第4話 脱走

パーラ様が逃げ出したぞ!」


 国の首都「サンドラ」、その中心にある巨大なドーム状の神殿、「聖ソフィア大神殿」の中では騒ぎが起こっていた。


 法衣をまとった神官や僧侶たちが右往左往している。聖ソフィア教団の象徴ともいえる聖女パーラが姿を消したのだ。


 ――といっても、彼女が姿を消したのはこれが初めてではない。すでに過去2度にわたって神殿から脱走していた。当然、彼女の付き人たちも警戒はしていたのはずなのだが……。


「もうこれで3度目だぞ! どうして誰も気付かなかったんだ!?」


 中年の神官が怒号を上げて、周囲を見渡す。


「申し訳ございません。おそらく変装して外へ出られたのではないかと……」


 ばつが悪そうに神官の前に歩み出た修道女は、その両手に聖女パーラが身にまとっている純白の衣装を抱えていた。


「これを……、どこで?」


「女性用のお手洗いでございます」


 報告を受けた神官は頭を抱えるような仕草をした。同性しか立ち入れない場所で警備が薄くなるのは理解していたようだ。そのため、女性の付き人を増やしたばかりだったのだ。


「サフィールよ、聖女様の行き先に心当たりはないか?」


 若き神官サフィールは、少しの間考え込むように腕を組んで見せた。しかし、すぐにそれを解いてこう言った。


「また街のバザールに行かれたのではないでしょうか? 前回もあそこで歩きながら串焼きを食べておられましたので」


 サフィールに尋ねた神官は、これでもかというほどの大きなため息をついた。


「まったく聖女様ともあろう方がなんと品の無い……。民衆が気付く前に必ず見つけて連れ戻すのだ! よいな、サフィールよ!?」


「承知致しました。護衛の者を何名か借りていきます」


 サフィールは大きく一礼をして、その場を後にした。


『まったく、なんと世話の焼ける聖女様だろうか……。お世話係の身にもなってもらいたいものだ』




◆◆◆




 私は今日、街のバザールに買い物に来ていた。ご近所さんからは「怪力女」と可愛くない言われ方をしているけど、お出掛けするときはきちんとおしゃれもするんです。


 首元がVの字に開いた水色のギャザーセーターに純白のスカート、靴は少し暑いと思ったけど底の厚いブーツを履いて出かけた。たまには女らしくしないと、本当に殿方が寄って来ない気がするから。


 服装をきちんとする時は、前髪も横に流して顔がはっきり見えるようにしている。


 これならどこから見てもちょっといい感じの女子じゃないかしら?


 間違っても「怪力」とか「バカ力」とか言われることはないはず……。



 綺麗な衣装は気持ちを軽くさせる。私は軽く飛び跳ねるように歩きながらバザールの屋台を見てまわった。

 昨日降った雨のせいか、地面には水溜りができている。だけど、それが陽の光を反射して、まるで街路を彩っているようでもあった。


「そこのキレイなお嬢さん! 貴女に似合いそうなアクセサリー置いてるよ!」


 アクセサリーの露店の売り子に声をかけられた。普段「バカ力」とか言われているせいなのか「キレイ」とか言われるとちょっとなびいてしまう。


 私は特別高価には見えないネックレスを眺めていた。すぐ横に誰かが立った気配がしたけど、きっと別のお客さんだと思って気に留めなかった。だけど、突然、左手首を掴まれたのでハッとした。


「――探しましたよ、パーラ様?」


 私にしか聞こえないであろう、とても小さな声でそう言われた。隣りには全く見知らぬ男が立っている。同じ服装の男があと2人後ろにいた。


 一瞬だけ気が動転したけど、この男が発した「パーラ様」の言葉で私は状況を理解する。


 本当にこんなことってあるんだ……。


「あの……、ちょっと似てるかもしれないけど人違いです。私はノワラと言います」


 私は、隣りの男の第一声に負けず劣らずの小声でそう話しかけた。


「お戯れはほどほどに願います、パーラ様」


 手首を掴んだ男が、その手を強く引いた。私は反射的にそれを振り払おうと左手に力を込めてしまった。


「違います! 私はノワラですって!」


 次の瞬間、アクセサリーの露店の屋台と一緒に手を掴んでいた男は吹っ飛んでいた。……ついでにお店の売り子も。


 残った男2人は血相を変えて私を見てくる。吹っ飛んだ男もすぐに起き上がってきた。


『ああ、なんかもう絶対これ面倒なやつじゃない!?』


「お店の人ごめんなさいっ! けど、私はノワラなんです!」


 大きな声でそう言ってから、私はスカートの裾を両手で持ってその場から駆け出した。


 なんで聖女様と間違われてるのよ!? 聖女様がこんなところでお買い物してるわけないでしょうが!?


 私は頭の中でそう叫びながら、全力で走っていた。

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