長の王 人間

 原罪により力を失う前の天人種の人間。地上のあらゆる生物の王として君臨し、全生物を管理する役割を与えられるはずだった種族。


 史上存在した天人種の人間は、アダムとリリスとイヴの三人だけ。リリスは自ら悪魔となり、アダムとイヴは原罪により天人種の力を失ったため、既に絶滅した種族である。

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