筆を執って10年経つこの頃
中今透
第1話 ええんじゃないかなー
これを書いている時点で、小説を書きはじめてから、かれこれ14年が経つ。
小説を書くことに人生の大半を費やしたからといって、大成するということもなく、ずるずると三十路になってしまった。
それでも、
「最近調子はどうだい?」
と聞かれれば、
「マーマーフーフー」
と答えるだろう。
マーマーフーフーとは、馬馬虎虎と書く。
馬のようでもあり、虎のようでもあるという意味で、中国の言葉だ。
日本語に訳すと、「ぼちぼちでんな」というところ。
公募勢として、大小様々なコンテストに応募しても、良いところで二次選考止まり。Web小説も言うほど人気という訳ではない(こんなことを言うと、応援してくださる方々に失礼ではあるが……)。
とはいえ、東京で働いていた頃よりはマシである。
あの頃、田舎育ちであった私は、東京の人という波に押しつぶされ、窒息しかけていた。新卒でいきなり東京に飛ばされて、上司も先輩もいない中で、一人客先に出向して仕事する日々。
毎日、90分かけて通勤。
終電まで残業は当たり前。休日出勤や夜間対応もよくあった。
新卒で慣れない仕事、慣れない都会、頻繁に変わる仕事場。
しらちゃけた一日を、ウィスキーのストレートで洗い流し、もそもそと布団に入っては、朝5時に飛び起きて始発に乗る。
飲酒は、思考を朦朧とさせ、厳しい現実を酔いで曖昧にするためにあった。
荒れ果てた心の慰めにアルコールを流し入れ、ちらちらと本を流し読みするのが日課だった。
そんな毎日を送っていたら、案の定、体調を崩し、『
これは、大腸に潰瘍ができることで、血便や下痢、腹痛が発生し、酷いと食事もまともに受け付けなくなる病気である。
原因も、明確な治療法も確立されておらず、難病指定になっている。
更にはうつ病まで発症し、今でもメンタルクリニックに通っている。
『死にたい』『生きるのに疲れた』『もう充分だ』と思うことが、しょっちゅうであった。
そんな中、まるで強迫観念に駆られるように、本を読み、小説を書いては、コンテストに応募した。結果が出ず、泣いてうずくまり、キッチンの隅で『自殺 方法』とスマホで検索することもあった。
今では笑い話だが、一時期、出家することを真面目に考えたこともあった。
現在は東京に住んでおらず、転勤で東北の方で仕事をしている。
住む場所も、仕事の内容も変わったお陰か、今はなんとか落ち着いている。
持病とうつ病が落ち着いたきっかけは、転勤であったが、そこまで耐えることができたのは、やはり、小説を書くことが心にがっしりと食い込んでいたためであろう。
正直言って、小説を書くことが楽しいかと問われれば、よく分からない。
書き始めて最初の数年は、ただ楽しくて書いていたが、今では小説を書かない人生など考えられず、義務のように書いている。
何故、書くのか?
そう問われた時に思い浮かぶのは、水木しげる著『のんのんばあとオレ』(講談社)に出てくる次の台詞が、しっくり来る。
「茂、人を感動させるものはありのままの形だけじゃない。こんなことがあってもええんじゃないかなーと思う夢なんだよ」
そうなのだ。
私は、私の心が感じる「こんなことがあってもええんじゃないかなー」を書きたいのだ。
現実が辛く、厳しく、寂しく、淡く、虚しいからこそ、そんな夢を書きたい。
人生の中で、「こんなことがあってもええんじゃないかなー」が現実で起きることはまずない。
だからこそ、人生に希望が持てるような小説を書きたい。
小説を書くために生きている。
同時に、私は、小説に生かされている。
私は、私にとっての「ええんじゃないかなー」が書ければ、それで良いのだろう。
大成もせず、病気に苦しめられ、仕事は辛い。
それでも、
「マーマーフーフー」
と言うことができる。
なぜなら、「ええんじゃないかなー」を書ければ、私の人生は、それで良いと思っているからだ。
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