鬼哭蒐集(誤字にあらず)

未環

第1話「因循固陋」

部屋には残留思念が僅かに沈殿していた。

なんでも屋たる手取は、依頼をこなすべく床に、正確にはそこにこびりついている残留思念に触れた。


 「よほど、衝撃的な事があったんだろうね。二十年前なのに、思念とそれに付随する記憶が鮮やかだ」


 そう呟いた手取は術を行使し、残された思念の記憶を映す。



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 老人は宛がわれた部屋で独り、思案に暮れていた。

かれこれ、もう数時間はこうして腕を組み迷っている。

迷いもしよう、なにしろ若き命の未来がかかっているのだ。


 目の前には紙が二枚。

いずれも文字が書いてある。

さて、どちらを選ぶべきか。


 再び思考の海に沈みかけたとき、その広々とした和室に一人の男が現れた。

彼は入室の作法を守りつつも、逸る気持ちを抑えきれぬようだ。

さらにいえば、今が幸せの頂きであるかのように喜色を顔に浮かべている。

そうして、彼は部屋に鎮座していた老人へ報告する。


 「高祖父様! 先ほど妻が無事に出産を終えたとの知らせが」


 「おお、そうか!」


 報告を聞いた老人も、つられるように目尻を下げ、頬を緩める。

そして、慌てたように二枚の紙を手に取る。


 「名前の候補を二つまでに絞ったのだがな……『謙多郎』と『響ノ介』で迷っておって、これがまた中々に甲乙つけがたい」


 「高祖父様の名付けならば、どちらでも間違いはないでしょう」


 「しかしな……うむむ、強いて言えば、『響ノ介』は陰陽配列の均衡が欠点か」


 そう言って、名前候補が書かれた紙をそれぞれ交互に見る老人。

老人は玄孫への情が確かにあるのだ、と男に信じさせるのには、その言動で十分だった。

したがって、男は何の気負いもなく告げた。


 「……候補が二つあるのならば、両方を名付けられては如何でしょうか」


 「寿限無の真似事か? おぬしが冗談を言うとは珍しい」


 「いえ……高祖父様」


 「どうした?」


 「生まれてきたのは双子です」


 「なんだと」


 「双子の男児が生まれたのです」


 ――双子は心中した男女の生まれ変わりだ、と言う迷信は既に廃れている。

この家は役目のこともあり、少々保守的すぎるが、そんな前時代的な迷信を信じるほどではない。

なにより、当主の座を退いて久しいとはいえ、実権を握っている目の前の老人『無限命数』が双子を擁護するならば、親族からの反発は抑え込めるだろう。

 ――などと、男は考えていたが、それはあくまで男の信じたいことでしかなかった。


 「片方、殺せ」


 「なっ!?」


 老人の放った非道な言葉に、男は衝撃を受けて言葉を失う。

いや、老人にとっては、先程の言葉など非道でもなんでもないのだろう。

それが、当然の理であるとでも言うかのように。


 「何を呆けておる。聞こえなかったか? 双子の片方を……そうだな、後から生まれた方を殺せ。なに、死産だったことにすればいい。産婆がいたとはいえ、自然出産だ。片方死んでいてもおかしくはない」


 老人が何事かをつらつらと話しているのも、男の耳にはろくに入ってこなかった。

ただ、絶望が男の目の前を暗くするばかりである。


 先ほどまで、なるほどたしかに男は幸せの頂きにいたことだろう。

ただ、なにごとも頂上に至れば、後は下り坂だ。

それを、転げ落ちるか緩やかに下るかの違いしかないのだ。


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